この「雑録」は、日本共産党とその周辺をめぐる動きの中で、短くても論評しておくべきものを取り上げて、批判的に検討するコーナーです。
3月10日付「トピックス」ですでに明らかにしたように、共産党指導部は、今年3月に入ってから、全労連や各界連を通じて、消費税減税を再び当面する政策争点の中心に据える転換を果たした。これは、共産党指導部自身の方針転換ではなく、単に「大衆団体」の自主性を尊重したにすぎないという投稿もあったが、もちろん、それはまったくの幻想である。大々的に『しんぶん赤旗』でこのことが肯定的に宣伝されているという事実そのものが、このような転換が、指導部自身の意志と無関係ではないことを明瞭に物語っている。そして実際、それから数日後、不破議長や志位委員長自身の口から、当面する政策提案として、再び「消費税減税」が正面に据えられるようになった。
不誠実な転換術
では、どうして、この転換は、最初、大衆団体の方針を紹介するという形で行なわれたのだろうか? なぜ、そのような「まわりくどい」やり方がとられたのか?
その理由は容易に推測できる。昨年の総選挙前に、共産党指導部が、「政権入り近し」という幻想にとらわれて、党内での正式の討論も経ずに消費税減税を棚上げし、消費税増税反対を政策争点の中心に据えたことは、あまりにも支持者や党員の記憶に生々しかった。それは、『朝日新聞』で大きく取り上げられたばかりでなく、不破委員長(当時)自身が、選挙前の大演説会で熱心にアピールした。だが、共産党の「現実主義」をアピールしたこの「方針転換」は、結局、何ら選挙にプラスの効果を与えることはなかった。それどころか、野党の中で共産党だけが後退するという手痛い「しっぺ返し」を受けた。この実物教育は、忘れてしまうにはあまりにも鮮烈であり、あまりにも最近の出来事であった。
そこで共産党指導部は、いきなり党の正式方針として、消費税減税を再度正面に据えるのではなく、最初にまず、「大衆団体」によって「消費税減税」を打ち出させ、「この提案が反響を呼んでいる」という前置きを置くことによって、「消費税減税」を再び正式に打ち出すことにしたのである。これは、自らの方針上のジグザグをごまかそうとするものに他ならない。
これは、二重の意味で不誠実で無責任な転換の仕方である。
まず第1に、それは「大衆団体」の方針を隠れ蓑に用いているという意味で、不誠実であり、無責任である。このような「隠れ蓑」戦術は、国鉄問題をめぐる転換でも見られた。共産党指導部は、大衆団体の「指導」や「引き回し」をやめたのではなく、自らの名のもとに方針転換を行なう責任を回避し、「大衆団体」にまず先陣を切らせて、それを盾に用いながら前進することにしたのである。これが「前衛」を放棄したことの結果である。
第2に、昨年の総選挙時における「消費税減税の棚上げ」方針の是非を批判的に総括することを回避し、そのときの方針転換の責任をごまかしているという点で、不誠実であり、無責任である。共産党の好きな用語に「実践による検証」という言葉があるが、まさに、消費税減税の棚上げによる現実主義のアピールという昨年の方針転換は、実践による手厳しい検証を受けた。それは、共産党の現実主義を望む層の票を獲得することにはつながらず(こういう有権者の多くは、最初からより「現実的」な民主党に投票する)、逆に、共産党の原則性に期待していた伝統的革新層の票を逃がすことにつながった。しかし、無謬を気どる党指導部は、自らの犯した政治的誤りを率直に認めることができない。彼らは反共謀略ビラに責任のほとんどをなすりつけた。しかし、それでも彼らは、消費税減税の棚上げが失敗であったことを、意識の中では、あるいは、外部に情報の漏れない「内輪」の中では認めざるをえなかった。そこで、昨年の方針転換の総括を回避しつつ、実質的に新たな方針転換をすることを選択した。それが、大衆団体先行型の、今回の再・方針転換である。
だが、自らの誤りを認めることなく、小手先のごまかしによるこのような再転換は、有権者の支持を得ることができるだろうか? それがただ選挙目当てのポーズでないと、どうして言えるのか?
