インタビュアー そうした全体的な流れのなかに、今回の新ガイドライン法をめぐる世論の受容問題もあるわけですね。
H・T そうです。しかし、今回の新ガイドライン法に関しては、以上の全体的な流れに解消しえない独自の問題があります。それは何かというと、今回の新ガイドライン法が「周辺」という曖昧な概念をキーワードにしていたことです。
インタビュアー と、言いますと?
H・T 日本の帝国主義化を一定受容する国民層には大きく言って3つのグループを区別することができると思います。
1つは、旧来の日本防衛論的な発想にもとづくグループです。この中心は伝統的保守層であり、年齢階層で言うとかなり上の部分です(もっとも、最近は小林よしのりの活躍のおかげで、かなり低年齢層にも浸透しましたが)。北朝鮮の脅威論を真に受けて、日本の防衛のためには、周辺からきちんと対処しておかなければならない、という発想にもとづいています。
2つめは、帝国主義の新しい段階により適応した発想にもとづくグループです。日本の繁栄というものが、アメリカを中心とする自由市場・自由貿易の体制にもとづいているのだから、それを維持するためには日本はきちんとアメリカの後方支援を受け持たなければならないという考えを持っています。この中心は、新しい保守層であり、年齢階層的には、働き盛りの世代および若い世代の一部、職業的には大卒ホワイトカラー、あるいは高度専門職や知識層です。とくに、海外出張や海外勤務の経験があったり、その可能性のあるような会社に勤めているサラリーマン層なんかは、この種の発想に非常に親和的であり、日本企業の多国籍化はこの種のサラリーマンを累進的に増大させています。
インタビュアー そう言えば、サラリーマンではないですが、ある平和問題関係のホームページの掲示板に、高校生が書きこんでいる内容を読んでびっくりしたことがあります。彼は、自衛隊も安保も在日米軍も日本の防衛のためではないんだ、日本の経済はアメリカ中心の自由貿易体制に依存しており、その体制を維持するためにこそ自衛隊も安保も新ガイドラインも必要なんだ、と書いているんです。実に見事な自由貿易帝国主義論だとちょっと感心しました。まだ高校生ですよ。
H・T そういう発想を持った若い世代が、明日の帝国主義日本を支えるのでしょう。次に3つめのグループですが、最初の2つがいささかハードな受容論だとすれば、この3つめはソフトな受容論で、あくまでも問題になっているのは日本の周辺であって、別に日本が戦場になるわけではないし、自衛隊が戦闘に直接参加するのでもない、日本もかなり経済大国になったのだから、アメリカのお手伝いをすることで一定の国際貢献ができるなら、それでいいじゃないか、という発想にもとづいています。
このグループは、1つめのグループのような切迫した危機感にもとづいているわけではないし、2めのグループのように帝国主義秩序の能動的な維持者たることを望んでいるわけでもなく、もっと受動的で、傍観者的です。しかし、おそらく、それだけに最も広い裾野を持っていると思います。政治階層的には保守でも革新でもない中間部分、あるいは元革新、年齢階層的には、中高年より下が中心で、職業階層的には、1つめのグループや2つめのグループがあまりいない公務員層や主婦層にも一定浸透していると思われます。
つまり、「周辺」という概念は、これらのさまざまなグループの受容度の違いをたばねることができる曖昧な概念なのです。「周辺」という適度な距離感を持った言葉が、1つめのグループにとっては、危機をもっと手前で防ぐという発想で解釈可能であり、2つめのグループにとっては、日本という狭い枠を越えてグローバルに自衛隊を展開する手始めとして解釈可能であり、3つめのグループにとっては、自分のいる日本からかなり離れたところで展開される事態として解釈可能なのです。
もし戦争に参加するという法律がもっと別の形で出てきていたとしたら、たとえば、日本有事を正面に据えた戦争法案だったら、1つめのグループには受容可能でも、3つめにとっては非常に抵抗感があったでしょうし、逆に、周辺を越えて、世界中に自衛隊を派遣するんだと堂々と宣言した法案が提出されたなら、2つめのグループにとっては受容可能でも、1つめと3つめのグループにとっては受容不可能だったでしょう。
インタビュアー なるほど。
H・T この点で興味深いのは、今回の新ガイドライン法案が、自自公の賛成で通った事実です。自由党は2つめのグループをかなりの程度代表しているし、公明党はどちらかというと3つめのグループに近いでしょう。自民党は必ずしも1つめだけでなく、2つめの要素も相当抱えていますが、伝統的支持者に対する説得の論理は基本的に1つめの論理でしょう。
伸縮自在な「周辺」概念はこうして、帝国主義化の度合いにおいてさまざまな国民各層や各政党をうまくたばね、戦争法案を国会で押し切ることを可能にしたのです。