インタビュアー では、その後の日本の発展についてお話ください。
H・T この戦後改革は、周知のように、中国革命や朝鮮戦争の勃発をきっかけに、いわゆる逆コースをたどり、財閥解体の骨抜き・棚上げ、戦犯の追放解除、レッドパージと共産党非合法化、2・1スト弾圧、公務員のスト権剥脱、下山・三鷹・松川事件、さらには、警察予備隊・保安隊・自衛隊の発足、旧安保条約の締結などの過程を経ます。
こうして、上からの改革によって解放された民主主義運動と階級闘争は、社会主義革命に転化する前に、GHQ、日本政府、大企業の三者による過酷な弾圧によって押さえられてしまいます。しかしながら、運動弾圧の勢いでそのまま憲法まで変えてしまおうとした支配層の思惑は、60年安保闘争を頂点とする下からの闘争によって挫折し、こうして、戦後の憲法的秩序を前提とした比較的安定的な統治が始まります。
インタビュアー 一定の戦後秩序が形成された時期の基本的な特徴は簡単に言うとどういうものでしょうか。
H・T 戦前の発展の仕方と対比させて言うなら、戦前が、経済的基盤の脆弱なままでの早熟な政治的・軍事的帝国主義化を基本的特徴にしているとすれば、戦後は、経済的基盤の過剰な拡大のもとでの政治的・軍事的帝国主義化の構造的な立ち遅れを基本的特徴にしていると言えます。つまり、戦前も戦後も、帝国主義の3つの側面の発展がアンバランスなのですが、そのアンバランスのあり方が、ちょうど逆になっているのです。
インタビュアー なるほど。その基本的な理由は何ですか?
H・T 1つは、憲法とそれを支えた戦後民主主義運動の力および周辺国の厳しい警戒心です(これらをひっくるめて、「憲法の体制」と呼ぶことにします)。もう1つは、その「憲法の体制」に制約されつつも、相対的に自立して存在している安保、米軍、自衛隊の存在です(これらをひっくるめて「安保の体制」あるいは「安保・自衛隊の体制」と呼んでおきます)。この2つの体制は根本的に矛盾・対立していますが、にもかかわらず、相互に補完しあって戦後的発展の特殊性を形成しています。
インタビュアー では、具体的にお願いします。
H・T 「憲法の体制」をそのまま前提にし、それを完全実施するなら、日本の帝国主義的復活はありえません。それは、アメリカ帝国主義のシニア・パートナーとしてであろうと、自立帝国主義としてであろうと、不可能です。もちろん、それでも経済的膨張は可能でしょうから、抽象的可能性としては、帝国主義的な上部構造をいっさいともなわないでその経済的基盤だけが確立されることはありえるでしょう。しかし、アメリカ帝国主義も日本の支配層も、そのような発展を望みませんでした。当たり前です。
アメリカに敵対的な戦前型の軍国主義が復活する可能性をいかにして完全に根絶するかということで頭がいっぱいであった時期に、アメリカの占領軍当局は、憲法9条というあまりにラディカルな規定を入れた憲法を思わず認めてしまいましたが、その後すぐに自らの失敗を悟り、日本の支配層による改憲の策動を後押ししました。しかし、改憲を持ち出せば持ち出すほど、日本人民の運動はますます盛り上がり、国民世論もますます憲法9条を支持するようになり、実際には改憲が一筋縄ではいかないことを悟ります。
そこで、日米支配層は、一方では日本は軍隊を持たないのだから日本の安全は米軍が守らなければならないという名目で旧安保条約を結んで米軍の永続的駐留を合法化し、他方で、これは軍隊ではないという名目で警察予備隊・保安隊・自衛隊を創設します。しかし、結局、改憲に失敗してしまったため、安保(新安保を含め)も自衛隊も、憲法9条を蹂躙するものでありながら、なお、その重大な制約を受けることになりました。
この点はたとえば、他の敗戦帝国主義国と比べても対照的です。イタリアもドイツもNATOという集団的自衛権組織に加盟し、その範囲内での武力行使を肯定するにいたりましたが、日本政府は基本的に、今にいたるも、集団的自衛権を否定し、個別的自衛権の範囲内にとどまるとともに、武力の行使も形式的には否定し、急迫不正の侵略に対する自衛力の行使という水準にとどまっています。このどちらも憲法違反ですが、しかし、もし憲法9条とそれを支える運動がなければ、安保条約は集団的自衛権的なものになったでしょうし、自衛隊は日本軍になっていたでしょう。自衛隊の予算の単なる量的拡大だけでもって、憲法の単純な空洞化を主張するのは、浅薄です。
他方、「憲法の体制」による制約によって日本の自衛隊が直接にできないことを、安保と米軍が代わりに代行し、それを日本が支えるという「安保の体制」が成立します。朝鮮戦争やベトナム戦争において米軍の出撃基地になったことや、米軍基地への思いやり予算や多数の便宜供与、湾岸戦争における巨額の戦費の負担などがそれです。
つまり、日本が経済的に膨張し、それに応じて必要になる政治的・軍事的な帝国主義的役割といったものは、一方では「憲法の体制」によって著しく制約され、他方では「安保の体制」によって代行されたのです。
こうして、戦後日本は、経済的基盤を急速に拡大し強化しながら、政治的・軍事的帝国主義化の側面が著しく立ち遅れるという基本的な特徴を持つようになりました。しかも、この2つの側面は、戦前の場合と同じく相互前提関係にもあります。戦前においては、すでに述べたように、早熟な軍事的帝国主義化が国民経済の脆弱化と国内市場の狭隘化を生み、この後者が今度は早熟な植民地政策に走らせる働きをしたとすれば、戦後においては、軍事的側面の制約のおかげで国民経済の急速な発展が保障され、そして、この豊かな国民経済が安保による代行体制を支えたのです。
しかし、やがて、この相互前提関係は崩れはじめ、強大化し世界的に拡張し日本資本主義は、自国の政治的・軍事的帝国主義化をも強く求めるようになります。
この話に入る前に、戦後日本の発展のもう一つの重要な特徴である、企業社会の成立について簡単に見ておきましょう。