インタビュアー では、以上の点をふまえて、日本における帝国主義の特徴についてお話ください。
H・T この3つの側面を、関連づけながらも区別して理解しておくと、個々の国における帝国主義の特殊なあり方を理解する助けとなります。
どの国においても、帝国主義のこの3つの側面がバランスよく発展するとはかぎらず、しばしば、どれかの側面が突出した形で発展したり、あるいは逆に、どれかの側面の発展がとりわけ弱い、という現象が見られます。とくに日本においては、この3つの側面の矛盾したあり方が、戦前・戦後を通じて顕著でした。しかし、その矛盾のあり方は、ある意味で、戦前と戦後ではきわめて対照的でした。
インタビュアー と言いますと。
H・T 戦前の日本は、政治的および軍事的な帝国主義化が突出した形で進行しました。江戸幕府下の封建日本は、欧米がすでに帝国主義段階に入っているときに、資本主義世界に参入しました。そのため明治維新後に成立した明治政府は、一方では資本主義的発展のための最初の諸条件を整える課題を遂行しつつ、他方では、それがまだ端緒の段階ですでに周辺国への帝国主義政策を追求しはじめます。たとえば、1875年に江華島事件を引き起こし、1876年にはすでに、不平等条約である日朝修交条約を朝鮮に押しつけています。つまり、日本が明治維新によって近代国家としての道を踏みだしてから、わずか10年足らずですでに帝国主義的対外政策を開始しているのです。
その後、1884年には甲申事変を引き起こして清軍と衝突し、その10年後の1894年には日本として最初の本格的な帝国主義的植民地掠奪戦争である日清戦争を引き起こしています。それ以降の歴史はすでに周知のように、1904年の日露戦争、1910年の韓国併合、1914年の第1次大戦へとつながっていきます。
このように明治政府は、帝国主義政策を実施するための十分な経済的条件がほとんど存在しないときに早熟な軍事的帝国主義化を遂げました。帝国主義の基盤は独占資本主義だと言われますが、日本で独占資本主義が成立するのは、おおむね第1次大戦後の好況期においてですから、いわば日本は独占資本主義さえ成立していない段階で、すでに帝国主義国家としての政治的・軍事的相貌を形づくったのです。
この早熟な帝国主義化と裏腹の関係として、国内において、極端に権威主義的で、徹底的に民主主義の抑圧された政治体制が成立しました。また、急速に軍事力を拡大させる必要から高い地租を設定し、そのせいで中小農民層の没落と小作人化がもたらされ、国内市場をきわめて狭いものにしました。資本家および地主自身も、低賃金と高い小作料を労働者・農民から搾り取ることで、ますます国内市場を狭め、活路をますます輸出と植民地政策に求めることになりました。
この路線が結局のところ、日中戦争と太平洋戦争を通じて、日本帝国主義の壊滅的な敗戦と日本経済の崩壊へと行き着くことになります。
つまり、戦前の日本帝国主義は、経済的基盤が脆弱なままでの政治的・軍事的帝国主義化の無謀な追求を特徴としています。そして、この二つの要素はある意味で相互前提関係でした。すなわち、早熟な政治的・軍事的帝国主義化の追求が経済的基盤の脆弱さを生み、また経済的基盤が脆弱であるがゆえにいっそう帝国主義的対外政策を追求させることになったのです。