共産党の支配が「社会主義への接近」とは必ずしも同義語ではないことは、ソ連の崩壊が教えるところである。報じられるところでは、中国共産党は「資本家の入党」を認めようとしているとのことである。「国民の党・民族の党」への脱皮といったところかもしれない。共産党による一党支配のもとで、腐敗した党官僚による党内支配が貫徹していれば、党の変質がやがては、国家権力そのものの変質につながる。
70年の長きにわたって共産党の一党支配が続いたソ連では、民衆が政治に参加する道がほとんど閉ざされてしまった。この結果、ソ連末期には変革の力はわずかに共産党上層部にしか存在せず、社会の底辺を構成する人々が変革に参加することもなかった。
社会主義へ接近する原動力は社会の下層を構成する労働者や農民以外には存在しない。レーニンが革命権力の担い手と位置づけたソビエトは非常に早い時期に形骸化し、共産党の一党支配がこれに代わった。ソ連における共産党の一党支配および党官僚による共産党支配は、社会の下層を構成する労働者や農民の政治参加の道を閉ざしてしまった。
革命権力はもともとこれらの人々の権力として成立したはずである。国家権力が変質してしまえば資本主義への回帰は容易なことである。レーニンは「瞰制高地の掌握」について「プロレタリアートが、その手にかたく権力をにぎっており、運輸と大工業とをその手にかたくにぎっているかぎり、その点でプロレタリア権力にとって恐ろしいものはなにもない。」(『レーニン全集』32巻、p.394)と述べているのであり、「国家権力の掌握」がその大前提であり、権力を失ったり、権力が変質したりすれば「瞰制高地」云々はもはや何の意味も持ちえない。
現代の社会主義が、あるいはかつてのロシア革命後の社会主義が、資本主義を内包して進む以外に道がないとすれば、その道はジグザグの道をたどる以外にはないであろう。現代中国における最大の危険は国家権力の変質である。これを防ぐ最大の保障は「社会の下層を構成する労働者や農民の政治参加」であると思われる。
グローバリズムの名の下にアメリカ帝国主義による世界支配がますます進行している。本稿ではこれについてほとんど語らなかったが、アメリカ帝国主義との闘いなくして社会主義への接近もありえないであろう。