司会 いっせい地方選挙での闘い、みなさんごくろうさまでした。結果はすでに新聞等で報道されている通りです。前半、後半ともに、共産党は前回の95年「いっせい地方選挙」から大幅に議席を増大させ、各種の指標で史上最高の峰を築きました。しかしながら、「躍進」「躍進」と浮かれてばかりいられない深刻な情勢にあるだけでなく、その「躍進」の中身についても慎重な検討が必要だと思われます。
たしかに、前半戦については、得票数・率、議席ともに「大躍進」と言ってもいいような成績でした。44道府県議選の得票は約430万票で、前回の246万票の1・7倍、得票率も6・8%から10・5%へと1・5倍、議席数も98から152へと、これも1・5倍に増えています。これと同じ傾向は政令市議選でも見られました。得票数1・5倍、得票率1・3倍です。
しかし、後半戦については、たしかに前回の「いっせい地方選挙」よりは得票・議席ともに増大させましたが、その伸びは非常に弱かったように思います。全国的数字はわかりませんが、東京で言うと、得票数は1・2倍、得票率はわずか1・1倍で、区議選ではわずかに2議席増えただけ、市議選でも3議席増えただけでした。それぞれ公明党が6議席づつ増やしたのと比べても、共産党の前進は「躍進」とは言いがたいものがあります。
また、前半戦についてみても、東京、大阪などの大都市の知事選挙の得票については、前回より大幅に増やしたというだけにとどまらず、もう少し突っ込んだ分析が必要であるように思われます。まず、共産党の得票傾向全般についてでもいいですし、また、自分の地元の選挙結果についてでもいいですから、それぞれ大雑把な感想なり、意見なりを聞かせてください。
A 私は東京在住なので、前半戦は知事選挙しかなかったのですが、その知事選挙の結果について若干、感想を述べたいと思います。得票から見ると、共産党推薦の三上満候補は、約66万票獲得し、前回の28万票から比べると、2・5倍の得票になっています。しかし、この「大躍進」はかなり表面的です。というのは、前回があまりにも少なすぎたからです。当時における共産党の東京地方選での得票数の半分強しかとっていません。それだけ、共産党支持層(あるいは党員すら)から大量に青島に票が流れたということでしょう。私の知りあいの党員にも、前回、青島に投票したという人がいてびっくりしましたが、それだけ市民主義や無党派主義に対する幻想がはびこっていました。また前回は候補者も悪すぎました。学者出身の候補者でしたが、演説も討論もあまりうまいとは言えず、見ていて気の毒なぐらいでした。ですから、前回と比べて2・5倍だと言ってもあまり意味がないような気がします。
それよりも重要なのは、66万票という数字が、たとえば去年の参院選の東京選挙区での得票数(約90万票)と比べて24万票少なく、比例票(約100万票)と比べると34万票も少ないということです。去年、共産党に投票しながら、今回、三上候補以外に入れた20~30万人もの人々はいったい誰に入れたのかが気になります。一部はおそらく、柄にもなく福祉を掲げた舛添要一にいったと思われますが、タカ派の石原慎太郎にもかなりいったんじゃないかと危惧しています。
司会 去年、共産党に入れながら、今回、それとは対照的に見える石原に票を投じた人がいるというのは、どうしてでしょう。
A そこはよくわかりませんが、共産党に最近入れるようになった人々の中に、ある種「健全なナショナリズム」という発想に親和的な部分があって、それが石原の「ガツンと言う姿勢」に惹かれたのではないかという気がします。石原が有力6候補者の中で断トツで勝った背景の一つにも、そういう気分が、共産党に投票するような有権者の間にも広がっているというのがあるのかもしれません。石原圧勝の影には、よく言われるように、反創価学会の宗教団体による組織票や、石原裕次郎の兄貴であること、テレビタレントの動員などがあったことは間違いないにしても、それに加えて、『戦争論』がベストセラーになったり、不審船に対する武力威嚇を支持する世論が多数であることに見られるように、「ガツンと言ってやりたい」気分が一定の広がりを見せていることがあると思います。
司会 その場合、「ガツンと言う」対象は何なんでしょう?
