日本型リベラリズムの変質と有事立法

1、様変わりしたリベラル派の立場

 すでにトピックスで伝えたように有事立法3法が国会に上程され、審議が始まった。1970年代後半にはじめて有事立法の可能性が浮上したとき、国民世論は激しく反応し、朝日や毎日などのリベラル派マスコミも厳しく警鐘を打ち鳴らした。しかし、それから20数年、マスコミも世論も大きく様変わりしている。もはや原則的な反対論は一部を除いて影をひそめ、有事法制の制定そのものの必要性は認めつつも、その時期や範囲についてのみ異論を述べるという構図になっている。
 たとえば、有事3法案が閣議決定された翌日の『毎日新聞』の社説は、次のように述べている。

 
「世界有数の軍事力を持ちながら有事法制がなく、そうした下で国民の権利を守る法制もない状態は、法治国家としてふさわしくない。その意味では『今から50年前に出来ていないとおかしい。当然やるべきことをしていなかった』という中谷元・防衛庁長官の発言に一定の説得力はある」(4月17日付『毎日新聞』)。

 この社説には驚くべきことに、憲法9条についての言及が一言もない。基本的人権や言論・出版の自由に関わって憲法に言及されている部分もあるが、憲法9条については、あたかもそんなものが最初から存在しないかのように扱われている。「法治国家としてふさわしくない」という非難は、「世界有数の軍事力」があるのに有事法制がないことに向けられるべきではなく、そもそも憲法9条があるのに「世界有数の軍事力」があることにこそ向けられるべきではないか。
 また、4月23日付の『毎日新聞』の「発信箱」では、政治部の記者は次のように書いている。リベラル派大手新聞の、現時点での典型的な考えを示しているので、全文引用しておこう。

 
「  有事立法批判の質について
 有事立法について基本的な立場を示さず、アラ探しの末、アリバイ的に疑問符を投じる言論が多いのが気になる。将来日本が再び全体主義統制の国になるとすれば、その芽は有事立法推進派の中にというより、衰弱した言論の側にあるとさえ思うのである。
 『良い選手(装備)はいるが、戦略・戦術を欠いたサッカーチームみたいなものだ』という評もある自衛隊。その使い勝手をよくするというのが有事3法案だろう。私はそう考えている。それをあたかも侵略的軍国主義の陰謀であるかのように言い立てる宣伝に屈すべきではない。『もう犯罪は起こらないから警察はいらない』という意見が荒唐無稽であるように、国際社会の脅威はないから自衛隊も運用法令の整備も不要という主張は現実的ではない。
 有事法制などなくても、政府はいざとなれば超法規的措置をとるだろうから立法無用という考え方もあるだろう。しかし、連日のように政治家の腐敗と官僚の堕落が報道されている。為政者を無条件に信頼するのもいいが、もう少し民主主義の手続きを大切に考えたいと私は思う。
 政府案に対しては『旧ソ連の大規模侵攻を想定した時代錯誤』という批判がある。『テロ・不審船対策が後回しになったのは防衛庁と警察庁の縄張り争いのせい』という解説も聞いた。いずれも重要な論点であり、国会論戦に期待したい。国家による私権制限も大事な論点だが、国民主権である以上、各人の安保観との兼ね合いで論じられるべきだ。自分の権利しか眼中にない人々に媚びるような言論は有害無益だと思う」。

 各国の軍隊と一国内の警察とをアナロジーするのはナンセンスのきわみである。国家と個人とを同列に扱うこと自体がまったく論理的に成り立たないが、あえてアナロジーするならば、それぞれの国家がもつ軍隊は、個々人が「自衛のため」という口実で機関銃を持ちあるくことに比することができるだろう。そのような状態が犯罪をなくしたり防止したりすることに役立つのか、それとも、不必要な凶悪犯罪を無数に作り出すことに貢献するのかは、誰の目にも明らかである。
 また、イスラエルに侵略されるパレスチナ自治区の惨状を見て、日本もパレスチナにならないように軍隊や有事法制が必要だという議論もしばしば見られる。しかし、過去、大規模な侵略戦争を行ない、戦後もその最高責任者を処罰せずに「象徴」として崇めたてまつり、世界最大の軍隊をもつ国と軍事同盟を結んでいる日本は、いったい、侵略されているパレスチナ自治区に近いのか、それとも侵略しているイスラエルに近いのか? パレスチナの悲劇から引き出すべき教訓は、日本がアジアのイスラエルにならないために憲法9条の価値を見直すべきだということだろう。
 国民世論の動向についても同じような傾向がはっきりと認められる。有事法制反対の運動はどこでも、数千人規模を出ることができず、70年代どころか、80年代とさえまったく様相を異にしている。PKO法案の時には連日のように大集会が行なわれ、大学や職場などで激しい運動が繰り広げられたが、PKO法案などとは比較にならないほど本格的な戦争立法が国会に上程されているというのに、世論は驚くほど静かである。
 世論のこのような保守化の理由については、すでにわれわれは、過去の『さざ波通信』で詳細に明らかにしてきた。その後、不審船事件や9・11テロなどが国民世論の右傾化にいっそう貢献したことは疑いない。ここで改めて検討したいと思うのは、かつては有事法制にきわめて対決的であったリベラル派の変質の理由である。

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