インタビュアー では、本題の方に入りたいと思います。新ガイドライン法の成立によって、日本の帝国主義化がある程度完了したと見てよいか、そして、完了したとしたら、その帝国主義は自立した帝国主義なのか、それともなお対米従属型の帝国主義なのかということです。もちろん、この場合の「完了」というのは、それ以上帝国主義化が進まないという意味ではなく、自立的であれ従属的であれ、日本を帝国主義国と規定する場合の主要なメルクマールを満たしたという意味です。
H・T これは非常に重大で難しい問題です。たしかに、今回の法律の成立で、日本が本格的に戦争をする国へと飛躍を遂げたことは、帝国主義国としての最も重要なメルクマールを満たしたと見ていいと思います。
しかし、この問題を正確に議論するためには、簡単なりとも帝国主義についての具体的なイメージをもっておく必要があります。この点に関しては、レーニンが『帝国主義論』で与えた帝国主義の定義は非常に参考になるものですが、あの当時は列強帝国主義の時代であり、植民地争奪戦が帝国主義政策の基本でしたので、現代の帝国主義の現実にそぐわない面があります。
インタビュアー レーニン『帝国主義論』の基本的な限界というのは、簡単に言うとどの辺にあるのでしょうか?
H・T レーニンの『帝国主義論』における決定的なキーワードは「不均等発展」と「独占」です。レーニンにとって、帝国主義とは何よりも不均等発展のもとでの独占資本主義のことです。レーニンの『帝国主義論』を繰り返し読んで気づくのは、この「独占」の論理が経済から政治へ、政治から領土へ、と拡張していくことに、帝国主義の本質を見いだしていることです。すなわち、「永続的な独占化」とでも呼ぶべき論理が重要な役割を果たしているのです。この「独占」概念の発見こそが、ある意味で、レーニンの帝国主義論の生命力の源泉なのですが、その限界の源泉でもあるのです。
インタビュアー もう少し詳しく言うと、どういうことでしょう。
H・T 周知のように、自由競争資本主義は、その弱肉強食の競争と不均等発展を通じて必然的に独占企業を生み出し、その独占企業が市場を支配する独占資本主義の段階に至ります。この論理が、レーニンにおける帝国主義イメージの中核部分を構成しています。この経済における「独占化」と「不均等発展」の論理が、一国内における企業間競争や市場の領域だけではなく、世界的に拡張されたものが帝国主義であるとレーニンは考えます。
まず、国内市場を支配するようになった独占企業は、独占銀行と癒着して経済全体を支配し、また政治をも支配します。さらに、商品の輸出の段階から資本の輸出の段階へと移行し、しだいに世界市場をも独占ないし支配しようとします。この世界化した企業の市場独占を政治的に保証するものこそ、その企業の属する国民国家による帝国主義的な対外政策(政治的独占)であり、そして最終的保障が、軍事力による植民地化(領土的独占)なのです。こうして、国内市場の経済的独占が国際市場の経済的独占へと拡張し、国際市場の経済的独占が国民国家の政治的独占政策に拡張し、最終的に植民地という形で領土的独占にまで至って、「独占化」の論理がいちおう完成するわけです。
しかし、以上の過程で世界の領土的分割は完了しますが、不均等発展の法則が働いているため、急速に発展を遂げた新興資本主義国は、このような既存の世界分割に挑戦します。こうして領土再分割の闘いが起こり、最終的に帝国主義戦争にいたり、この帝国主義戦争において「最も弱い環」である国でプロレタリア革命が起こります。
このように、レーニンの帝国主義論においては、自由競争が独占に転化する必然性と同じ論理でもって、最終的な帝国主義戦争とプロレタリア世界革命までの必然性を解明することができ、そこにレーニン帝国主義論の魅力と説得力がありました。
インタビュアー なるほど、「独占」と「不均等発展」がレーニン帝国主義論のキーワードになっているわけですね。
H・T そうです。もう一つ、レーニン帝国主義論の魅力は、帝国主義というものを、先進資本主義国のあれこれの帝国主義的対外政策の総和として認識するのではなく、資本主義の必然的な一段階として、より正確にはその最終的な段階として、トータルな存在形態とみなしたことです。言葉をかえて言うと、レーニンの帝国主義論までは、帝国主義というのは、特定の資本主義国がとる政策的手段というイメージが強かったのですが、レーニンの場合は、資本主義そのものが帝国主義という新たな段階の(そして必然的な)主体的存在になるととらえられています。
このトータルな存在形態としての帝国主義というイメージのおかげで、単なるあれこれの対外政策が帝国主義的であるかどうかだけでなく、直接的には対外政策と区別されるあれこれの国内体制についても、それが帝国主義的かどうかを規定することが可能になりました。労働運動における日和見主義の台頭とヘゲモニー、階層としての労働貴族の発生と支配、国内における弾圧体制の強化、等々が、帝国主義概念と不可分に結びつくようになりました。
インタビュアー たしかに、それらは現在においても、マルクス主義的な帝国主義観の一般的なイメージになっていますね。
H・T そうです。レーニン以後も、基本的には帝国主義というものは、単なる対外的政策手段としてだけではなく、発達した資本主義のトータルな存在様式として認識されていますし、われわれもその認識を踏襲しています。
しかしながら、レーニン帝国主義論の魅力と説得力の根源であった「永続的な独占化」という論理が、第2次世界大戦後の国際秩序において必ずしも妥当しなくなります。経済面ではもちろん、戦後も巨大独占企業や巨大独占銀行が存在し、それが国内市場を支配しているし、政治をも支配している。そして、世界市場をもかなりの程度支配している。しかしながら、この経済的独占というものが、他の国の企業を政治的に排除するという意味での政治的独占(ブロック経済)や、ましてや軍事力による囲い込みという意味での領土的独占(植民地)にまではいかないわけです。
これは、ブロック経済と植民地獲得競争によって2度の悲惨な世界戦争を生んだことの反省、そしてアメリカ帝国主義が圧倒的な政治的・経済的ヘゲモニーを獲得したこと(これによって、多国籍企業と資本主義全体の利益を優先する国際体制をとることができるようになりました)、植民地諸国で発展した民族解放闘争の力、そして何よりも、豊かな国内市場と各国市場の相互乗り入れを前提として初めて発展しうるフォード主義システムの普遍的成立、等々によって生じたものです。
いずれにしても、戦後的な新しい資本主義システム、世界秩序においては、「永続的な独占化」としての帝国主義、そしてその終着としての世界戦争と世界革命という古典的イメージによって、時代を認識することは困難になりました。