不破委員長は、いっせい地方選の総括につづいて、この間、重要問題として中心的争点の1つとなっている「日の丸・君が代」問題について報告している。しかし、その報告はごまかしに終始している。
まず第1に、今年2月にマスコミのアンケートへの回答として一方的に発表した、「日の丸・君が代」に関する新見解について、その提案の事実を報告しているだけで、この新見解を中央委員会総会として正式に討議し確認する必要性があるとは考えていないことである。
これまでとまったく異なる新見解を出すにあたっては、われわれが繰り返し主張したように、党内でのしかるべき討論と正式な決定を経る必要がある。しかし、党中央は、党員のまったく知らないところで常任幹部会だけで討議し、新しい見解をアンケートへの回答として一方的に発表した。その回答が載った『論座』が発行されるまで、共産党の新見解については、一般党員はまったく知らなかった。われわれ党員は、党員でも何でもない『論座』編集部よりもずっと遅れて、自分の党の「新見解」なるものを知った。
この手続き違反問題については、もちろん、報告ではまったく言及されていない。しかし、せめてこの中央委員会総会の場で、この新見解が妥当かどうかをきちんと議論しなければならなかったはずである。なぜなら、この新見解は今のところ、党のどのレベルでも正式な承認がなされていないからだ(不破委員長は、先の都道府県委員長会議で、常任幹部会での討議を経たとは言っているが、正式に決定されたとは言っていないし、いずれにしても新見解は、党の名前で出たのであって、常任幹部会名で出たのではない)。だが、党中央は、このせっかくの4中総の機会を、そのような党内討論の場として位置づけることを完全に回避した。これが国民的討論を呼びかけている党のやることだろうか。
第2に、不破報告が、その提案の内容について驚くべきごまかしをしていることである。不破委員長は、党の新しい提案には2つの柱があったとし、その1つめについて次のように要約している。
「一つは、この問題で国民的な討論を起こし、国民的な合意を追求する、そして国旗、国歌をきちんと決める法制化の問題では、その討論を広く十分にやったうえで、国民的な合意を前提にして、結論にすすもうという提案であります。この国民的討論にのぞむわが党の態度は、『君が代』を国歌にすることにも『日の丸』を国旗にすることにも反対で、いまの日本にふさわしい国旗、国歌を生みだそう、というものです。私たちは、この態度を、『しんぶん赤旗』の全戸号外でも大きくうちだしました。この、国民的討論と国民的合意を追求するということが第一の点であります」。
事情を知らないでこれを読んだ人は、共産党の提案の中身の第1が、国旗・国歌について国民的討論を呼びかけたことだと思うだろう。しかし、『論座』の回答においても、その後の解説においても、提案の第一として言われているのはあくまでも、国旗・国歌を法律で決めることである。『論座』の回答部分を念のため再度引用しておこう。
「国歌・国旗の問題を民主的な軌道にのせて解決するためには、国民的な合意のないまま、政府が一方的に上から社会に押しつけるという現状を打開し、法律によってその根拠を定める措置をとることが、最小限必要なことです。そのさい、ただ国会の多数決にゆだねるということではなく、この問題についての国民的な合意を求めての、十分な国民的な討議が保障されなければなりません」。
このように、問題の解決のためには最小限、国旗・国歌の法制化(「法律によってその根拠を定めること」)が必要であると言われている。これはごまかしようのない事実である。だからこそ、広島の校長が自殺したときに、野中官房長官が「日の丸・君が代」の法制化を持ち出してきたのである。共産党の提案が単に国民的討論を呼びかけるだけのものなら、それはそもそも「新見解」でも何でもないし、マスコミが騒ぐこともなければ、校長の自殺後に法制化の流れになることもなかった。「国民的討論」云々は、『さざ波通信』第2号の特別インタビューでも明らかにされているように、あくまでも、法制化するにあたっては数を頼みにしてはならないという、いわば釘を刺すものとして持ち出されていた。にもかかわらず、この不破報告では、国旗・国歌の法制化を第一に求めたという肝心要の事実を、「国旗、国歌をきちんと決める法制化の問題では」などという言い方をすることで意識的にあいまいにしている。この言い方では、あたかも、一般的に法制化の問題が生じた場合の対処の仕方について提案しているかのようである。これは許しがたいごまかしである。
さらに、「いまの日本にふさわしい国旗、国歌を生みだそう」という提案をしたかのように不破報告は述べているが、これも、『さざ波通信』第2号の特別インタビューで明らかにされているように嘘である。最初の『論座』回答には、「いまの日本にふさわしい国旗、国歌を生みだそう」などという提案はどこにもない。だからこそ、共産党の新見解は、「日の丸・君が代」を事実上容認するものだとマスコミによって解釈されたのである。
不破指導部は、自民党が国旗・国歌の法制化に乗り出してこないだろうというまったく誤った展望にもとづいて、法制化論を打ち出した。「君が代」の「君」がどういう意味か聞かれたら自民党は困るだろうというのが、その理由の一つであった。今回の不破報告でも、日本の在外公館が各国に配布した「君が代」説明文書を持ち出して、「君が代」の歌詞内容があたかも自民党にとっての致命的な弱点であるかのように言いつのっている。だが、つい先日、自民党は、「君が代」の「君」が象徴天皇の意味だと堂々と開き直った。自民党のこの開き直りは、この間の政局運営における自信、政党の総与党化と社会全体の右傾化に対する自信のあらわれである。
かくして共産党指導部の甘い展望は完全に打ち砕かれ、法制化を提案したことによる最悪の政治的結果だけが残った。もちろん、「日の丸・君が代」法案の行方はまだ決着がついていないし、われわれはあくまでもその阻止に全力を尽くすが、指導部の致命的な政治的失策を絶対にあいまいにすることはできない。