さて、自分の専門分野である農業問題でひととおり共産党を批判した鈴木氏は、より一般的な共産党批判に移っている。
まず、氏は、「科学的社会主義」という言葉をことさらに問題にする。自ら「科学的」と名乗ること自体おかしいというのだ。
「およそ『科学的』とは、第三者が評価する場合の表現であって、当事者が自らの理論を『科学的』と称した途端に、それは宗教と変わらない存在となる」(208頁)。
ではお聞きするが、鈴木氏の農業理論ないし農業政策は「科学的」なものか、それとも「空想的」なものか? もちろん、氏は、自分の理論や政策は「空想」ではなく、現実の分析にもとづいた「科学的」なものと答えるだろう。すると、氏の理論も政策は「途端に宗教と変わらない存在となる」のか?
ある理論が「科学的」かどうかは、もちろん、その理論が自称することに依存するわけではない。多くの「トンデモ本」は、自らを真に科学的と言っている。しかし、だからといって、ある理論が自らを「科学的」と称したからといって、「途端に宗教と変わらない存在」になるわけでもない。地動説も進化論も、自ら科学的と称しようが称しまいが、「科学的」であり、天動説や天地創造説は、自ら科学的と称しようが、神の掟と称しようが非科学的である。
「科学的社会主義」と呼ばれている理論体系(マルクス主義)には、もちろん、多くの欠陥、誤謬、偏見が存在している。われわれはそれを絶えず批判的に検証し、修正し、発展させていかなければならない。そうでなければ「科学」ではない。とはいえ、マルクス以前の、あるいは同時代の種々の「社会理論」と比べれば、それは、はるかに科学的であったとわれわれは考える。もちろん、この考えに異論を唱えることは自由である。「科学」は反論と批判を許容する。しかし、その反論が、具体的に「科学的社会主義」のここがおかしいと指摘することにもとづくのではなく、科学的社会主義が「科学的」と称しているからもうそれだけでダメなのだとすましてしまうことは、反論の手続きと努力を完全に否定することであり、それこそ「非科学的」な姿勢である。
もちろん、氏にはとっておきの「証明」がある。それは、ソ連・東欧の崩壊である。この崩壊の事実はそれだけで、「科学的社会主義」が科学的でも何でもなく、「ユートピア思想」であったことの十全な証明になるのである。
何よりもまず、こういうことが言えるためには、ソ連・東欧諸国が「科学的社会主義」に厳密にもとづいていたことを証明しなければならない。しかし、マルクスやエンゲルスの理論ではそもそも、体制としての社会主義についてはごく一般的なことしか語られていなかった。ある意味で、かつての体制は、「科学的社会主義」にもとづきたくても、もとづきようがなかった。
また、たとえ、かつてのソ連・東欧が「科学的社会主義」に厳密にもとづいていたとしても、それでもやはり、その崩壊は、科学的社会主義の破綻をそう簡単に証明するものではない。この点に関して、鈴木氏は一つの興味深い比喩を用いている。
「失敗したのはソ連だけでなく、東欧諸国、キューバ、中国、北朝鮮などを見ても成功例は皆無に等しい。自動車の設計技師は同一原理に基づいて製造されたA、B、C、Dの各車種が、それぞれに共通の欠陥を持つ場合、原理そのものを疑うという。これこそ科学的なものの見方であるのに、『科学』を振りかざすこの党は、臆面もなくあまたの欠陥事例をすべて『例外』と言ってのけるのである」(209頁)。
共産党が、これらの諸国をいっしょくたにして「例外」などと称した事実はないので、すでにこの主張には事実の歪曲が含まれているが、それはおいておいたとしても、驚かされるのは、鈴木氏が、社会体制の建設という問題を、車の製造という問題と同列に並べていることである。マルクス主義はよく、「社会設計主義」あるいは「社会工学主義」と批判されてきたが、マルクス主義をユートピアとみなす鈴木氏こそ典型的な「社会工学主義」に陥っている。
しかし、せっかくの比喩であるから、あえてこの不正確な比喩にもとづいて、かつてのソ連・東欧の体制について考えてみよう。これまでの一連の「社会主義」建設はまさに、①車を製造するための材料がほとんどないか、あっても壊れた状態であった、②しかも、車を製造するのははじめでだった、③さらに、そのせっかくぼろぼろの車を常に破壊しようとする武装集団が目の前にいて、たびたび破壊されただけでなく、車を製造するよりも、その破壊集団から車を守ることに多くの注意と資源を費やさざるをえなかった、といった条件のもとにあった。こうした条件のもとで作られた車(より正確に言えば車もどき)が、つぎつぎとエンストを起こし、車輪がはずれ、ついには動かなくなったとしたら、設計技師は自分の設計原理に問題があるとみなすだろうか?
試みに、現在の高性能の大量生産車の設計図にもとづいて、鈴木氏が、大型ゴミ処理場にある材料を使い、つねにその車の製造を妨害しようとする武装集団に囲まれながら、車を実際に作ってみたらどうだろう。おそらく失敗するだろう。だが、それは設計図が誤りであったからなのか?
実際には、かつての「社会主義」政権は、そのような正確な設計図さえない状態で、手探りで社会主義建設を行なわざるをえなかった。驚くべきは、崩壊したことではなく(「一国社会主義」が遅かれ早かれ崩壊せざるをえないことは、60年以上も前からトロツキーがマルクス主義にもとづいて予言していた)、70年以上も崩壊しなかったことである。設計図も、材料も、経験もない状態で、つねに妨害と破壊にあいながら建設したものが、70年も曲がりなりにも動いたことこそ奇跡である。
もちろん、われわれは、こう言ったからといって、これらの体制を指導してきた歴代の権力者や支配官僚たちの責任をいささかでも免罪するつもりはないし、またマルクス主義に誤謬などないという「非科学的」な主張をするつもりもない。また、これら「社会主義」諸国の破綻について、客観的な諸条件だけに責任を帰してはならず、十分自覚的に主体的な総括をしなければならない。これらの政権担当者たちが有していたのと同じ欠陥が、日本共産党の内部にも見出せることをわれわれは否定しない。共産党指導部がこの事実を直視せず、あたかも自分たちとはまったく関係のない出来事であるかのように言うのは、卑怯な言い逃れである。しかし、「社会主義」と称してきた体制の崩壊でもってただちにマルクス主義の破綻が証明できているとみなす発想もまた、「非科学的」のそしりを免れないだろう。