解体か再生か―岐路に立つ民青同盟

2、岐路に立つ民青同盟

(1)規約条項の「ねじれ」が発生
 共産党の3年ぶりの党大会では規約全面改正(「さざ波通信17号」を参照)が行なわれた。これはほとんどの党員にとって「寝耳に水」であったため、追って開催された民青大会では、規約には手をつけることができず、よって党の「新規約」と民青「現行規約」とのあいだには、奇妙なギャップが発生した。
 共産党が規約改正を通じて行なったことは、党の階級的性格を薄め、スターリン主義的な表現を表面上は換言しつつも、実質においては内部統制をよりいっそう強化するものであった。
これに対し、民青の場合、規約に今なおスターリン主義的な表現を残しつつ、しかし実際の活動においては、普通の市民運動団体よりもはるかに親睦会的な方針を採用するという、信じられないほどちぐはぐな状況になっている。
 たとえば、「決定は無条件に実行」(第4条)、「個人は組織に、少数は多数に、下級は上級に<したがう>」(第10条)、「同盟組織にたいして事実をかくしたりゆがめたりしない」(第3条)などの条項は、共産党規約からは削除されたが、民青の規約には残っている。他方で、現場の状況のいかんにかかわらず、キャンプや鍋会、3オン3やフットサルの大会といった方針が提示されている。過労死に直面する職場の闘いでも、「3オン3やフットサルの大会」を「無条件に」実行せよというのか?
 これから迎える新同盟員たちにどのように自分たちの規約を説明し、どのように今大会の方針を説明し、どのようにその整合性を理解させることができるというのだろうか。

(2)都道府県委員と班長が同数?
 規約問題以外にも、この間に民青が組織を後退させながら蓄積してきた矛盾がある。民青は90年代初頭に、同盟員の大半を失い、急激な財政悪化に陥った。この時期には、定期機関紙誌が2つ(『青年運動』・『同盟活動』)も廃刊となり、地区委員会についても廃止せざるをえない状況となった。
 問題はこのとき、地区委員らの幹部がそのまま都道府県委員になるなど、暫定的な指導体制をとってきたことである。その後10年を経た現在でも、この時期の総括は行なわれず、組織体制上の「名残」もそのまま残ってしまっている。
 たとえば、「決議」によれば、基礎組織である班は、「全国約1600」班(しかも「2割以上が班長不在」である)であるにもかかわらず、中間幹部である都道府県委員は、この規模とほぼ近い「約1000人」(報告)が存在している。これだけの指導的構成員をかかえ、議案を出すだけで「ガラッ」と変わるような組織であるなら、その量的成長もかなりのものになってもよさそうであるが、現実はそうではない。このようなアンバランスは、民青組織内における指導そのものの官僚化や、基礎組織の自発性の疎外などの反映であり、早急な組織改革が求められる。

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