今年、日本共産党は創立80周年を迎える。戦前の暗黒の天皇制ファシズムの時代に創立されて以来、戦前の侵略戦争反対、天皇制打倒の英雄的闘争の時代から戦後民主主義運動を担った時代まで、共産党が一定の進歩的役割を果たしてきたことは言うまでもない。この歴史を、創立80周年という節目に振り返り、その積極面と消極面の両方から将来の発展に向けた貴重な教訓を引き出すことは非常に重要なことである。本来、共産主義政党は自らの誤りを直視することを恐れない。労働者階級の自己解放を目的とする共産主義政党は、何よりも自らの失敗と誤りから学ぶのである。
だが、7月8日に東京国際フォーラムで開催された党創立80周年記念講演会での不破議長の講演(「上」)、「下」は、そのような性格のものとはまったく異なっていた。それは最初から最後まで自画自賛に終始し、とりわけその戦後史論は民族主義的解釈に特化したものである。以下に、主として戦後史論に焦点を当てて、批判的に検討したい。
不破議長は、日本共産党の戦後史をめぐっては「日本の従属国化に対する闘争」と「ソ連覇権主義に対する闘争」についてしか語っていない。綱領にさえきちんと書かれている日本の帝国主義的復活についても、戦後日本が行なった周辺国への帝国主義的経済進出についても、あるいは、日本独占資本による支配についても、アメリカの侵略に対する全面協力についても、ほとんど、ないしまったく語られていない。あたかも日本が、第3世界型の半植民地国で、ひたすら可哀想な被害者であったかのごとくである。これは極端に歴史を歪曲する議論である。
まず不破議長は、戦後史について語る冒頭でこう述べている。
「日本が二十世紀に経験した、もう一つの重大な転換は、大戦後、アメリカの事実上の従属国という立場に、転落したことであります」。
「従属国への転落」とは、それ以前は立派な独立国だったのに、哀れな従属国に転落したということを示唆している。不破氏の価値観においては、「独立した」侵略的帝国主義国であることと、従属した「非帝国主義国」であることとでは、後者よりも前者の方が劣るものらしい。この民族主義的口吻は、その数行先でさらにエスカレートしている。
「だいたい、日本が外国にたいする従属国家になるというのは、日本の歴史のなかでかつてなかった事態であります。日本が文書による歴史を持つようになってから約1300年たっていますが、外国の従属国になるなどは、この間に一度もなかったことです」。
1300年の歴史においてただの一度もなかったこと! 民族主義的憤怒に駆られた不破氏は声を張り上げる。いったいこれは、右翼民族主義者の発言なのか、それとも自由主義史観にかぶれた保守オヤジの発言なのか、われわれにはわからない。その1300年の歴史の中で、日本は何度となく朝鮮半島に侵略を行なってきた。だが不破氏の講演ではこの面については何も語られない。ああ、日のいずる国の悠久の歴史で従属国という屈辱を受けるとは何たることか! 不破氏の心を満たすこの民族主義的感情に、われわれはただ当惑するのみである。
また不破氏は、終戦直後の占領状態が何と21世紀まで続いているかのような極論まで展開している。
「日本が戦争に負けたとき、ポツダム宣言を受諾しました。これは連合国の共同の要求でした。そしてその実行を保障するために、連合国が日本を占領下におきました。これは、国際的な正当性を持っていました。しかし、そのときに、世界は、この占領が21世紀まで続こうとは、だれも予想をしていませんでした」。
終戦直後の占領状態においては、GHQの命令が絶対的権限を持ち、国会での審議さえ経ることなくただちに効力を持つことができた。占領軍が各所に武器を持って国民に目を光らせていた。このような状態がサンフランシスコ講和条約発効後に少なくとも本土ではなくなったのは言うまでもない。在日米軍の存在と安保条約による縛り、そして支配階層の構造的な対米従属体質は、日本の変革課題において決定的ともいえる重要な意義を持っているが、そのことと、終戦直後の占領状態が今日まで続いているということとは、まったく異なる。日本の対米従属という規定は高度な社会的・政治的規定であって、法的な意味での占領状態が続いているということではまったくない。わが党の1961年綱領でさえ「半占領状態」という言い方をしていたのであって、けっして、終戦直後の占領状態がそのまま続いているというような非科学的で空想的な「従属」規定をしてはいなかった。