A おそらくそれは二つあると思います。一つは、戦後民主主義的なもの、です。「戦後民主主義的なもの」というのは非常に曖昧で、とらえどころのないものですが、小林よりのりや改憲派知識人が目の敵にしているもの総体がそれでしょう。それは、個人の尊重、平等、弱者救済といった価値観に対する不満、苛立ち、です。昨今の教育の荒廃や学級崩壊の原因が戦後民主主義的な教育システムにあるんだという右派の言説などは、その典型例です。実際には、戦後民主主義のもとでの教育というのは、十分に競争主義的で、優勝劣敗だったのですが、しかしそんなことはおかまいなしに、とにかく、自分のむかつく気に入らない現象はすべて「戦後民主主義」が悪いんだ、女子高生が援助交際するのも、若者がだらしないのも、少子化も、それこそすべて「戦後民主主義」「朝日」「岩波」「日教組」「憲法9条」「人権思想」のせいだというわけです。しかし、このような典型的な右派の発想だけが、石原の勝利をもたらしたと考えるのは一面的であるような気がします。
もう一つ、ガツンと言いたい対象は、これも漠然としていますが「官僚」と呼ばれるものです。青島が無党派層のあれほどの期待を集めて知事になったにもかかわらず、最初だけは少し公約実現に努力したが、すぐさま旧来の軌道に戻って、官僚の言いなりになったじゃないか、やっぱり温厚なだけの人間は官僚には勝てない、もっと「硬派」の人間が知事ならなければ、という気分です。この気分は、前者の気分よりもおそらく裾野が広く、強力です。ここから、政治信条としても、その経歴からしても正反対であるはずの青島と石原が、かなりの部分、共通の基盤に立って当選できたのではないかと思います。もちろん、青島に投じた人と石原に投じた人との間には、政治基盤の大きな相違もありますが、一部重なっているところがあり、その重なりの公約数を見ると、それはやはり「反官僚」なのではないか、と思うのです。
この、「硬派」か「軟派」かという判断基準に照らすと、主要6候補は、石原とその他という分類になってしまいます。「軟派」票が三上をはじめとする5候補者に分散したのに対し、「硬派」票が石原に集中し、こうして石原の一人勝ちが生まれたと言えます。
司会 共産党は、三上候補が政治論戦をリードしたという総括をしていますが、それはどうなんでしょう。
A それは一面的だと思います。三上候補が掲げた政策は、基本的には最もまともなものです。他の候補者がすべて、公務員の削減や福祉切り捨てを基本政策に掲げ、「小さな政府」路線をとったのに対し、三上候補は、公務員削減反対、福祉の充実を掲げました。また、新ガイドラインの問題にしても、三上候補以外が全員、有事の際に政府に協力することを公約したのに対し、三上候補だけが、いかなる戦争協力にもきっぱり反対すると主張しました。地元に三上候補が駅頭演説に来たとき、私もそれに参加しましたが、一番拍手が大きかったのは、「私が知事になったら、戦争協力にはきっぱりノーと言います」と断言したときでした。私も心の底から拍手しました。
しかし、もしこの二つの争点が本当に知事選挙での主要な争点になっていたとしたら、石原とそれ以外という票の割れ方にはなっていなかったはずなんです。三上とそれ以外になるはずです。しかし、三上候補の得票が、石原を除く4人の有力候補者の得票とほとんど変わらなかったか、あるいは少なかったという事実は、世間での対立軸が、本来あるべき軸とは違うところで形成されてしまったということ、つまり、三上候補が十分論戦をリードし切れなかったということだと思うんです。
司会 なるほどわかりました。後半戦については後で聞くことにします。