H・T 戦後の日本の発展の仕方は、帝国主義の3つの側面の不均等な発展を特徴にしていましたが、突出して発展した経済的側面それ自体も、不均等な発展の仕方をしました。
インタビュアー と言いますと?
H・T すでに述べたように、経済の国際化と一口に言っても、それには3つの側面があります。1つ目は商品資本の輸出、2つ目は貨幣資本の輸出、3つ目は生産資本の輸出です。1から3へと資本輸出の形式が発展するにつれて、政治的・軍事的帝国主義化の衝動も強まります。この点で、日本資本主義の戦後的発展は、1つ目の商品資本の輸出に非常に偏った形で進みました。
戦前も、国内市場の極端な狭隘さゆえに、かなり早期に輸出依存になりましたが、戦前の場合は、早熟な帝国主義化が先行的に進んだがゆえに、植民地化した地域に次々と工場を立てて操業を開始するという形で、生産資本の輸出も早熟に進展しました。しかし、戦後は、単に商品輸出への依存が強かっただけではなく、生産資本の輸出が相対的・構造的に立ち遅れるという形態をとりました。
このような発展形態をたどった1つの大きな理由は、渡辺治氏らが強調しているように、1960年前後に成立した企業社会的構造のせいです。そこで、この点について簡単に見ておきましょう。ただし、戦後の企業社会の成立史については長くなるので割愛して、すでに成立した企業社会を前提にして話を進めます。
まず、相対的な低賃金構造が資本の側の強蓄積を可能にしました。しかし、戦前と違って、戦後は、農地改革をはじめとする一定の経済的民主主義化と戦後の嵐のような労働運動のおかげもあって、一定の豊かな国内市場を確立しています。春闘形式を通じて年々の賃上げが保障され、賃金は基本的に生産性に連動して上がるようになります(フォーディズム的妥協)。またヨーロッパ並みではないにせよ、一定の社会福祉が保障され、また革新自治体の施策を通じて、福祉のさらなる上乗せが可能になりました。
しかしながら、それでも、日本の労働分配率は欧米に比べれば一貫して低いレベルを保っていました。これが大資本の強蓄積を可能にしたわけですが、しかし、低賃金は普通、資本の労働者統合を弱める働きをします。戦前においては、資本の統合力を国家が代行することによって(国家による運動弾圧と忠君愛国イデオロギー)何とか労働規律を維持していましたが、そのような代行能力を国家が失っている戦後においては、低賃金は労働規律を弱める方向に働くはずです。
しかしながら、60~70年代の日本企業はまれに見る労働者統合を実現していました。それが可能であったのは、企業間格差や本工・臨時工格差や男女差別などの労働者間格差構造の広範な存在と並んで、日本の賃金体系がブルーカラーも含めて年功賃金だったことと、名目的低賃金を補完する企業内福祉があったことです。
年功賃金体系は、労働人口にしめる若年者人口の割合が大きい場合には(そして60~70年代においてはまさにそうでした。この点については後述します)、企業にとってきわめて効率のよいものです。それは一方では、全労働者の賃金の総額を低位に保つことができると同時に、一定の年齢に達すれば現在の数倍の賃金を得ることができるという希望を若年労働者に持たせることで、労働規律の弛緩を防ぐことができます。また、寮や社宅や各種手当てを通じた企業内福祉は、低賃金を補完するとともに、企業への労働者の依存を強めます。
また、きわめて合理的でフレキシブルな生産システム(トヨティズムあるいはフジツー主義)、QCサークルや提案制度に見られるような「やる気を引き出す」諸制度、日本に独特の企業別組合なども、60~70年代においては、資本の労働者統合にきわめて好都合な形態となります。
さらに、2重、3重の下請け支配も、そのフレキシブルな利用(カンバン方式)によって資本の強蓄積に寄与するとともに、末端労働者の不満が直接大企業に向かわない構造を実現することができました。
これらの独特の企業社会的構造は、一方では資本の強蓄積を可能にし、また、戦前ほどではないにせよ相対的に狭い国内市場をつくりだすことで、日本資本主義の輸出依存の体質をつくりだしました。そして、他方では、日本企業の海外進出を相対的に遅らせる役割も果たしました。なぜなら、最新の生産プラントや最新の技術を日本からそのまま輸出することはできても、強力な労働者統合や下請け支配まで日本から持ってくるわけにはいかないからです。
こうして、日本企業の海外進出の相対的な遅れは、「憲法の体制」による制約条件とあいまって、日本の政治的・軍事的帝国主義化を遅らせる作用をもたらしました。
インタビュアー つまり、戦後の日本においては、2重のアンバランス、2重の不均等発展があったということですね。帝国主義化の諸側面におけるアンバランスと、経済の国際化の諸側面におけるアンバランスの。
H・T そういうことです。この2重のアンバランスないし不均等こそが、戦後日本の発展における特殊性を形づくっています。