まず一般論として、社会主義への過渡期において、あるいは社会主義の段階に到達して以降でさえも、市場経済の一定の限界内での利用が必要であるのは言うまでもない。市場の完全な廃絶を自己目的化するのはナンセンスであり、それは経済の混乱をもたらすだけだろう。市場の果たす役割は大きく縮小しているだろうが、その全廃を展望する確固たる根拠はない。とりわけ、個々の消費者を対象とした消費財市場に関してはそうである。長期にわたる社会主義建設の果てに市場というものがどのような変貌を遂げるのか、あるいはそれに代わるどのような代替物が生まれてくるかは、歴史の審判に委ねるべきである。われわれをそれを今の時点でアプリオリに特定化し一般化することはできない。
だが現在問題になっているのは、そうした遠い未来のことではなく、現在の後進国における社会主義への過渡期における市場経済の利用である。
この点について不破議長は、「市場経済の道が社会主義に到達する道として成功するためには、なにが必要か」という問題を設定し、それに対して次のように答えている。
「第一にとりあげたのは、社会主義部門が、市場での競争を通じて、資本主義に負けない力をもつようになること、その立場で、内外の資本主義から学べるものはすべて学びつくす、ということです。……
二番目に話したのは、『瞰制高地(かんせいこうち)』が大事だというレーニンの提起でした。……市場経済のなかで社会主義への方向性を見失わないためには、経済の全体に影響をあたえるような『瞰制高地』を、社会主義の側にしっかりにぎりつづけることが大事だ――これが、レーニンの『瞰制高地』論でした。
では、経済のなかで、何がにぎるべき『瞰制高地』なのか。レーニンは、当時、『工業と運輸の分野の生産手段の圧倒的な部分』を社会主義国家がにぎっているということを、『瞰制高地』確保の主な内容としてあげました。これは、時代が違い、条件が違えば、おのずから変わってくる問題です。
三番目にとりあげたのは、市場経済が生み出す否定的な現象から社会と経済をまもる、という問題です」。
つまり、まとめれば、(1)社会主義部門が資本主義に負けない経済力を身につける、(2)管制高地を社会主義の側が握る、(3)市場経済が生み出す否定的な現象から社会と経済を守る、以上の3つがあれば、市場経済の道が社会主義に到達する道として成功する、ということになる。いずれも一般論的には必要なものではあろう(ただし、(1)の意味を不破氏のように機械的に理解するならば、社会主義部門が単なる第2の資本主義部門になってしまう危険性がある。この点については川上通信員の適切な批判を参照のこと)。だがここには、企業の労働者管理や政治的民主主義などを含む「労働者民主主義」の問題も、あるいは後進国経済に特有に見られる都市と農村との矛盾・対立の問題も、各国の「社会主義」建設の運命を左右する世界革命の問題もまったく指摘されていない。
不破氏が指針としているはずのレーニンは常に、後進国ソ連における社会主義建設成功の根本条件として先進国における革命の成功を挙げていた。不破氏は今なお、この問題に関してスターリンの一国社会主義路線が正しく、トロツキーが誤っていたと「歴史解釈」している。つまり、不破氏は、中国を取り巻く巨大な資本主義世界市場の真っ只中で、時間をかけさえすれば、中国だけで完全な社会主義が成立可能であると考えているわけである。これは、レーニンの路線ではなく、一国内で「亀の歩みの」社会主義建設を展望したブハーリンの路線であり、1923~28年におけるスターリンの路線でもある。この路線は、工業の発展の遅れから都市と農村との衝突を生み、スターリンの冒険主義に道を譲った。
だがもっと重要なのは、中国指導部のとっている路線がこの3つの基準に照らしてどのように判断されるべきかである。