雑録

 この「雑録」は、日本共産党とその周辺をめぐる動きの中で、短くても論評しておくべきものを取り上げて、批判的に検討するコーナーです。

<雑録―3>是々非々論で石原都政を論じる『東京民報』

 いよいよ今年6月に東京都議選が行なわれる。これは、7月の参院選、さらにその後の政治的動向を占う上できわめて重要な選挙である。前回の都議選において、共産党は歴史的大躍進を遂げた。だが、99年のいっせい地方選挙の後半戦ですでにこの躍進傾向に陰りが見え始め、昨年の総選挙において後退の様相が見え始めている。この間の地方選挙でも、共産党は苦戦を強いられている。
 1998年以降における共産党指導部の妥協路線は、党の存在感を失わせ、他の野党の中で埋没させる効果をもたらしている。この間の国政問題でも、共産党の存在感は薄い。ハワイ沖でのえひめ丸と原潜との衝突事故に関しても、共産党が主張しえた「独自性」は、せいぜい、真っ先に調査団を現地に派遣したということだけだった。すべての海から原潜をなくそう、という主張さえ出す勇気がなかった。機密費の不正流用事件でも、機密費廃止という主張はすぐに影をひそめ、全容究明論にとどまった。もちろん、機密費の不正使用やKSD汚職に汚れていない唯一の政党として、清潔な党をアピールすることには成功したが、政策的独自性を押し出すことには失敗している。このままいけば、東京都議選でも後退する危険性はかなり高い。もし共産党が都議選で大きく後退することになったら、石原都政の暴走をいっそう容易にするだけでなく、共産党自身にとっても重大な結果をもたらすことになるだろう。今こそ、石原都政に対する対決姿勢を鮮明にして、都議選の政治的準備に取り組むべきである。
 だが、この重大な都議選を前にして日本共産党東京都委員会が出した4頁建ての『東京民報』3・4月号外には、そのような「対決姿勢」はまったく見られない。このビラの見開き頁(2~3頁)の主見出しは、「いいことはいい、悪いことは悪い――石原知事に『是々非々』の立場でのぞんできました」というものである。この見出しに、多くの党員、支持者は驚いたのではなかろうか? 例の「三国人発言」や、「防災」を名目とした自衛隊大動員の治安訓練、東京都独自の医療助成の多くを廃止ないし縮小することをはじめとする福祉切り捨てなど、まさに、史上最悪の都政を推進してきたのが石原である。この石原都政に対する基本姿勢が「是々非々」」とは、いったいどういうことか?
 たしかに、ディーゼル車の排ガス規制や乳幼児医療費助成の拡充など、多少の評価をしうる施策が部分的にあったのは事実である(外形標準課税への先鞭をつけた「銀行税」については単純に評価することはできない)。だが、それは、石原知事がやってきたその他の反動的政策や暴言と釣り合うものではけっしてない。このような反動的石原都政に対する基本姿勢は、当然、明確に対決的なものでなければならないはずである。
 たしかに、『東京民報』号外は、「三国人発言」についても批判的に言及してはいる。しかし、その取り上げるスペースは、石原都政の「成果」を評価する部分と比べてはるかに小さい。しかも、その批判のトーンも、「こういう特定の政治的立場を都政に持ち込むことには反対」といった水準のものである。「特定の政治的立場」! 何とも腰砕けなリベラル的物言いではないか。はっきりと人権侵害の差別発言であると言うことさえできないとは…。さらに、「防災」を名目とした自衛隊動員の治安訓練については一言もない。このビラを見ると、あたかも石原都政は、いくつか失言をしながらも、共産党の主張してきたことを時には実現する中道政権であるかのごとくである。
 いったい、この及び腰は何か? 高い石原人気にあやかろうとでも言うつもりか? あるいは、少なくとも石原を支持する有権者層を敵に回したくないということか? 「三国人」発言によって、誇りと名誉と人権を徹底的に侵害された在日外国人の怒りは、票にならないからどうでもいいということか?
 このような「是々非々」論こそ、「現実主義」化した80年代社会党のキャッチフレーズだった。そのような「現実主義化」はただ社会党の政治的没落を早めただけだった。今回のビラを見るかぎり、そのような悪夢の再来の可能性はきわめて大きいと言わざるをえない。

2001/3/25  (S・T)

 P・S 3月29日付『しんぶん赤旗』に掲載された不破哲三議長の演説もまた、石原都政に対する「是々非々」論を基調としており、上で述べた危惧をいっそう裏づけるものとなっている。しかも、この演説では、石原がやってきた悪いこととして、福祉切捨てだけが挙げられていて、「三国人」発言も、防災に名を借りた自衛隊の治安訓練についてもまったく言及されていない。

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