不破講演「レーニンと市場経済」によせて

不破氏の提言

 不破氏は「市場経済を通じて社会主義への道」について、レーニン全集から3つの提言を紹介している。要約すると以下の通りである。
①社会主義部門が資本主義から学ぶ。生産性、経済効率だけではなく「環境問題、公害問題を含めて資本主義に負けない」社会主義の優位性を発揮する。
②経済全体の要をなす「瞰制高地」を握る。
③市場経済が生み出す否定的な現象から社会と経済を防衛する。
 社会主義部門が資本主義から学ぶことは当然のことである。しかし、不破氏は、「市場での競争」で「生産性、経済効率」だけではなく、「労働者の職場での安全の問題」、「環境問題、公害問題」の面でも、社会主義がその優位性を発揮して「社会主義部門が資本主義に負けない」ことを強調している。
 不破氏は自分が何を言っているのかを考えなければならない。不破氏がいうような経済システムすなわち「生産性、経済効率は高く、環境破壊はなく公害も出さない、労働者の安全にも十分に配慮した『魔法のような』経済システム」が可能であれば、資本主義がこれを取り入れないはずはない。
 資本主義生産はもともと厳しい競争をその存立原理としている。労働条件、労働安全衛生、環境公害などにかかる経費を可能な限り削減することが、競争に打ち勝つための重要な条件である。たとえば、現代日本においても自動車産業などにおいて、三交代制勤務が常態として行なわれている。病院や警察、消防などと違って夜間労働が不可欠な分野ではない。労働者に人間らしい生活を保障するという観点に立つならば、このような夜間労働を労働者に求めるべきではない。三交代制勤務はまさに市場経済に必然的に付随する競争原理が要求するものである。
 なるほど今日の資本主義的生産においても、さまざまな法的規制が行なわれ、労働条件についても、環境破壊についても一定の枠がはめられ、資本の思うがままにはならない。しかし、これは経済活動の内的強制によるものではない。資本主義的生産様式のもとでは、「生産性、経済効率だけではなく、労働者の職場での安全の問題、環境問題、公害問題の面でも資本主義に負けない」ような『魔法のような』経済システムが存在するはずがない。ただ「現実から切り離された不破氏の思考」の中にのみ存在可能であろう。
 余談であるが、不破氏自身が党創立80周年記念講演で指摘するように、現代はまさに資本主義の地球管理能力が問われる時代である。地球環境のみならず、社会生活のすみずみにまで市場経済が要求する競争原理がもたらす否定的な現象が耐え難いところまで成長している。私見ではあるが、「競争原理の排除」こそ時代の要請であると思われてならない。よく使われる言葉で表現すれば、生産第一主義を捨てて、地球環境を損なわず、人々に人間らしい生活を可能とするような経済システムこそが時代の要請であると思われる。
 現代中国において市場経済を排除した経済活動が不可能であることを肯定的に理解しながらも、市場経済の大先輩である国の共産党党首ならば、市場経済がもたらす恐るべき弊害についてもっと多く語るべきではなかったか。
 「経済全体の要をなす瞰制高地の掌握」は80年以上も前のレーニンの指摘である。現代中国において、国営企業が経済活動全体のお荷物的存在になっているのであるから、中国経済が直面する事態が求めているものはこのような次元のものではなかろう。このレーニンの指摘を持ち出したところでおよそ事態を解決するためのヒントにはならないと思うのだが、不破氏は物事を解決するためのヒントは『マル・エン全集』や『レーニン全集』にしか存在しないと考えているのであろうか。
 ロシア革命後まもなくレーニンが編み出したネップの路線は、マルクス・エンゲルスが何も語っていなかったものであることは、不破氏自身が紹介している。不破氏は、マルクスやレーニンの語った教条にはしがみつくが、彼らの柔軟な思考そのものを学ぼうとしない。こういうのを教条主義の一変種といったら言いすぎだろうか。
 改革開放政策以来、中国の工業生産は飛躍的に上昇し「世界の工場」とさえ呼ばれるようになった。アメリカや日本などの先進資本主義国の工業が空洞化するにつれて貿易摩擦などの問題が発生する。さらに中国通貨人民元も為替相場の荒海に船出せざるをえないであろう。  外交においても、「社会主義(を目ざす)国」として発展途上国や被抑圧民族を擁護して、当然アメリカ帝国主義と対決すべき局面においても、どれほどその立場を鮮明にできるかについて大きな疑問を抱かざるを得ないような状態になりつつある。
 現代中国においては、単に市場経済の導入だけではなく、欧米や日本資本の導入、企業の進出、WTO加盟など、中国経済はしだいに深く世界資本主義経済に組み込まれつつある。資本や新しい技術の多くを先進資本主義国に頼るということは、しだいに経済的従属の度合いを強めるということであり、このような状態が深くなればなるほど、長く続けば続くほどその政治的自立性を確保することが困難になる。
 近年みられるような中国における資本主義の発達は、「瞰制高地を確保する」だけでは「社会主義への歩み」を続けることがほとんど困難な地平にまで到達した感を呈している。

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