インタビュアー 戦前の日本帝国主義の敗北後、われわれの属する戦後世界が始まるわけですが、その基本的特徴を作り出した終戦直後の改革についてお話ください。
H・T そうですね。GHQの支配のもとでの戦後改革は、このような戦前的な日本のあり方を根本的に否定することから出発しています。それは、狭隘な国内市場を改革するものとして、農地改革による寄生地主の一掃、労働組合結成の自由化と奨励、そして戦前の支配体制を解体するものとして、軍部支配の一掃と、治安維持法や特高警察などの弾圧システムの根絶、天皇神格化の否定、言論・出版・表現の自由をはじめとする市民的諸権利の保障、司法の改革、家制度の解体と女性解放、等々などが、怒涛のごとく進められました。ただし、経済民主化の柱であった財閥解体は中途半端に終わりました。
以上のような戦後改革の歴史的意義としていくつか指摘することができます。
まず第1に、それが中途半端なブルジョア民主主義革命であった明治維新の歴史的課題を完成させたことです。それは、ブルジョア民主主義革命が本来の課題としている土地解放や、議会制民主主義や、市民的自由の保障や、国民主権の原則、等々を日本にもたらしました。
しかし、明治維新から戦後改革までに80年近い月日が流れています。その間、歴史がストップしていたわけではありません。その間に、第2インターナショナルの戦いがあり、ロシア革命があり、コミンテルンがあり、ワイマールの経験とナチズムがあり、反ファシズムの闘争があり、ニューディールがあり、女性解放運動と民族解放運動があったのです。
80年前に日本が資本主義世界に参入したときに、その当時の資本主義世界の水準(国内的には有産男性のみの民主主義、対外的には露骨な帝国主義政策)を受け入れたように、その80年後に、未完成の民主主義革命が最後まで遂行されたとき、この80年間における歴史の発展と新しい水準とがそこに反映されることになります。
つまり、戦後改革の歴史的意義の第2点目は、単に近代化の完成をもたらしただけでなく、民主主義の現代的水準をも日本に持ち込んだことです。それは、男女平等や平和主義、労働3権の保障、憲法第25条に体現されている社会的条項などに示されています。
3点目は、それが、単純に「上からの改革」とすませられるものではなく、明治維新以降の数十年間にわたる日本国内の人民の粘り強い闘争と世界的な人民の闘争(とりわけ植民地人民の闘争)を反映したものだということです。その点が、明治維新と根本的に異なる点です。だからこそ、GHQが天皇制権力を上から破壊しはじめた直後に、下からの嵐のような運動と闘争が巻き起こり、GHQが逆にその動きを徹底的に弾圧しなければならなかったのです。明治維新の場合、下からの人民の闘争が大規模に始まるのは、維新から20~30年もたってからのことです。戦前の労働者人民の運動は天皇制権力によって完全に弾圧されたとはいえ、それはけっして無駄につぶされたのではないのです。たとえば、戦前の嵐のような小作争議なしには、そしてそれを受け継いだ戦後の農民運動がなかったら、農地改革もなかったし、少なくとももっと不徹底になったでしょう。
第4に、このかなり徹底した改革が、GHQによって遂行されたということからくる特徴です。トロツキーは、帝国主義時代においては、ブルジョアジーはブルジョア民主主義革命を完遂する能力を持たないという有名な命題を述べています。しかし、この戦後改革では基本的にブルジョア民主主義革命の基本的課題が遂行されました。どうして、こういうことになったのでしょう。それは、改革遂行の権力的主体が、自国のブルジョアジーではなく、他国の、しかも、ファシズムに対抗して民主主義を体現することを自認していたブルジョア権力だったことです。もし、日本の土着のブルジョア権力が戦後改革をしていたとしたら、やはりきわめて中途半端に終わったでしょう。逆に、労働者人民がその主役となっていたら、民主主義革命の枠を必然的に突破し、社会主義革命にまで至ったでしょう。そのいずれでもなかったことによって、かなり徹底した民主主義革命が遂行されながら、社会主義革命には至らないという例外的事態が生じたのです。
第5に、第4とも関連しますが、戦後改革が制度的には戦前との重大な断絶を実現したにもかかわらず、戦後秩序の担い手としては、あいかわらず、戦前からの保守政党と保守政治家が担当しました。というのは、戦前の日本において、保守派のみならず、自由主義者や社会民主主義者も全面的に戦争協力したため、戦前の体制に対して責任を負っていない(すなわち手のきれいな)政治家や政党としては、獄中にいた日本共産党しか存在しなかったからです。しかしながら、いくら何でも、GHQとしては共産党に政権を担当させるわけにはいきません。結局、GHQは、戦後のラディカルな改革を、戦前との連続性を持った保守政党と保守政治家に「押しつけ」なければなりませんでした。その後、右翼や保守派が口やかましく叫びたてる「押しつけ民主主義」とは、まさにその時の支配層の感情を原点にしているのです。
いずれにせよ、制度や法体系における戦前とのラディカルな断絶と政権的担い手における戦前との濃厚な連続性という矛盾は、その後の戦後政治史にさまざまな形で影響を及ぼします。