インタビュアー 以上は、国民意識の帝国主義化において重要な役割を果たした国際的要因ですよね。では、同じ頃、国内的な要因というのは何か独自なものとしてあったんでしょうか?
H・T この90年前後の時期に国内的要因として非常に大きな役割を果たしたのは、経済面ではバブル景気と、政治面では社会党の大躍進とその後の崩壊です。
インタビュアー ではバブル経済の方からお願いします。
H・T 86年後半から91年初頭まで続いたバブル景気は、全般的な好景気に加えて、政府の低金利政策と、85年のプラザ合意以降の円高によって生じたものですが、このときの過剰資本は、国内では土地や株への投機に回り、他方では欧米諸国を対象に海外直接投資、海外生産高の急増をもたらしました。
渡辺治氏が強調する1985年以降の日本企業の急速な多国籍化は、このようなバブル景気に煽られて進行した側面も強く、すでに巨大化していた日本の経済力からしても過剰な海外投資が短期間のうちに行なわれました。このことが、バブル崩壊後に、一部の海外進出企業に大打撃を与えることになります。ついにフランスのルノーの軍門に下ることになった日産なんかも、過剰な海外進出の重荷に結局耐え切れなかったと言えます。一時、破竹の勢いで業績を伸ばしていたヤオハンも、結局、バブル期における過剰な海外投資分を回収しきれずに倒産しました。それまで日本企業の多国籍化が遅れた分、かえってバブル期には過剰な海外進出が行なわれたと言えるでしょう。
バブル景気が、現代帝国主義の経済的基盤である大企業の多国籍化を急速に進めたとすれば、他方では、このバブル景気は日本国民の意識の中に、かつてないほどの経済大国意識、特権意識を浸透させました。とくに、円高で海外に行く日本人が急増したことは、世界の中での日本の優越性、選民意識を日本人の意識の中に刷り込みました。これは戦後日本の歴史上、画期的なことだったと思います。
インタビュアー 私はそのとき大学生でしたが、同じクラスの学生が株をやって大もうけしているのを知って驚いたことがあります。彼は毎朝5時ぐらいに起きて証券速報を見て、自分の買った株が上がっているのを確認してから、もう一度寝ていたそうです。同じころ、学費値上げ反対の署名を学内で取り組んでいたとき、「国立大の初年度納入金が50万円近くになるんですよ」と訴えたら、ある学生から、「そんなもの、クルマに比べれば安いじゃない」と言われてショックを受けたことがあります。
H・T まさにそういう異常な時代でした。帝国主義意識の基礎を成すのは、民族的な特権意識・優越意識ですが、人種的にも文化的にも、欧米諸国に対して特権意識を持ちえなかった日本人は、このとき、経済的な特権意識、優越意識を持つようになったのです。その意味で、バブル景気によって形成された帝国主義意識というのは、すぐれて経済主義的であったと言えます(ついでに言っておきますと、このとき形成された経済主義的帝国主義意識は、湾岸戦争の試練によって大きくぐらつき、政治的帝国主義意識へと飛躍します)。日本的経営は世界で最も優れた効率的なシステムだ、トヨタ主義あるいはフジツー主義はフォード主義を越えた、という宣伝がマスコミをあげて行なわれました。
インタビュアー このとき革新陣営は、過労死問題や長時間過密労働の問題などを取り上げて、日本的経営賛美論を批判していましたね。
H・T そうです。そのような批判はもちろん重要であり、積極的な役割を果たしました。しかし、今から振り返ってみると、一面的であったような気がします。というのは、過労死問題をやたらとクローズアップさせるならば、結局、大企業のエリートサラリーマンは企業の被害者でしかないんだ、日本人はみな企業社会の犠牲者なんだ、という側面が過度に強調されることになるからです。そうすると、このエリートサラリーマンたちの加害者としての側面、大企業システムの中で最も恩恵をこうむり、その後の帝国主義的政治改革の支持基盤となったこの階層の抑圧者的側面を著しく軽んじてしまうことになります。そのような傾向が最も顕著であったのは、川人博氏の諸著作です。
このことと大いに関連していますが、もう一つこのバブル期において重要だったのは、あまり目に付かない形でですが、国民内部の階層分化が著しく進んだことです。たしかに、このバブル期は、全階層の所得を引き上げ、多かれ少なかれ、低所得層の生活も向上させました。またバブル期特有の熱病的雰囲気は、低所得層もとらえて、バラ色の夢を見させました。しかし、実際にこの時期に最も所得を伸ばしたのは、圧倒的に高所得層なのです。
たとえば、統計庁総務局が毎年発表している『家計調査年報』には、家計の年収を5段階に分けた各クラスの年収がそれぞれ記されていますが、トップの第5分位の年収の推移を見ますと、1988年から1992年にかけての4年間で270万円も年収が増大しています。92年から96年までの同じ4年間で年収がたった40万円弱しか増えていませんから、いかにバブル崩壊前後に高所得層の年収が増大したかがわかるでしょう。ちなみに、第1分位の年収は、88年から92年まで42万円しか増えておらず、92年から96年までだと、逆に1万円減っています。こうして、このバブル期に第1分位と第5分位との年収格差が広がりました。
しかし、この時期は、全般的好景気で、一番下の階層の収入が一定増えていたので、階層対立意識はあまり芽生えませんでした。このことが、次に説明する社会党の躍進を生み出した一つの重要な要因にもなっています。