すでにトピックスでも取り上げられているが、共産党の志位委員長は、日本国首相小泉の北朝鮮訪問 ・首脳会談を無条件に歓迎する姿勢を示している。
小泉の北朝鮮訪問については、さまざまな議論が起こっている。これが、日本政府なりの打算と利害(と同時に、金正日政権なりの打算と利害――経済援助の取り付けなどのような)に基づいて行われることはいうまでもないし、したがって、まともな留保すら付けることなく歓迎するのが「きわめて安直で危険なこと」という指摘はその通りであろう。
過去の例を参考にしよう。1972年に、南北朝鮮政府によって「南北共同声明」が結ばれたとき、日本 共産党はどういう立場をとったか。もはや忘れ去られているかの感もある、独習指定文献の、不破哲三 『ソ連・中国・北朝鮮――三つの覇権主義』によろう。
まず、「日本共産党は、……党としてもこの『南北共同声明』を単純に支持する態度は表明しませんでした」(240ページ)。
そして、その理由の1つとして、当時の主張は、「『南北共同声明』が二つの政府のあいだの外交上のとりきめである以上、その真の性格と内容については、……もう一方の当事者である『韓国』朴政権 およびその背後にあるアメリカ帝国主義の意図との関連をぬきにしては、正しく評価することはできない」というものだった。
ここで当時の主張を立ち入って検討はしないが、この「共同声明」の後に、朴政権は、南北対話を進 めるために強力な国家体制が必要という口実のもと非常戒厳令を布き、改憲を通じて独裁体制を固めたことを思えば、「共同声明」を単純に支持しないという当時の共産党の態度は評価できるだろう(なお、金日成政権も同じ時期に新憲法を制定し、国家体制を固めた)。
乱暴な比較は禁物だが、きわどい票差で大統領選を勝利した(それ自体疑わしいのはいうまでもないが)直後だった朴政権が事態の打開策として「共同声明」を利用したというのは、支持率低落の小泉政権とどこか似通っていないだろうか。
そして、今回の共産党指導部の態度にはもう1つ問題点があるように思われる。
それは、結論からいえば、「金正日政権への遠慮」である。今回の日朝会談には、金正日政権も彼らなりの思惑と打算で意義を見出している。それに対して、批判めいた態度をとることはすまい、という発想もあるのではないか。最近になって朝鮮総連と関係修復し、朝鮮労働党との関係改善も「(朝鮮総連と)同じ方式で解決をはかることができる」(志位 『しんぶん赤旗』2002年9月12日)という同党指導部にそういう発想があってもふしぎではない(註1)。
だが、ふたたび1972年の「南北共同声明」の例を引けば、このとき「北朝鮮の意見を代表した『朝鮮総連』(在日本朝鮮人の組織)の強力な働きかけと圧力」のもと「「平和・民主運動の一部に、これ〔 「共同声明」〕を歓迎して日本の国内で『南北共同声明』支持運動をおこなおうという意見がもちこまれ」たが、「日本共産党はこれに同調しなかった」のである(不破哲三『ソ連・中国・北朝鮮――三つの覇権主義』240ページ)。
こうした、「社会主義国」の外交政策と日本共産党の政策とが食い違うという事例はこれまで多数存在した。個々の例ごとに判断すべきだが、こうした事例の中には、日本共産党の民族主義的反発という面もあるが、同時に、「社会主義国」(あるいはその政権)が自己の狭い利益のみを追求することに反対するという積極的側面をも持っていたし、ある意味では同党のいうように真の国際連帯の精神でもあった(たとえば、東ドイツ政権の中曽根内閣美化批判、フルシチョフのケネディ美化批判、米中接近批判など)。
こんにちの日本共産党指導部はこうした積極的側面をますます失っているように見える。そして、それは同党の民族主義の深化と表裏のものではないか。自国の国益が第一で、国際連帯も他国の人民もどうでもいいとなれば、「社会主義国」の政策の是非など知ったことではないのは当然である。今回の場合も、金正日政権は少なくとも今のところ日朝会談に意義を見出している。だが、そのことと、それが 朝鮮や日本の人民にとってもつ意味とは別である。「友好」ムード演出のもとで、小泉政権が強化されることも、金正日政権の延命も、いずれも両国人民にとって望ましいことではない。あくまでも、労働者・人民の立場で物事を判断していかなければないという単純な基準をあらためて確認するべきではな いだろうか。
(註1) 志位委員長は、ここで、朝鮮労働党との関係断絶の問題について、「旧ソ連とか中国・毛沢東派からやられた、日本共産党のなかに、自分たちのいいなりになる分派をつくって、(党指導部を)ひっくり返そうというような干渉問題と違って、 論争問題」だと述べている。たしかに、朝鮮労働党は、中ソのように「日本共産党のなかに」支持勢力を育成するようなことは行わなかったのかもしれない(私は十分知らないのでまったくなかったかどうか断言はできないが)。
しかし、不破『ソ連・中国・北朝鮮――三つの覇権主義』では、日本での北朝鮮「盲従グループ」育成などに触れて、「(朝鮮労働党が)日本の国内に、このような対外追従主義の活動をもちこむこと、とくに『日本革命』の名において、それをすることは、どこか外国の国の問題ではなく、日本の革命運動の自主性への攻撃であり、日本の革命運動に責任をおう日本共産党として、けっして見すごすことのできない問題です」(247ページ)とされており、たんなる「干渉問題と違って、 論争問題」という見解とは食い違う。なお、これは不破・志位の食い違いではなく、不破議長も以前同様のことを述べている(『しんぶん赤旗』2000.08.24)。あるいは、党と党との間では「干渉問題ではなく論争問題」だが、日本国に対しては干渉問題もある、とでもいう余地があるのかもしれない。ともあれ、同党指導部にとって「けっして見すごすことのできない」はずの問題は、「見すごして」いるかはともかく、語ら
れることはなくなってしまったようだ。