雑録

 この「雑録」は、日本共産党とその周辺をめぐる動きの中で、短くても論評しておくべきものを取り上げて、批判的に検討するコーナーです。

フランス大統領選――ルペンの勝利が教えるもの

 4月21日のフランス大統領選第1回選挙の結果は衝撃的なものだった。誰もがシラクとジョスパンとの一騎打ちになると予想する中で、極右の国民戦線のルペンが社会党のジョスパンを破って決選投票に進んだからである。この予想外のニュースはたちまち世界をかけめぐり、人々の強い不安と危機感を掻きたてた。この結果をどう見るべきだろうか。フランス大統領選挙は5月5日に決選投票を向かえるので、詳しくは、次号で取り上げたいと思うが、ここでは簡単に、今回の結果が日本の政治に与えている教訓について触れておきたい。
 まず、今回の選挙結果をフランス政治の右傾化の結果として単純に総括することはできない。なぜなら、右翼と極右をあわせた得票数(約1600万票)は、1995年の時の大統領選第1回投票時の得票数(約1800万票)よりも200万票減らしているからである。全体として右派が急成長する中で極右が勢力を伸ばした、というわけではない。他方、トロツキスト候補を含む左派の合計得票数は、前回選挙時とあまり変わらず、微減である(それぞれ1200万票強)。つまり、全体として、右派と左派の総得票数に劇的な変化が生じたわけではない。
 劇的な変化が生じたのは、右派および左派のそれぞれの陣営内部での得票の動向である。右派の内部では、極右が100万票増やし、議会内右派が400万票減らした。左派の内部では、左翼連立政府を形成している社会党と共産党と緑の党は150万票減らしたのに対し、政権に参加していなかった3人のトロツキスト候補は140万票も増やした。すなわち、それぞれ、左右の中間部分がやせ細り、両極端が勢力を伸ばしたのである(数字はいずれも、フランスATTACのアギトン報告より)。
 このような結果をもたらしたのは、社共を中心とする左翼連立政府が右派との妥協を重ね、「現実主義」路線をとり、新自由主義政策に迎合し、失業に苦しむ労働者の訴えを真剣に取り上げようとしてこなかったからである。たしかに、35時間労働制は実現したが、それは雇用の不安定化と引き換えであった。失業者とブルーカラー労働者の不満は高まり、その不満の大きな一部は、政権に関与しなかった諸政党に、とりわけ、フランス労働者の党を詐欺的に自認した極右のルペンと、同じく労働者の利益を訴えたトロツキスト候補に流れたのである。
 社会党のジョスパンは、左派が多くの候補者を出し、分裂したために極右に敗北したかのように言っているが、それは欺瞞である。フランスの大統領選挙というのは、普通は第1回投票での上位2者による決選投票が行なわれるので、最初の選挙では、各党が独自の候補を出すことがほとんどである。今回、トロツキスト候補が複数出たとはいえ、通常よりも特別に多くの左派候補が立候補したとは言えない。また、右派自身も、それぞれ独自の候補を出している。問題は左派の分裂それ自体にあるのではなく、多くの有権者の支持を自らに集めることのできなかった最有力左派候補(フランス社会党のジョスパン)の支持低下にある。
 フランス共産党も同じく有権者から断罪された。今回の共産党候補者(ユ書記長)の得票率は、フランス共産党の歴史上最低の3%台であり、2人のトロツキスト候補(ラギエとブザンスノー)のそれぞれの得票率にもかなわなかった。とりわけ、今回の選挙が初めての立候補であり、まったく無名であった27歳の郵便労働者のトロツキスト候補者ブザンスノー(LCR)にさえ、80年以上の伝統を持つ共産党が後じんを拝したことは、同党にとって歴史的断罪というべきものである。
 以上の選挙結果から日本の革新勢力が導き出すべき教訓は何だろうか? それははっきりしている。急速に階層分化が進み、新自由主義と多国籍企業主導のグローバリズムが猛威を振るう現代においては、「現実主義」に傾倒して「右にウイングを伸ばす」戦略は、ただ有権者の失望を買って、右派あるいは極右を利するだけである、ということである。このことは、日本においても、より緩和された形でだが、示されている。すなわち、1990年代後半に躍進を続けた日本共産党は、1998年以降、政権入りを狙って穏健路線、妥協路線をとるようになったが、それはただ自民党を利しただけであった。フランスと異なるのは、日本では階層分化と政治的分化がまだきわめて弱く、したがって、極右と極左が大きく伸張するようなラディカルな発展力学はまだ見られないことである。日本では、共産党よりも左の党派は大衆的な規模ではまったく登場していない。また、極右政党もまったく大衆的基盤を持っていない。日本では、両極端の不在のもとで政治力学が動いている。
 したがって、現在の共産党の右傾化路線がただちにファシストの伸張をもたらすわけではない。そのような危機的情勢にはない。しかし、現在のフランスが未来の日本ではないと断言できる理由は存在しない。いや、場合によっては、未来の日本は現在のフランスより深刻な事態になる可能性のほうが大きい。なぜなら、フランスには強力な大衆運動や労働運動が存在し、失業者が組織され、大規模な反グローバリズムの生き生きとした闘争が存在するが、日本にはそのようなものはほとんど存在しないからである。したがって、場合によっては日本では、共産党よりも左のオルタナティヴが存在しないままに、右の勢力のみが伸張するという事態もありえないわけではない。極右の石原を当選させた東京都知事選挙は、そうした暗い未来を先取りしていると言えるかもしれない。
 さらに、日本においては、社会民主主義勢力がフランスよりもはるかに脆弱で、保守的である。日本の社会民主党は、国政の舞台で共産党より少数の支持しか集めていないというだけでなく、地方政治では今なお、自民党との相乗りを常態化させている。保守候補に対する対抗馬さえ出さずに、保守候補を政権党といっしょになって応援する社会民主主義政党とはいったい何なのか? 個々の国会議員の個性やパフォーマンスに頼って支持を広げようとする同党の戦略は、辻元事件で完全に水泡に帰した。必要なのは、テレビ受けするパフォーマンスではなく、これまでの「保守化」路線を根本的に転換することである。社会民主主義政党に対して、社会民主主義を乗り越えろなどという無理な注文はわれわれはしない。それは、自分の頭を飛び越えろと言うに等しい。しかし、「社会民主党」を名乗るならば、せめて「社会民主主義」的な対決姿勢を、国政でも地方でも示すべきであろう。
 以上のような日本政治の特殊性を考えれば、日本における共産党の歴史的使命は、フランスの共産党に比べてはるかに重いと言わなければならない。日本型ルペンを出させないためにも、共産党の左翼的改革は不可欠である。

2002/4/28  (S・T編集部員)

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