総選挙の敗北は何を語るか――問われる指導部の責任

指導部の問題

 だが、最後に1つの重大な問題が残されている。それは、現在の指導部のもとで、先に私たちが示したような党再生の路線をとることが可能かどうか、という問題である。今のところ、党指導部は、これほど明白な後退にもかかわらず、いっさい自分たちの誤りを認めようとせず、かたくなに指導の無謬性に固執している。これまでの誤りに固執するかぎり、その誤りの延長上での路線や対応しか出てこない。
 すでに、今後の国会運営において、共産党が全野党共闘を重視するということがマスコミを通じて流されている。また、「皇太后」への弔意についても、総選挙後も各地方で共産党議員が弔意表明や弔詞文に賛成する方向で動いている。今のところ、姿勢の転換を示す何らの徴候も見られない。そのうち6中総が開かれ、この間の路線と選挙闘争が総括されるだろうが、おそらくそこにおいても、いかなる反省もなされず、すべては反共勢力による謀略ビラのせいであるという総括がなされるだろう。あるいは、中間機関の「なんとかなる」論が槍玉に挙げられるかもしれない(この後者については事実だが)。
 今回、結局政権入りは果たされなかったとはいえ、なお予断を許さない状況にある。この間の路線の延長上にあるのは、かつての社会党と同じく政治的自滅への道である。まずもってこの深刻な現実を直視すべきである。
 現在の指導部に何らかの大きな期待をかけることは、私たち自身が誤った幻想にふけることを意味する。だが、今すぐに新しい指導部を選び出すだけの力量も条件もまったく存在しない。不破委員長や志位書記局長の周辺には、この間の路線にひたすら追随してきた人々しかいない。穀田恵二氏や筆坂秀世氏はこの間大いに活躍したが、両者とも、不破=志位路線より右に行くことはあっても、それに対する何らの違いも見せていない。したがって、指導部の即時退陣は現在のスローガンにはならないだろう。だが、党指導部のこれ以上の右傾化を何としてでも防ぐために、次のことは今すぐに絶対に必要であり、また可能である。
 (1)現在の党指導部に対する厳しい下からの批判を容赦なく突きつけること。会議の場で批判することや個人として意見書を中央に上げるだけでなく、できれば支部として批判的意見書を上げること。規約は、支部として意見書を提出することを何ら禁じていない。
 (2)インターネットや各種投稿などを通じて、一個人としてはっきりと現在の党指導部の路線に対する批判的意見を表明すること。これもまた現在の党規約は禁止していない。
 (3)選挙の敗北をふまえて、この問題を真摯に討議する全党討論の実施を要求すること。また、次期党大会における事前の討論期間を最低でも3ヶ月以上は確保するよう要求すること。
 以上はまったく初歩的な要求である。今回の大敗とそれに対する党指導部の開き直りは、忠実な党員の中にも疑問や不信をもたらしている。彼ら・彼女らにこう語りかけよう。現在の指導部の路線は、共産党の維持・発展につながるのではなく、むしろ共産党の後退と衰退につながっている。党を大切に思いその発展を願うなら、現在の指導路線を根本的に改めなければならない。われわれの大切なかけがえのない党を現在の誤った指導から守ろう、と。
 今後、党内の批判的党員の役割はますます重要になってくる。この少数の批判的党員自身がまず真っ先に批判の声を上げ、周囲の党員に、そして党全体に警鐘を鳴らさなければならない。勇気を出すべきときである。

2000/6/30 (編集部S・T)

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