雑録

 この「雑録」は、日本共産党とその周辺をめぐる動きの中で、短くても論評しておくべきものを取り上げて、批判的に検討するコーナーです。

『朝日新聞』の憶測記事と
日本共産党の沈黙

 すでに、「トピックス」や投稿でも取り上げられているが、5月8日付『朝日新聞』は、「非『自自公』政権狙う共産党」と題して、日本共産党の昨今の路線転換問題を取り上げている。それは、いくつかの重要な問題に関して看過できない解釈と憶測が述べられており、当然、『しんぶん赤旗』紙上でしかるべき反論が掲載されるものと、われわれは予想していた。しかしながら、今日に至るも、いまだに反論記事は出されていない。これはゆゆしき問題である。そこで、ここで改めてあの『朝日』記事がどういうことを書いていたのかを確認し、その内容を検討したい。
 まず、この朝日記事は冒頭で次のように述べている。

「国旗・国歌の法制化を提唱したり、自衛隊や象徴天皇制の『容認』に踏み込んだり……。このところ、共産党の柔軟な現実路線が目立っている。『不破哲三委員長―志位書記局長』の体制に実質的に移行してから約二年。各種選挙で快進撃を重ねる共産党の狙いは、ズバリ、次の衆院解散・総選挙後の非『自自公』連立政権への参加に向けられている」。

 このリード部分にすでにかなり不正確な表現が見られる。まず「自衛隊や象徴天皇制の『容認』に踏み込んだ」というくだりである。記事の中身を見るなら、「象徴天皇制を容認」した証拠として持ち出されているのは、不破委員長が記者会見で、野党の暫定政権における天皇制の扱いについて触れたくだりである。これは明らかに事実の歪曲である。共産党が少数派でしかない野党臨時政権において、天皇制の廃止に着手できないのはあたりまえの話であって、そのことをもって「象徴天皇制を容認」したということにはならない。われわれはもちろん、そのような野党暫定政権に共産党が入ることに絶対に反対であるし、そのような政権に入ることが党自身の政策の後退を生む大きな要因になりうると考えるが、とはいえ、この暫定政権での政策がただちに党として天皇制を容認することにならないのは言うまでもない。
 また、「自衛隊を容認」した証拠として持ち出されているのは、今年の3月に出版された、井上ひさし氏との共著『新日本共産党宣言』にある、「異常な事態に対応する場合には、自衛のための軍事力を持つことも許される」という一節である。この発言は、すでに『さざ波通信』第2号の雑録で詳しく批判したように、憲法解釈としてまったく誤っており、厳しく批判されるべきものであり、共産党指導部の昨今の右傾化の一つの重要な現われに他ならない。しかしながら、このくだりは、あくまでも現在の自衛隊を解散した後に、大規模な攻撃を外国から受けたときにどう対処するべきかという文脈で語られたものであり、現在の自衛隊を容認するものでは断じてない。
 もちろん、『さざ波通信』第3号の「憲法9条と日本共産党」のインタビューで詳しく指摘されたように、「異常な事態に対応する場合には」という曖昧で没階級的な条件設定は、現在の自衛隊の容認につながりかねない危険な論理を内包している。だが、それにもかかわらず、それはやはり現在の自衛隊を直接容認したものではなく、目標としての自衛隊解散は、安保廃棄とともに、『新日本共産党宣言』でも堅持されている。
 この違いは重要であり、もし本当に不破委員長が自衛隊を容認する発言をしたのだとすれば、それこそ歴史的大問題であり、いくら共産党員が指導部に従順だといっても、平穏無事では絶対にすまない騒動が起こるだろう。にもかかわらず、『朝日』の記事は、この発言が「自衛隊を事実上容認」したものであるとあっさり解釈してしまっている。
 それだけではない。朝日記事は、今年3月に起きた不審船事件に対する共産党指導部の対応に関しても、次のような大胆な解釈を試みている。

「自衛隊の警告射撃や爆弾投下につながった三月の不審船事件について、共産党が批判しないのも、将来の政権入り後、同様の事態が起きれば自衛隊を使う可能性をにらんでのことだ」。

