この「雑録」は、日本共産党とその周辺をめぐる動きの中で、短くても論評しておくべきものを取り上げて、批判的に検討するコーナーです。
われわれは昨年の『さざ波通信』第15号の論文「政治的配慮と後退の産物 ――2000年総選挙総括をめぐる渡辺治論文への批判」において、『月刊全労連』に掲載された渡辺治氏の2000年総選挙総括論文を詳細に批判した。渡辺氏は、共産党が後退した理由として、新自由主義的改革路線をめぐる本来の争点がそらされたことを挙げていたが、共産党の主体的責任については何も触れていなかった。われわれは、共産党自身の政策(消費税減税の棚上げ、民主党へのすりより、等)がそうした争点そらしを可能にした一要因ではないのかと指摘した。渡辺氏のこの論文は、発表媒体の性格もあって、共産党に対する批判的言及のいっさいのないものだった。そのせいで、総選挙分析は表面的なものにとどまり、説得力の欠くものになっていた。
小泉内閣が登場し、この新自由主義的改革路線をめぐる論点は改めて切迫した性格を持つようになっている。渡辺治氏は、小泉内閣の成立以来、精力的に文筆・講演活動を行ない、その内閣の危険な本質について全面的に明らかにしている。最近出版された『「構造改革」で日本は幸せになるのか?』(萌文社)は、非常にわかりやすい語り口で、この小泉内閣の本質、新自由主義と軍事大国化という二つの改革路線の意味と危険性、それが出てきた経済的・社会的背景、それに対抗する戦略と担い手などについて全面展開している。
そうした議論の流れの中で、渡辺氏は改めて、2000年総選挙において共産党が後退した問題について取り上げ、次のように述べている。
そこで次に、新しい福祉国家の担い手となりうる政党について検討しましょう。新しい福祉国家をつくるための政治変革の担い手として、まず検討しなければならないのは共産党です。共産党は95年総選挙[参院選?――引用者]以来、得票も議席も伸ばしていましたが、これは同党が日本の軍事大国化にも新自由主義改革にももっとも断固として反対したからであると考えられます。ところが共産党は二〇〇〇年総選挙では後退しています。これはなぜだったのでしょうか。くわしいことは省略しますが、共産党の後退の原因としては、総選挙で本来の争点が議論されなかったこと、共産党も自民党政権を倒すことに焦点を絞って、支配層の攻撃の中心である新自由主義改革批判に十分な力点を置かなかったことがあげられると思われます。
今度の総選挙で議論されるべき最大の争点の一つは、新自由主義の改革が本当に日本社会と国民の繁栄につながるのか、という点にあったと思われます。ところが実際には、自民党政権側がこの新自由主義改革をかくしたこともあり、また、民主党が「構造改革」断行を打ち出したこともあって、本来の争点がすっかりゆがめられてしまいました。自民党政権是か非かという争点になってしまったのです。
そして、共産党も自民党政権打倒最優先の立場から、民主党が新自由主義改革を掲げていたにもかかわらず、野党共闘を配慮して批判を抑制し、自民党批判に終始したわけです。しかしそうなれば、有権者は共産党には入れません。民主党に入れるほうが現実的と考えます。共産党は、前回に比して130万票くらい票を落としました。
これを教訓にして、共産党には、旧来型自民党政治手法による公共事業投資や汚職批判のみでなく、小泉政権や民主党の掲げる構造改革に対する正面からの批判を行い、それに対決する、新しい福祉による景気回復と国民経済再建の道を明確に提起することが望まれます。(100~101頁)
いくつか事実関係に関してケアレスミスがある。共産党が前進を開始したのは「95年総選挙」ではなく、「95年参院選」からである。総選挙は翌96年に行なわれている。また、2000年総選挙で、共産党が「前回に比して130万票くらい票を落としました」とあるが、「前回」というのが、96年の総選挙を指すとすれば、落とした票は「130万票」ではなく、「50万票」であり、98年参院選の比例票と比べての数字なら、「130万票」ではなく、「150万票」である。「前回に比して130万票くらい票を落とし」たのは、共産党ではなく、自民党である。
以上のような事実関係上のミスがあるとはいえ、非常に慎重な言い回しだが、共産党の主体的責任がはっきりと指摘されている。渡辺氏がこのような公然たる形で共産党の批判を行なったのは、はじめてのことではないだろうか。これは非常に勇気ある政治的行為であり、左派活動家としての、革新系研究者としての誠実さの現われである。われわれは心からの敬意を表する。
また、われわれは『さざ波通信』第15号の論文で、渡辺論文が社民党の前進についてまったく分析していないことをも批判的に指摘しておいたが、この最新著作では、社民党が前進した理由についてもきちんと指摘されている。
その理由は、社民党が「頑固に平和、元気に福祉」というスローガンを掲げ、総選挙では必ずしも争点となっていなかった平和と憲法の問題を正面をすえて闘ったことが影響したと思われます。(101~102頁)
われわれは、『さざ波通信』第15号で、この社民党の前進との関連で、共産党が選挙直前に違憲の「自衛隊活用」論を打ち出したこと、「日の丸・君が代」の法制化に事実上手を貸すような政策を打ち出したことも、共産党後退の一原因として挙げておいた。これらの政治問題については、残念ながら渡辺氏の新著では指摘されていない。渡辺氏の分析では、共産党から離れた票は民主党に行ったことになっているが、もちろんそういう部分もあるだろうが、むしろ、主に社民党に戻ったと考える方が説得的である。そして、社民党に戻った最大の理由は、まさにこの平和・憲法問題における共産党の右傾化である。とはいえ、新自由主義経済政策をめぐる共産党の民主党宥和路線が誤りであったこと、それが総選挙後退の一要因であったことがきちんと指摘されており、このことの意義は大きい。
革新政治は、甘い幻想にもとづく慰めではなく、苦い現実にもとづく学習によって真の前進を勝ちとることができる。革新派の学者・研究者には、何より、この「苦い現実」を遠慮仮借なく指摘する義務がある。この義務を遂行しようとする学者の誠実さに、党の面子という観点から統制を加えようとする党官僚に災いあれ。このような党官僚、愛党者たちこそ党を滅亡に追いやる元凶である。