歴史の真実を直視し、誤りを認める勇気を
書評:『汚名』(油井喜夫著、毎日新聞社、1600円)

新日和見主義事件の見直しを

 沈黙が破られるのに、二十数年もの歳月が必要とされた。その間に、民青同盟は衰退の坂をころげ落ちていった。20万の隊列は今では10分の1に縮小している。共産党内部の20代党員の割合も、70年代初頭の50%から、現在の2~3%に激減した。
 他の国の共産党ないし後継政党と比べても、日本の党はとりわけ青年党員の比率が低いのではないだろうか。これは単に青年の保守化というだけでは説明できないだろう。新日和見主義事件が残した深刻な爪痕をそこに見出すことは十分可能である。
 『査問』が出版されたとき、『赤旗』は党活動欄という目立たないところで、その著作に対する批判を試みた。しかし、その批判は、彼らが実際に分派であったことを力説するのみで、査問の実態についていかなる反論も試みていない。苛酷で非人間的な査問の実態については、反論のしようもなかったのである。
 たとえ、査問が形式的に本人の同意を得たものであっても、十数日間にわたって監禁することは絶対に許されないし、また今回のように重病人を病院から呼び出して4日間も監禁することは、基本的人権を正面から蹂躙する蛮行以外の何ものでもない。党中央が錦の御旗とする「結社の自由」論によっては、けっしてこれらの行為が正当化されないことは、今さら言うまでもない(この問題については、いずれ詳しく論じるつもりである)。
 今回の『汚名』について、党中央は何か反応を見せるだろうか? おそらく完全に無視するだろう。宮本時代が、批判者に対する徹底した反論と糾弾を基調としていたとすれば、不破時代は、都合の悪い問題に対する沈黙と無視を基調としている。われわれの『さざ波通信』と同様、『汚名』もまた無視されるだろう。不破委員長は、このような問題があたかも存在していないかのごとく、ふるまい続けるだろう。
 だが、事実は事実であり、歴史をなきものにすることはできない。新日和見主義事件を見直す特別の調査委員会を中央委員会に設置し、改めて関係者から事情を聞き、事実関係を調査するべきである。そして、事件当時には知られていなかったスパイの役割についても改めて検討の対象に加えるべきである。そして、事実関係にもとづいて、あの事件が冤罪であったこと、処分が間違っていたことを率直に認め、すべての関係者の名誉回復を行なうべきである。そのような真摯で誠実な対応をするならば、それは共産党に対する信頼を強め、その権威(架空ではない真の道徳的権威)を著しく高めるだろう。
 それこそが、日本共産党を強化し発展させる真の道である。

1999年7月6日(S・T)

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