綱領改定案と日本共産党の歴史的転換(中)

36、連続革命的見地の完全放棄

 以上のように、革命的な内実を持っていた民主主義革命が単なる改良主義的なものに切り下げられ、「資本主義の枠」が絶対化されることによって、必然的に、民主主義革命と社会主義革命とはますます切断され、分離されてゆく。そして、不破はそのことを十分に意識しており、今回の綱領改定案では、現行綱領にある「連続革命」の要素を完全に葬り去った。
 「質問・意見に答える」で不破自身が述べているとおり、当初の61年綱領においては、連続革命的要素がきわめて濃厚であった。たとえば、61年綱領の4章の最後は次のようになっていた。

 「独占資本主義の段階にあるわが国の当面の革命はそれ自体社会主義的変革への移行の基礎をきりひらく任務をもつものであり、それは、資本主義制度の全体的な廃止をめざす社会主義的変革に急速にひきつづき発展させなくてはならない。すなわちそれは、独立と民主主義の任務を中心とよる革命から連続的に社会主義革命に発展する必然性をもっている」。

 これは、61年綱領が想定していた民主主義革命の内実からして当然であった。むしろ、61年綱領の言う「民主主義革命」とは、民主主義的課題をともなった社会主義革命であるといっても過言ではない内実を持っていたのである。「独占資本にたいする人民的統制をつうじて、独占資本の金融機関と重要産業の独占企業の国有化への移行をめざし、必要と条件におうじて一定の独占企業の国有化とその民主的管理を提起してたたかう」という要求は明らかに社会主義的なものである。61年綱領の制定を指導した宮本顕治自身、綱領の言う民主主義革命と社会主義革命とは「一つの鎖の二つの環」であるとして、次のように述べていた。

 「革命のこのような発展過程は人民の連合権力の樹立と、その人民権力の社会主義政権への発展という一つの過程であるが、これを一つの鎖の二つの環、単一の革命過程の二つの段階と呼ぶこともできよう。
 実際の革命過程では、二つの革命段階が区別されている場合も民主的変革と社会主義的変革の個々の部分的要求の交錯がありうることは、レーニンも指摘しているように歴史の示すところであるが、わが国の条件から生まれる特徴は、人民の連合権力として革命に着手しつつも、その革命の勝利が社会主義の権力を樹立するという一連の革命過程をとるだろうということである」(宮本顕治「綱領討議の問題点について」、1957年12月21、22日全国書記会議での報告)。

 このように、61年綱領における「民主主義革命」は、自足的なブルジョア民主主義革命ではなく、社会主義的内実をも一部含んだ(すなわち資本主義の枠を部分的に突破している)新しい人民の民主主義革命なのである。したがって、そのような民主主義革命がはっきりとした連続革命的な性格をもつのも当然であった。ところが、1994年の宮本不在の第20回党大会において、先に引用した独占資本の国有化にかかわる諸規定が削除されるとともに、綱領の連続革命的な規定もかなり曖昧なものにされた。

 「独占資本主義の段階にあるわが国の民主主義革命は、客観的に、それ自体が社会主義的変革への移行の基礎をきりひらくものとなる。党は、情勢と国民の要求におうじ、国民多数の支持のもとに、この革命を資本主義制度の全体的な廃止をめざす社会主義的変革に発展させるために、努力する」。

 「急速にひきつづき」とか「連続的に」という表現が消えている。しかし、ここの規定にも「連続革命」的な要素は残されている。その連続性は、「客観的」な面から(「独占資本主義の段階にあるわが国の民主主義革命は、客観的に、それ自体が社会主義的変革への移行の基礎をきりひらくものとなる」)と、主体的な面から(「党は、情勢と国民の要求におうじ、国民多数の支持のもとに、この革命を資本主義制度の全体的な廃止をめざす社会主義的変革に発展させるために、努力する」)、二重に規定されている。だがこれは、不破にとっては許しがたい左翼的残滓であるように思えたようだ。そこで、今回の綱領改定案においては、そうした表現のいっさいが跡形もなく消滅させられた。このことについて、不破は「質問・意見に答える」の中で次のように説明している。