『さざ波通信』の批判の正しさを事実上認めた転換
今回の再転換は、名目上はどうあれ、昨年『さざ波通信』が加えた批判の正しさを事実上認めるものである。われわれは、昨年の『さざ波通信』第13号の論文「一歩一歩目標から遠ざかる共産党――消費税問題をめぐる混迷」の中で、財政再建を口実にした消費税減税の棚上げが合理的根拠のない方針であることを、詳しく批判した。その中でわれわれは、とりわけ、次のようにその方針転換を批判している。
共産党は財政再建の主たる手段として、公共事業の削減、軍事費の削減、大企業優遇税制の是正、所得税を総合課税にすることなどを挙げている。これらはいずれも、税率そのものを変えなくても達成できる項目である。これらの手法によって、10兆円の新しい財源ができると共産党は主張している。不破委員長は、この10兆円の半分近くも消費税減税に使うことはできないと主張しているが、そんなことをする必要はいささかもない。所得税と法人税の税率をただ98年参院選の時の税率に戻すだけで、消費税減税のための財源の半分以上を確保することができる。
では残る2兆円はどうするか? これは、消費税減税が景気回復の決め手になるという共産党の言い分が正しいならば、この景気回復によってかなりまかなえるはずである。あるいは、共産党が主張していない他の税収増(たばこ税の増税など)でまかなうこともできるだろう。また、共産党は最近、食料品への非課税を主張し始めた。これがどれぐらいの額になるのかは明らかにされていないが、それなりの額になるだろう。ということは、この分にプラスして、大企業と金持ち減税分をなくせば、3%への減税にさらに近づくことになる。要するに問題は、消費税の減税を本当にやる気があるのかどうかである。やる気さえあるなら財源確保は十分可能である。
今回、不破議長は、「消費税減税こそ景気回復の決め手」であるという論理を再び復活させて、今回の再転換を正当化している。たとえば、3月17日に尼崎で行なわれた演説会の中で、不破議長は次のように述べている。
一つは、国民の購買力を直接あたためる政策です。
今度の不況は、橋本内閣の消費税5%増税から始まったわけですから、やっぱりそこを考え直すところから始めるのが、いまいよいよ必要になっていると思います。
実は、全労連という労働組合の全国組織が、3月2日の大きな全国集会の時に、消費税を3%に引き下げようじゃないかという提唱をおこないました。これがいま、非常な反響を呼んで、全国にその声がまさに広がりつつあります。
共産党はもともと、消費税に反対であります。税金というものは、生活に必要な費用にはかけない。それから、所得の少ない人には軽く、所得の大きい人に重くかける、これが大原則です。ところが、消費税というのは、まさに国民の生活に必要なお金にかける税金です。また所得が少ない人だろうと、多い人だろうと、同じものを買えば同じだけの税金がとられるわけで、税金の大原則に反する一番不公平な税金であります。だから私たちは、そもそも消費税に反対なのですが、消費税をなくしてゆくには、やっぱりそれだけの予算の裏づけが必要になりますから、そこへすすんでゆくための段階と手だてをいろいろと考えてきました。去年の総選挙の時には、財政再建をやりながら、その中で、消費税の減税から廃止へ向かって進んでいこうという見通しを発表しました。
しかし、景気の冷え込みがここまでくるとそういう回り道はもはや許されなくなっていると考えざるをえません。
ですから、消費税の増税の計画をやめさせることはもちろん、景気打開の緊急の対策として、少なくとも増税前の3%に消費税を減税すること、これで5兆円の減税になりますが、それを中心に国民の消費の力、国民の購買力を直接あたためる政策にただちに転換することが、急務となっていることを訴えたいのであります。
だが、昨年の総選挙時から、財政事情は少しでも改善されただろうか? いや、より悪化しこそすれ、まったく改善されていない。また、景気情勢は、昨年の総選挙時と比べて、本質的な変化を遂げただろうか? いや、これもほとんど変わっていない。アメリカにおける株価の下落により、景気停滞の様相がより明白になったとはいえ、景気の動向そのものが、昨年から今年にかけて、基本的な変化を遂げたわけではない。昨年も不況が続いていたし、今年もそうである。とすれば、現在、個人消費を暖めるために消費税減税が決定的な方策だとしたら、昨年の総選挙時も同じのはずである。
ほんの1年足らずで、基本政策を、消費税減税から消費税凍結へ、そして再び消費税減税へところころ変える政党が、はたして有権者に信用されるだろうか?
自分の頭で考えることの重要性
さて、今回の再転換は、わが党の党員にとって大きな教訓となった。昨年の総選挙時における「消費税減税棚上げ」に無批判に追随した党員たちが正しかったのか、それとも、自らの判断にもとづいて公然と批判の声を上げた『さざ波通信』が正しかったのか? この問いに対する答えはすでに出ている。『しんぶん赤旗』によって、党を撹乱しているだの、党を攻撃しているだのという誹謗中傷をされた『さざ波通信』の言っていることの方が、むしろ正しかったことを、今回の転換は示したのである。
もちろん、公然と声を上げはしなかったが、内部で昨年の方針転換をきっぱり批判した党員たちも少なからずいた。われわれは、そのような党員たちと固く連帯する。だがいずれにせよ明らかなのは、その時々の指導部の転換に無批判に追随しているかぎり、ただ右に左に振り回されるだけに終わるということである。
今回の再転換はそのことを如実に示している。党員のみなさん、自分の頭で考えよう、自分の判断基準を持とう、そして、その時々の指導部の言うことを絶対的真理と受け取らず、批判的に吟味し、必要とあらば、厳しい批判を加えよう。そのような生きた民主的過程があってはじめて、政治組織は生命力と発展力を持つことができるのである。
われわれは「批判のための批判」をしているのではない。党の真の発展を願って、必要不可欠な批判作業をしているにすぎない。もちろん、われわれの判断の方が誤りを犯す場合もあるだろう。だから『さざ波通信』の主張を鵜呑みにする必要もない。党指導部の主張を読み、われわれの批判を読み、そのうえで自分の判断を下せばよい。党員一人一人が、党の方針を学び実践するだけの客体ではなく、党の方針そのものを作り、党の指導部そのものを動かすことのできる主体とならなければならない。そうでないかぎり、共産党に待っているのは、長期的な死滅の過程のみである。