しかも、この「半占領状態」とは、当時、まだ沖縄と小笠原がアメリカの直接統治下にあったという現実を前提にした表現であった。さらに、1994年の綱領改定で、61年綱領にあった「アメリカ帝国主義になかば占領された事実上の従属国となっている」という規定が改定されて、「国土や軍事などの重要な部分をアメリカ帝国主義ににぎられた事実上の従属国となっている」という規定になっている。「なかば占領された」という表現さえ綱領では削られているのである。にもかかわらず、この80周年記念演説では、現状認識が60年近く逆戻りして、「この占領が21世紀まで続いている」というとんでもない命題にまで高められてしまっているのである。
さらに、不破氏の民族主義的憤激は続く。
「しかも世界はどういう時代かといえば、民族の自決権、主権・独立が支配的な流れとなり、かつては植民地、従属国とよばれてきた諸民族のほとんどが政治的独立をかちとり、国際政治の重要な勢力となってきた時代であります。
そのときに、1億2000万の人口と、世界で有数の経済力をもつ日本が、半世紀をこえる長きにわたって、事実上の従属国の状態に甘んじているということは、私は、世界史の中でもきわめて異常なことだといいたいのであります」。
これもとんでもない事実の単純化である。「かつて植民地と呼ばれた諸民族」とは、文字通り、法的な意味でも他国の支配下、あるいは国の一部とされてきた国々であり、それらが「政治的独立をかちとった」というのも形式的・法的に独立をかちとったということでしかない。その意味でなら、日本も1951年のサンフランシスコ講和条約によって独立国になっている。だが共産党綱領が言っている「従属国」規定とは、このような法的な意味での「従属」ではなく、構造的な意味での「従属」である。たとえば、法的には男女平等であるが、構造的には男性の支配と女性の従属は続いている。同じ「従属」と言っても、意味は大きく異なるのである。この違いを不破氏は完全に無視して、「日本の従属の異常さ」を異常に強調するのは、現実を著しく単純化することである。
この不破氏の言い分がもし正しいとすれば、形式的に独立国になった他の諸民族はほとんど、政治的・社会的・経済的にも完全に独立国になっているのでなければならない。だがもしそうだとすれば、いったい帝国主義国はどこに存在するのか? 「新植民地主義」という概念はどうなるのか? 従属学派の言う「従属」概念がどうなるのか? 現代帝国主義は、形式的・法的には相手国の独立を承認しながらも、政治的・経済的にはさまざまな支配権力を行使する。だからこそ帝国主義なのである。だが不破氏の言い分によれば、「世界の憲兵」であるはずの天下のアメリカ帝国主義は、世界でただ一つ、日本という従属国しか持たないことになる。何というちっぽけで惨めな帝国主義国であることか!
さらに不破氏は、こうした誤った状況認識にもとづいて、日本の最大の変革課題は真の独立を達成することであるとさえ言っている。
「この状態を打破して、主権国家としての日本の地位を全面的に回復するということは、私は、21世紀に日本がなしとげるべき最大の国民的課題の一つだと思います」。
「主権国家としての日本の地位を全面的に回復すること」が「21世紀に日本がなしとげるべき最大の国民的課題」だとすれば、日本独占資本の支配の打倒というもう一つの課題はどうなるのか? それは、2次的な課題なのか? この不破演説は、アメリカ帝国主義と日本独占資本の支配を「2つの敵」とした日本共産党綱領の立場さえ踏みにじるものである。この不破演説では、「2つの敵」のうち一方が完全に消失し、事実上、「1つの敵」論になっている。
これは、この講演だけの偶然的な発言ではない。この間、不破指導部は、日本独占資本による支配の打倒という党綱領の革命的課題をしだいに棚上げし、「ルールある資本主義の確立」という純改良主義的課題に矮小化するようになっている。この改良主義化の行き着く先として、今回の記念講演があるのである。
もちろん、こうした不破氏の認識の根は綱領そのものにもある。日本共産党綱領は、日本支配層の構造的な政治的対米従属という問題を、日本の「従属国」化という命題にずらし、「真の独立の達成を」という民族主義的革命戦略に結びつけている。われわれはすでにこうした規定の誤りと一面性については批判してきた。だが問題は、今回の不破演説が綱領のこうした限界をもはるかに越えて、民族主義的従属国規定を純化、徹底させていることである。これは綱領違反の演説ではないのか?