 ここまで来るとほとんどでたらめであるが、この記事を書いている記者(恵村順一郎)は自信満々である。不審船事件に対する自衛隊の海上警備行動は明らかに憲法違反であり、アジアの平和を脅威に陥れる暴挙であり、護憲・革新政党ならば当然のことながら最も断固たる抗議の声を上げなければならないものである。したがって、この事件に対して全容の解明のみを語って、まったく批判しようとしなかった共産党指導部の態度は許しがたい日和見主義であり、厳しい批判が必要である。にもかかわらず、沈黙の理由が、将来の政権入り後に、同じ事態になったら自衛隊を使うつもりだからであるというのは、あまりにもうがった見方である。共産党の沈黙は、もちろん、昨今の右傾化の一つの現われであるし、そのときのマスコミや右派世論を先頭とするナショナリスティックな雰囲気に敢然と抵抗する勇気が欠如していることの現われであるが、政府首脳でさえ海上警備行動の発動を予想していなかったにもかかわらず(われわれは一部の左翼が言うような陰謀論はとらない)、共産党指導部が将来の自衛隊活用を念頭に入れてあのような対応をしたのだと解釈するのは、あまりにも無理があると言うべきだろう。
 さらに、朝日記事は、このような転換の背景にある意図が、非「自自公」政権のシナリオであると憶測する。少し長いが引用しておこう。

「共産党が描く当面の政権入りのシナリオは、総選挙後、民主、共産、社民三党が過半数を制した場合の非『自自公』暫定政権だ。民主党の菅直人代表は共産党について『政策共闘は可能だが、連立となれば共産党に綱領を変えてもらわないと……』と二の足を踏む。しかし、不破氏は『問われるのはうちだけじゃない。民主党も選択を迫られる』と自信あり気だ。共産党と組めば菅首相。そんなチャンスを、民主党がみすみす見逃すわけはない、との読みである」。

 この引用で紹介されている不破氏の「自信あり気」な発言なるものを、記者はいったいどこから入手したのだろうか? 不破氏が直接記者に語ったのだろうか? それとも記者の単なる憶測だろうか? またこの「自信」なるものは、野党連立政権に現実性があると思われていた昨年8~9月の話なのだろうか、それとも、この記事が書かれたごく最近のものなのだろうか? この間の政局がはっきり示しているのは、民主党との連立政権など、暫定だろうが何であろうが不可能であるという事実である。民主党はかろうじて周辺事態法に反対したが、それは、内容に反対というよりも(民主党は新ガイドラインそのものには賛成しているし、それにもとづく法整備の必要性も認めている)、民主党主導で修正がかちとれず、公明党にキャスティングボートをとられたからにすぎない。このような状況下で、民主党と共産党との暫定政権にいかなる現実性があるというのか? もちろん、盗聴法案反対での共闘に見られるように、部分的な政策共闘は今後ともありうるだろう。だが、ともに政権を形成する可能性は以前にも増して少なくなったのである。
 また記者は続けてこう書いている。

「確かに『大型開発から福祉重視の財政へ』を基本とする経済政策は、民主、共産両党に違いは少ない」。

 大型開発政治反対についてはたしかにそうだが、「福祉重視政策」についてはまったく的外れである。民主党は基本的に新自由主義の党であり、「大きな政府」につながる国民皆福祉制度には反対である。もちろん、都市の中上層に依拠しているがゆえに、この階層向けの「福祉」にはリップサービスすることはあっても、それはあくまでも現在の福祉水準を全体としてリストラし、切り縮め、市場原理を導入するるという枠内でのものにすぎない。事実、この間の医療改悪にも賛成しているし、地方でも福祉削減の行革予算にことごとく賛成している。
 以上見たように、この朝日記事は相当にでたらめであり、勝手な憶測に満ちている。だが問題は、このような不正確な憶測記事に対して、今のところ、共産党の側からの反論がまったくないことである。堂々と「自衛隊を事実上容認」と書かれているにもかかわらず、なぜ反論し、抗議しないのか? これは、記事の内容そのものよりもはるかに深刻な問題である。
 これは、もしかしたら、共産党の幹部が、国民世論からそのように「誤解」されてもかまわないとみなしている証拠ではないだろうか? すなわち、党員や支持者向けには、党は今でも自衛隊反対であり、天皇制反対であると説明し、他方では、それ以外の国民には「共産党は自衛隊も天皇制も容認した」と思わせておいた方が得策であると考えているからではないか? もしそうだとすれば、これはきわめて許しがたいマヌーバーである。そのような二枚舌、そのようなダブルスタンダードは、共産党として最も恥べきことである。われわれは、党指導部に対し、党として正式にこの朝日記事に厳しく反論し、抗議することを要求する。  

1999/5/27  (S・T)

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