インタビュアー なるほど。話をもとに戻しますが、70~80年代に存在した、経済の帝国主義化と国民意識との間のズレというものが、完全にではないにせよ、その後しだいに解消されていくわけですね。
H・T そうです。こうした世論動向は、90年前後に大きく変容します。国際的要因として決定的だったのは、ソ連東欧の崩壊と湾岸戦争です。
まず、ソ連東欧の崩壊について言いますと、ソ連東欧の現実というものが、社会主義の理念からいかに遠かったとしても、それでもそれは、資本主義とは異なる体制として社会的に認識され、資本主義ではない世界というものが存在しえる、そういうものが--もっと違った形になるべきだとしても--獲得可能であるという意識が存在することができました。しかし、それが崩壊したことで(まだ中国やキューバやベトナムなどが残っていましたが)、圧倒的多数の人々に、もはや資本主義以外の選択肢はない、資本主義の枠内での改良しか道はない、という広範な意識をもたらしました。
日本共産党指導部は、ソ連が崩壊したとき、「もろ手を挙げて歓迎」しましたが、それがまったく一面的で軽率な行為であったのは明らかです。ソ連東欧が崩壊したことで生じるであろう社会主義意識の著しい後退、帝国主義への従属とは違う道を選択しようとする第三世界諸国が被るであろう巨大な困難を考慮に入れるならば、そんな単純な反応はできないはずです。
インタビュアー なるほど。この社会主義の問題については、また別の機会に詳しくお願いしたいと思います。
H・T そうですね。では、もう一つの要因である湾岸戦争について見てみましょう。ソ連東欧の崩壊が社会主義意識の後退と資本主義を絶対的なものとして受け入れる志向を作り出したとすれば、湾岸戦争は、日本の経済的な帝国主義的地位を日本国民に思い知らせました。これほどの経済大国だというのに、他の西側諸国と並んでどうして人的貢献をできないのだ、どうして血を流さないのだ、どうしてお金で片づけるのだ、という宣伝が、小沢一郎や右派知識人、マスコミを先頭に大々的に繰り広げられました。
憲法9条下の日本というのが常識と化していた大多数の国民にとって、湾岸戦争は、日本が世界の中で、とりわけ先進国の中できわめて特異な、「普通でない」国であることを自覚させるようになりました。これが、60年代や70年代なら、「普通でなくて何が悪い」と開き直ることができたでしょうが、パックス・アメリカーナのもとで、世界第2位の圧倒的経済力を持つまでになった日本の経済的地位の持つ政治的重みを、一般国民、とりわけ日本社会の中で中上層に属している人々は痛切に感じるようになったのです。ここから、国民意識の帝国主義化がはっきりと進行していきます。