この「雑録」は、日本共産党とその周辺をめぐる動きの中で、短くても論評しておくべきものを取り上げて、批判的に検討するコーナーです。
『週刊金曜日』の最新号(7月6日号)の「政治」欄に深津真澄というリベラル派ジャーナリストが「自民党内の矛盾を煽るために参院選挙で戦略的分割投票を」という小論を書いている。この小論の趣旨は、要するに、小泉首相とその改革路線は支持するが、自民党内には守旧派が多いので、選挙区では改革派に投票し、比例区では自民党以外の政党に投票せよ、というものである。全体の趣旨からして、小泉支持であることは間違いないが、なかでも、次の一節は、この雑文の正体を非常によく示している。
筆者は、小泉改革は自民党の統治メカニズムの核心部分を突き崩す可能性をはらんでおり、軽視できないと思う。その一例を挙げれば、郵政事業の民営化である。これ[郵政事業]こそ長年の放漫財政と役人天国を支え、草の根の保守勢力を培養してきた秘密なのである。
郵政三事業のうち郵便貯金と簡易保険は、国の信用をバックに国民から巨額の資金をかき集める。そのカネは財政投融資として特殊法人や地方自治体の公共事業に回され、役人の天下りを横行させ土建業者を潤してきた。見逃せないのは、全国に約一万九〇〇〇ある特定郵便局の役割だ。特定郵便局長は地域の有力者が多いが、彼らこそ自民党の底辺を支える柱石ともいうべき存在なのだ。(8頁)
朝日=毎日系ジャーナリストに普遍的に見られる俗論のオンパレードだ。郵便貯金と簡易保険を通じて集められた資金が財政投融資を通じて特殊法人や公共事業に回されてきたこと、特殊法人が役人の天下りの受け皿になってきたこと、特定郵便局長制度が自民党の集票機構として機能してきたこと、これらはいずれも真実である。われわれはそれに反対だし、そうした状況を抜本的に改めなければならない。それは本来の行政改革として必要なことである。だが、郵政事業の民営化によってそれはもたらされるのか?
まずもって、民営化されて私企業となった場合に、そのような癒着や腐敗が生じないことを証明しなければならない。だが、日本には数多くの民営の大企業が存在するが、これらの大企業こそまさに企業献金などを通じて、自民党に資金提供し、自民党の支配を「上から」支えてきたのではなかったか? 特定郵便局長が自民党の集票機構になっているのはそのとおりだが、民営化されれば、いっそう大ぴらに集票機構として機能することになるだろう。大企業はこれまで、企業ぐるみ選挙を通じて、自民党の集票機構として機能してきた。また、大手運送会社の佐川急便が起こした不祥事、金丸への5億円献金事件を深津氏はもう忘れたのか? すでに民営である大企業が自民党に資金提供し、自民党の集票機構として十二分に機能し、これまで無数の犯罪を犯しているというのに、郵政事業を民営化すれば、あたかも問題が解決するかのように言うのは、読者を徹底的に欺き愚弄するものである。
郵政事業の民営化は問題を解決しないだけではない。国鉄の民営化によって、日本最強の労働運動を誇っていた国鉄労働組合運動が解体され、最強の企業別組合であった国労が徹底的に弾圧され、ついに、屈服にまで導かれた。大量の労働者がリストラされ、本来の仕事をはずされ、労働者としての誇りが徹底的に踏みにじられた。世界一安全であった国鉄だったにもかかわらず、駅員のいない、ないし一定時間しかいない無人駅ないし半無人駅が急速に増え、線路への落下事故や自殺も増えている。郵政事業が民営化されれば、同じように郵便労働者の労働運動は弾圧され、大リストラが行なわれ、労働者はますます企業に対して無力な存在になるだろう。これは、日本の企業支配をいっそう推し進め、そうした大企業支配を通じた自民党支配をいっそう繁栄させるだろう。
