不破哲三氏が事実上日本共産党の最高指導者になって以来、国内では安保問題棚上げの連合政府路線の追求、財界との協力の模索などをする一方、対外的には、野党外交と称して、アジア各国やイラクなどの開発独裁国家の政府・与党関係高官との無批判な「対話」を進めることで、共産党の存在意義を押し出そうとしている。
この「野党外交」の本質については、すでに、『さざ波通信』第7号の論文「日本共産党の東南アジア歴訪の政治的意味」において詳細に明らかにしている。われわれはその中で次のように述べた。
「第21回党大会で『アジア重視』を掲げたことを受けて、今回の東南アジア歴訪となったのだが、その内容はまったくもってお粗末なものだった。不破委員長を団長に、緒方靖夫参院議員、佐々木憲昭衆院議員、大内田和子日曜版編集長、浜野忠夫書記局次長、西口光国際局長といったそうそうたるメンバーで行ったにもかかわらず、現地では労働組合指導者や市民運動活動家や野党指導者といった人々とはいっさい会わずに、ひたすら政府筋の人間との交流を深めてきただけだった。これが、共産党の『野党外交』だろうか? とくに、ブルジョア開発独裁国家であるマレーシアとシンガポールを訪問したときの共産党代表団の態度は噴飯ものだった。
代表団メンバーは、政府の高官に手厚く迎えられて心から感動し、これらの国に対する許しがたい賛辞をふりまいた。彼らには、この両国で呻吟する女性労働者や移民、反体制運動家たちの声などまったく聞こえないのだろうか?」。
つまり、彼らの言う「野党外交」とは、その国の社会変革の担い手であるはずの草の根の民衆、労働者、市民を無視して、時の政権の高官たちや官許研究所の有力者たちと友好的に対話し、その政権が行なっている弾圧政策に暗黙の了解を与えることでしかない。これはかつて、ソ連や中国の党幹部がよく日本に対してやっていたものであり、このとき日本共産党は自民党政権美化であるとして厳しく批判していた。かつて共産党は、ソ連などが日本社会党を「平和愛好勢力」だと評価することさえ「内政干渉」だとして糾弾していたぐらいである。しかし今では、わが党の幹部自身が、社会党どころか、開発独裁国家の政権を美化しているのである。
こうした姿勢の一つの帰結が、北朝鮮の拉致問題における失態である。日本共産党にとって幸いなことに、この問題に関しては、共産党の指導部と北朝鮮指導部とが仲良く会談するところにまで行く前に、今回の事態が生じた。おかげで、共産党は、社会民主党が被ったほどの醜態をさらさずにすんだ。だが、もし今回の金正日による告白がもっとあとで生じていたとしたら、その間に日本共産党と朝鮮労働党との和解が進み、両党の幹部クラスが会談して、わが党の幹部が拉致問題に関する北朝鮮側のご都合主義的説明を受け入れるという事態になっていたかもしれない。実際、志位氏は、「トピックス」ですでに批判したように、朝鮮労働党との和解をも念頭に置いていたのである。
同じく、不破氏が最高指導者になって以降、わが党指導部は中国当局との関係を著しく深め、つい最近では不破議長がわざわざ中国を訪問し、わずか5日間の訪問について44回もそのときの模様を『しんぶん赤旗』に連載するというぐらい熱を入れてきた。さらに不破氏は、今年の11月に開催された「赤旗まつり」で「21世紀の資本主義と社会主義――ふたたび『科学の目』を語る」(上、下)と題した長時間の講演を行ない、その中で中国政府当局の「社会主義」建設を無批判に賛美している。
この講演には、すでにこれまでの『さざ波通信』や投稿欄などで批判されてきたのと同じ自画自賛や歴史の歪曲、市場経済についての一面的理解(この点については、本号所収の川上通信員の論文を参照のこと)などが見られるが、その点については繰り返さないでおこう。ここで取り上げるのは、この講演に示されている現在の中国「社会主義」に対する不破氏の一面的評価である。
たとえば、不破氏は次のように述べている。
「中国は、経済的な国づくりについて、どういう方針をもっているのかというと、私は、たいへん落ちついた展望の立て方をしているところに、一つの特徴があると見ています。
50年代から70年代にかけての毛沢東時代には、『大躍進』とか『人民公社』運動とかいって、社会の発展を急ぐ――未来社会でも高い段階だとされる共産主義の段階に、いまにも駆け上がるんだといった、いわば“急ぎ過ぎ”の傾向が、強くありました。
しかし、いまは違っています。中国の方針では、現在は、社会主義の『初級段階』の建設が課題だとされています。これは、15年前、1987年の党大会で決めた方針で、説明によると、この『初級段階』を卒業するのに、ほぼ百年かかる見通しだというのです。百年という長い視野で計画を立てているのですから、これはなかなかなものです。経済の発展水準としては、百年間の『初級段階』の中間点――50年たったところで、世界の中進国の水準に到達することを、中間目標にしています。こういう目標の立て方を見ても、着実で落ちついた前進の方針をもっている、と思います」。
後で見るように、かつて共産党はこの「100年説」に単純に与せずむしろ批判的であったが、ここでは「なかなかのもの」という一面的評価が与えられている。現在の労働者の艱難辛苦を考えれば、この状態が100年も続くことを容認するわけにはいかないだろう。いずれにせよ、世界情勢の動向とは無関係に、一国内だけでこのような期間設定をすること自体、不毛でナンセンスな試みである。
さらに不破氏は、実際に中国を訪問してきた経験から、次のように述べている。
「4年前の訪問のとき、工業施設として案内されたのは、一つの石油化学コンビナートでした。旧来型というか、以前から活動していた国有企業で、こんどは市場経済という新しい条件のなかで仕事をしなければならなくなり、労働者の余剰人員をどうするかなど、経営にたいへん苦労しているという話を聞きました。
こんどの訪問では、同じ公的な部門でも、まったく新しい形態のものが生まれて、市場経済のなかで、実に活き活きと活動しているところを見ました。
北京の一角の中関村(ちゅうかんそん)に、一万をこえるハイテク企業や研究機関が集中する『サイエンスパーク(科技園区)』が生まれたのです。中国のシリコンバレーなどと呼ばれているようですが、そこでは、新しい企業がどんどん生まれています。外国に留学して帰ってきた研究者や技術者が、自分で起こしているベンチャー企業もたくさんあります。これらは、もちろん、私的な企業です。
この地区には、公的な企業もありますが、その形態が独特なんです。たとえば、中国科学院という政府のお役所がつくった企業がある。『連想』という企業集団で、科学院で働いている科学者や技術者が中心になって設立した公有企業です。また北京大学がつくった『北大方正』、清華大学がつくった『清華同方』など、新しい型の公有企業の集団が立ち並んで、ハイテク最前線の仕事をしているわけです。それぞれ急成長をとげて、『連想集団』などは、海外にも進出して、世界で何番目と指折り数えられるような巨大なコンピューター企業になっています。
企業の形態の中身まで詳しく見てくる時間的な余裕はなかったのですが、市場経済をふまえての躍進の息吹を実感させる新しい発展が、たいへん印象的でした」。
中国の「かっこいい」ハイテク面だけを見学してきたおのぼりさんよろしく、中国の現状を「市場経済をふまえての躍進の息吹を実感させる新しい発展」とまさに手放しで賛美している。だが本当に中国「社会主義」はこのような無批判な賛美にふさわしいものなのか。