この「雑録」は、日本共産党とその周辺をめぐる動きの中で、短くても論評しておくべきものを取り上げて、批判的に検討するコーナーです。
5月15日のトピックスで紹介したように、最近行なわれたイタリアの総選挙によって、保守・中道連合が勝利を収め、大富豪のベルルスコーニが新政権を率いることになった。
この選挙結果について5月15日付『朝日新聞』にコメントを寄せた名古屋大学教授の後房雄氏は、次のようなコメントを出している。
「イギリス型の『政権交代のある民主主義』に向けた移行期に入っている。……2つの勢力が政権を目指して争い、有権者が投票で直接に政権を選ぶ成熟した民主主義に到達できるかどうかの壮大な実験が行なわれている」
ほとんど違いのない2つの政治勢力以外の他の政治勢力が小選挙区制によって「民主主義のゲーム」から排除され、ともに悪政を推進する2つの「同じ穴のむじな」の間で数年ごとに政権のたらいまわしを行なうことが「成熟した民主主義」なのだそうである。これは、日本の自民党が派閥間で政権たらいまわしをしていることとどのような本質的違いがあるというのか? 日本の民主党は、小泉政権との違いを有権者に対して示すことができない。民主党はしょせん(自由党も)、自民党の外部にできた自民党の派閥の一つに過ぎないことが、今回の小泉政変によって決定的に暴露された。この政権たらいまわしが、同じ政党の中で行なわれるか、別の名前をもつ同じような政党間によって行なわれるかに、本質的な違いは存在しない。この政権たらいまわしの影で、多くの人々が苦しめられ、生活を破壊され、尊厳を奪われているのである。
この点では、日本のマスコミの責任も鋭く問われなければならない。1993年の細川政権当時、『朝日新聞』『毎日新聞』あるいは同じ系列のテレビ局などの「リベラル派」マスコミは、この政権の成立をこぞって歓迎し、細川政権礼賛のキャンペーンをはった。このとき、細川政権の中枢を担ったのは、日本新党、新生党、新党さきがけなどの新興政党であり、これらの政党の中心的人物はいずれもごく最近まで自民党の中枢を担っていた連中であった。ほんの最近まで腐敗し堕落しきった自民党の中枢を担っていた政治家たちが、新しい政党名を自分たちの頭につけたからといって、その本質が変わるはずもない。にもかかわらず、「リベラル派」マスコミは、細川政権成立のために全力を尽くし、政権成立後も、その政権を陰に陽に支えた。そして、小選挙区制という、日本の議会制民主主義に取り返しのつかない打撃を与える制度の導入のために、なりふりかまわぬキャンペーンをはり、小選挙区制に反対した社会党の青票議員を「守旧派」として罵倒した。今回も、「リベラル派」マスコミは同じことをしている。彼らには、歴史に学ぶという習性がない。
だが、今回の場合は、1993年のときよりもさらに無残である。93年政変のときは、少なくとも、非自民党政権という「錦の御旗」があった。しかし、今回はどうか。今回の小泉政変においては、そのような「錦の御旗」すら存在しない。戦後一貫して、自民主導の保守政権に対する批判者の役割を担ってきたはずの「リベラル派」マスコミは、その堕落の必然的な帰結として、今では、『読売』や『産経』などの保守反動派マスコミとともに小泉政権の旗振り役になっている。加藤政局のときも、すでに非自民へのこだわりはなくなりつつあったが、それでも、加藤政局のときは、非自民政権への期待と結びついていた。今では、安定した自民党政権のもとで、「リベラル派」の望む新自由主義政策が断行されるなら、その方がいっそう有利だとさえ彼らは思っている。
しかも小泉政権は、過去のどの政権よりも改憲に積極的な姿勢を見せている。小泉は、どの首相よりも公然と挑発的に靖国への公式参拝をしようとしている。小泉は、過去のどの首相よりも、集団的自衛権の容認と有事立法への意欲を見せている。小泉は、外国人の参政権獲得に対してもきわめて敵対的、消極的である。これらの政策や姿勢はいずれも、戦後、リベラル派のマスコミが反対し、警告を発し、批判してきたものである。だが、今では、『朝日』も『毎日』も、あるいは同系列のテレビ局も、小泉政権の持ち上げに忙しい。
戦後のブルジョア・リベラリズムは、93年政変によって決定的な変質を経験したが、今回の小泉政変によってほぼ完全に保守との区別がつかなくなった。日本のリベラリズムは死んだ。新自由主義と新帝国主義という21世紀日本の基本路線のうちに、リベラル派と保守派はついに相互収斂のための安定した基盤を見出したのである。