不破報告はまず冒頭で、今回の地方選が全体として躍進であったとして、次の数字を挙げている。前半戦で82名の議席増、後半戦で196名の議席増。しかし、この増加を得票数で見ると、前半戦と後半戦の勢いの差がはっきりと目に見えるようになる。報告によると、前半戦の道府県議選が74%の増、政令市議選が47%の増であるのに対し、後半戦の区議選が23%増、一般市議選が23%の増、町村議選が24%の増である。つまり、前半戦が前回より5割から7割以上も得票を増やしながら、後半戦は2割強しか得票を伸ばしていない。
以上の事実から、中央委員会総会として分析・解明すべきは、全体としての躍進の理由だけでなく、前半戦と後半戦とのこの大きな差がなぜもたらされたのか、である(後述するように、実はこの両者は深く関連している)。
これはもちろんのこと、中央の報告ですべてが解明されるべきだということではない。むしろ、このような複雑な問題でこそ、総会参加者による慎重かつ徹底した討論がなされなければならない。しかし、すでに述べたように、そのような討論はまったく行なわれなかった。
では、不破報告はこの問題についてどのように語っているだろうか。不破委員長も、前半戦の結果と後半戦の結果に大きな差があることを一定認めている。たとえば、報告の中でこう述べている。
「つぎにとりあげたいのは、前半戦と後半戦の関連の問題です」。
このような言い方をするのは、もちろん、前半戦と後半戦では得票の伸びに大きな差があるからである。だが、不破委員長はそのことを率直に解明すべき問題として明示しない。単に匂わせるだけである。したがって、この落差を正面から論じるのではなく、前半戦を闘いつつ後半戦をぬかりなく準備するという一般論を述べたのちに、東京の事例を「特殊な問題」として他と切り離して論じるというスタンスをとっており、しかも前半戦が無所属を主体とする知事選であったからだという皮相な説明に終始している。
たしかに、東京が、後半戦での伸びがとりわけ弱かったのは事実であるが、前半戦と後半戦とに大きな落差があるのは、最初に挙げた数字が雄弁に物語っているように、全国的に共通した現象なのだ。したがって、東京の特殊現象であるかのようにごまかすのではなく、この問題を正面から取り上げ解明しなければならない。
われわれはこの問題について、『さざ波通信』の第3号の党員座談会で一 定解明を試みているが、ここでその論旨をまとめつつ、言葉を補っておこう。
何よりも重要なのは、全体としての共産党の躍進傾向にもかかわらず、その内実が意外に脆弱なことである。共産党の躍進は、60~70年代初頭のように社会全体の左傾化と下からの嵐のような大衆運動の前進のなかで勝ちとられたのではなく、社会全体の右傾化のなか、既存の投票構造が崩れたことと新しい投票構造がまだ未熟であることによって生じた。具体的に言うと、社会党の崩壊によって旧社会党票・市民派票が共産党に流れたことと、自民党の新自由主義政策によって伝統的保守層の一部が共産党に流れたこと、そして、本来は新保守の基盤である階層の一部が、ふがいない新保守への活として共産党に入れたこと、によって生じた。
つまり、共産党の躍進を支えているのは、共産党の基礎票(300~400万票)にプラスして、旧社会党票・市民派票、伝統的保守票、新保守票の3方向からの票の流入である。
この3つの新しい票流入のうち、最も重要なのは旧社会党票である。しかしこの票は、日本社会の右傾化の中で、全体として縮小しつつ共産党に流れていく。そしてこの部分がひととおり共産党に流れたならば、共産党の躍進傾向は大枠として頭打ちとなる。これがおそらく時期的にいっせい地方選あたりで生じたと思われる。
だがこれは、伸び悩みの理由にはなっても、後半戦が大きく前半戦よりも票を落とす理由にはならない。
次に重要なのは、いっせい地方選の後半において、旧社会党票と市民派票の一部が共産党から離れたことである。全国規模の選挙や都道府県議選、政令市議選などの大規模な選挙においては、市民派は独自の候補者をなかなか出すことができないし、出しても当選の見込みがあまりないので、彼らの票はおおむね共産党に流れる。しかし、市町村議選レベルになると、独自の候補者を出すことができるし、あるいは当選可能性も大きいので、彼らの票は共産党からより自分たちの感覚や政策レベルに近い候補者に流れる。とりわけ大都市部においては、この傾向は強かったと思われる。
また、この間、共産党の右傾化が激しかったことで、良心的な旧社会党支持者や市民派左派の票が別の候補者に意識的に回った可能性も否定できない。
その次に重要なのは、伝統的保守層の票の行方である。市町村議選のような狭い領域で争われる地元密着の選挙においては、伝統的保守層の票は地縁や血縁やその他の伝統的諸関係にかなり左右される。このことから、この部分の票が後半戦において既存の保守系候補者に回った可能性は高い。この傾向は地方都市や農村部でとくにあてはまるだろう。
新保守に活を入れるための票に関していうと、これは最も安定性に乏しいので、いっせい地方選の後半戦でどのように動いたのかを見定めることは難しいが、この部分が市町村議選のような小さい地域の選挙にあまり関心を持たず、棄権に回った可能性は大きい。
以上の解明で十分だとはわれわれはいささかも思わない。この点に関してより慎重な検討と多面的な討論が必要である。しかし、いずれにせよ明らかなのは、いっせい地方選の後半戦で票の伸びが大きく落ちた根本的な理由が、この間の共産党の躍進傾向がけっして安定したものでもなければ、大衆運動や党組織の前進によって支えられたものでもない、ということである。70年代初頭の革新高揚期を上回る高揚期だなどという幻想ときっぱり手を切って、この現実を真剣に直視するべきだろう。