本稿を書き上げたあと、兵本氏の手記「不破共産党議長を査問せよ」(『文藝春秋』12月号)に対する橋本敦氏の反論「『拉致調査妨害』など事実無根」が、11月17日付の『しんぶん赤旗』に掲載された。
兵本達吉(元橋本敦議員秘書)氏は、拉致被害者家族を訪ね歩いて調査を重ね、家族の会の結成に努力したが、98年8月に警備公安警察官との接触を理由に除名されている。兵本氏は、除名にいたる経緯を今回の手記で明らかにしているが、橋本敦氏の反論でも指摘されているように、この手記には、明らかに反共の意図をもった奇妙な点があるので、それを差し引いて読む必要があろう。
たとえば、「日本共産党こそ拉致調査を妨害した元凶である」という副題がつけられており、導入部でも「私の知るかぎり、最も露骨に、そして明らかな意図をもって調査活動を妨害したのは日本共産党だった。共産党が拉致被害者の救出にどんな邪魔をしてきたか、ここで明らかにしたい」と兵本氏は述べている。もちろん、そんなことはありえず、続く本文は、この副題や導入部の記述とは一致せず、竜頭蛇尾もはなはだしい。兵本氏が手記で述べていることは、つまるところ、彼が議員秘書として拉致問題にどのように関わり努力してきたかということ、それなのに除名されたということは、党が拉致問題を棚上げしたからではないか、ということに尽きる。そして彼は、拉致問題棚上げの動機として、党が「日本国政府より先に北朝鮮と関係正常化を図る。いち早く良好な関係を築けば、利権の確保も狙える」といった目論見をあげる。
だが、上述したように、98年以後に共産党が「物証がない」という理由で拉致問題追及のトーンを下げ、朝鮮労働党との関係改善に方向転換したのは、政権入りを想定した党の対外政策の転換によるものあって「利権の確保」のためでない。共産党が「利権の確保」というような動機で政策を変更するような党でないことは、兵本氏も承知しているはずである。ただ、いずれにせよ、兵本氏の除名が党指導部の政策転換という動機に基づいたものである可能性は十分ある。
一方の橋本氏の反論も、共産党の無謬性・一貫性を主張している部分については、お粗末である。彼は、91年の日朝会談における「李恩恵」に関する日本側からの照会について北朝鮮側が否定したことも、昨年の赤十字交渉で「行方不明者」の調査を北朝鮮側が打ち切り通告したことも触れていない。なぜなら、「無条件に交渉ルートを開け」という不破氏の主張にそって日朝会談が再開され、今回の日朝首脳会談につながったという説明が破綻するからである。「無条件に交渉ルートを開け」という主張は2000年に日朝会談が再開したことに貢献したことは言えるだろうが、拉致問題にまで結びつけるのはムリがある。
なぜ北朝鮮がこれまで否定してきた自らの国家犯罪を部分的であれ認めるに至ったのか? それは、赤十字交渉で「日本人行方不明者」の調査を一方的に打ち切ったり再開したりした経過で明らかなように、交渉の進展の結果というよりも、むしろ北朝鮮を取りまく内外情勢の変化とそれに対する朝鮮労働党の対応の変化によるものである。それはそれで的確な分析を行ない、国民に示すことが政党の役割というものであろう。