世界で福祉が発達しているあらゆる先進国では、労働運動が強力であり、そしてその労働運動を支えているものこそ公共部門の労働組合である。公共部門が発達している国ほど、福祉が発達し、労働者は人間らしい暮らしをしている。日本は、先進国の中で、人口比あたり最も公務員の少ない国である。市場主義の祖国アメリカよりも少ないのだ。日本はすでに過剰に民営化・市場化されている国である。そのような日本でも、かろうじて存在する公共部門が、日本全体の過剰競争体制に対し多少なりとも抑制要因となってきた。そのささやかな抑制要因さえなくなれば、日本はいっそう競争と市場が支配する野蛮な国家になるだろう。
郵政事業がやっていることは私企業にもできる、と新自由主義者はのたまう。しかし、私企業がやっているという宅配運送業は、労働者の苛酷な過密・深夜労働、安全を無視したトラック輸送、低賃金不安定労働者の大量雇用、等々によって支えられている。もし主要な郵便事業が民営化されれば、そのような過酷な状況が今の何十倍にもなるだろう。
郵便事業は全国どこでも同一の郵便料金で郵便物を運んでいる。過疎地域にも郵便局員が確実に郵便物を届けてくれる。民営化されれば、距離によって値段が変わることだろう。都市居住者にとってはそれほど値段が変わらなくても、過疎地域居住者にとっては大幅な値上げになることは避けられない。また、郵便局とその労働者は、過疎地域においては、孤立しがちな高齢者家庭を地域と結びつける不可欠の役割を果たしている。郵便事業が民営化されれば、採算のとれない過疎地域は統廃合されるだろう。
何十万、何百万もの人々の労働と暮らしの激変をもたらす郵政事業の民営化を、そのような激変への想像力のかけらもなしに、あっさり言ってのける深津真澄氏のようなジャーナリストには、「ジャーナリスト」を名乗る資格はない。ジャーナリストというなら、せめて郵政労働者や地方の郵便局の実態について取材してから民営化論について語ったらどうか。都市に住む高学歴・高所得の強者にとっては、郵政事業の民営化などただ、自民党に打撃を与える一手段ぐらいにしか考えていないのだろう。だが、郵政事業を民営化しても、自民党の支配の形態が「公」利用型から「私」利用型へとシフトするだけの話である。その代わり、労働者、庶民が受ける打撃ははかりしれない。
郵政事業の改革は、民営化によってではなく、本来の公共性の理念を徹底することによってのみ可能になる。財政投融資資金の使い方を決定するのは政治の役割である。それを、本当に国民の福祉の増進につながる形で用いなければならない。特定郵便局長制度を特定政党の集票機構として用いることは、公務員の中立性に反する。こうした癒着の構造を打ち破るのも、公共性の理念であって、私利私欲を原理とする民営化ではない。特殊法人の改革もまたそうである。安直な民営化ではなく、公共性の理念、公共の福祉の理念にそって総点検し、改革しなければならない。郵政事業を自民党の党利党略のために利用することから、大企業の私利私益のために利用することへと移行することに、いったいいかなる進歩的意味があるというのか。
小泉改革を礼賛し、郵政事業の民営化の旗を振るこのような雑文が、『週刊金曜日』に堂々と掲載されている事実は、非常に残念である。もちろん、この記事は、編集部の意見を代表するものではない。だが、『金曜日』の編集者である筑紫哲也氏は以前から新自由主義の立場であり、本多勝一氏もしだいにその立場に傾きつつある。とりわけ、郵便事業に関しては、国営の郵便事業を誹謗し、民営の宅配事業を賞賛する記事を『週刊金曜日』の「貧困なる精神」に書いた実績もある。また、これまでも何度も、郵政事業民営化を支持する立場の論文が『週刊金曜日』に掲載されている。リベラル・市民派を気取る『週刊金曜日』が今では、新自由主義改革路線を後押しする立場に事実上移行していることは、日本型リベラリズムの政治的堕落をこの上なくよく示しているのではないか。