 「ここには、社会主義革命論者との論争の一つの反映があったのかもしれませんが、社会主義への移行を民主主義革命の当然の任務とみなすような表現は、誤解のもとにもなりうるものでした。……
 94年の綱領改定のさいには、この点を明確にする見地から、文章にかなりの変更をくわえましたが、今回は、より突っ込んだ改定をおこないました。民主主義革命にしても、社会主義的変革にしても、日本がその道をすすむかどうかは、すべて、国の主人公である日本国民の判断にかかわる問題です。今回の改定案では、この立場から、民主主義革命そのものが、社会主義につながる性格を本来的にもっているとか、民主主義革命が成功したら、次の段階への前進を急ぐのが当然の任務になるとか、連続革命論的な誤解を残すような表現は、すべて取り除き、社会の進歩は、どんな段階でも、主権者である国民の判断の発展によってすすむという根本の見地が、すっきりとつらぬかれる表現に整理したわけです」。

 何という奇妙な主張だろうか。「民主主義革命にしても、社会主義的変革にしても、日本がその道をすすむかどうかは、すべて、国の主人公である日本国民の判断にかかわる問題」であるからといって、その道に向けて前進することを高く掲げ、できるだけ早急にその道に進むよう主体的に努力し人民に働きかけるのが、共産党の役割であろう。そもそも、何らかの政治的目標を掲げて、その目標を国民に説き、国民の同意を積極的にかちとろうとすることこそ、共産党のみならずあらゆる政治団体の使命である。「主権者たる国民の判断」なるものを持ち出して、そうした政党としての当然の使命を棚上げするわけにはいかない。
 共産党は、自民党政治からのできるだけ急速な脱却を選挙のたびに国民に訴えていなかっただろうか。自民党政治と国民との矛盾が深まっているがゆえに、自民党政治からの脱却が必然的に要請されていると力説してこなかったか。それは主権者たる国民の判断をないがしろにすることだったとでも言うのか? 
 しかも、共産党は「科学的社会主義」を標榜している。高度な独占資本主義の国で行なわれる民主主義革命が客観的に社会主義に向けた道を切り開くことを「科学的に」展望することが、どうして国民の判断をないがしろにすることになるのか。もしそのような詭弁が通用するなら、当面する革命を「民主主義革命」と設定していること自体、国民の判断をないがしろにするものだろう。
 実際には、社会主義に向けて進むことを恐れているのは不破指導部自身なのである。彼らは、天皇制の場合と同じく、「国民」や「世論」を持ち出して、困難に立ち向かわない口実にしているのである。そこには「先進性」も「不屈性」も何もない。そこにあるのは、すでに踏みならされた道(ヨーロッパ並みの民主主義!)を越えるいっさいのものへの恐怖に取りつかれた改良主義政治家の怯懦だけである※。

 ※注 今回の綱領改定案をめぐる公開討論の中で、「社会主義・共産主義」の項目そのものを削ること、未来のことは未来の人々に任せるよう要求するものが複数見られる。ほんの10年前には考えられない党内意見であるが、こうした意見が複数出てくること自体、指導部の志向がけっして党内世論から遊離しているわけではないことを示唆している。これもまた、日本の帝国主義化の一現象であろう。

 以上で、第4章の検討は終わりである。言葉のうえでは「革命」や「権力」という用語は残されているが、その内実が完全に変質してしまっていることが、以上の検討で明らかになったと思う。「革命」と呼ばれているものは実際には単なる「改良」にすぎず、「権力の掌握」は単に行政機構をうまく動かす問題にすぎない。字面だけを見て、「あまり変わっていない」などと判断してはならない。現行綱領と綱領改定案とのあいだには、けっして生めることのできない深淵があるのである。
 綱領改定案のうち残る第5章の検討と、それ以外の諸問題についての検討は、次号に掲載する予定の「下」で行ないたい。

2003.9.14~20 (S・T編集部員)

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