まず、この講演をひととおり読んで感じるのは、全体として自画自賛に終始しているということである。もちろん、党創立を祝賀する式典における講演であるから、党の歴史の肯定的側面を中心に語ることになるのは、ある程度当然と言えよう。
しかしながら、革命党たるもの、外部からの不当な攻撃に対しては断固たる反撃を加えなければならないが、自らの党の歴史と現状について総括的に語る際には、つねに自己批判的な視点を堅持し、誰よりも厳しく自らの誤りと弱点を明らかにしなければならないはずである。けっして一面的な自画自賛に陥ってはならない。レーニンは常にそういう態度をとってきたし、それが、他の政党にはない大きな道徳的権威をボリシェヴィキに与えた1つの重要な要因であった。だが、不破委員長の今回の記念演説は、不幸なことに自画自賛に終始したものだった。
たとえば、「第1の角度」として、党の綱領路線について語られている。38年前に確定した現綱領における、民主主義革命と社会主義革命の2段階革命路線は、「いま私たちがとなえている『日本改革論』そのものなんです」と述べ、これが今日、世界的に評判になっているとして、次のように述べている。
「当時は、世界でどの共産党もいわなかったかもしれないが、『資本主義の枠内の民主的改革』という考えは、いま世界で大きな評判になっていて、”日本共産党というのはすばらしい方針をもっているそうだ”と、外国のかなりの人が関心をもち、私たちに質問してきます。日本の国内でも『日本改革論』というのは、大きな支持と共感をひろげています。すでに歴史の答えで、決着はつきました」。
この部分にはいくつか疑問がある。まず何よりも疑問なのは、「日本改革論」が2段階革命論の綱領路線そのものだ、という主張である。すると、「日本改革論」というのは、綱領で言う「民主主義革命」の段階のことを言っているのだろうか? だがもしそうなら、この民主主義革命には、天皇制を廃止して共和制を実現することも含まれるはずだが、「日本改革論」でそのようなことが一言でも言われただろうか?
さらに疑問なのは、綱領路線の正当性の如何という重大問題が、外国のかなりの人が関心を持っているとか、日本国内で「日本改革論」が大きな支持を広げている(といっても、議席のごく一部を獲得する程度の支持であるが)ということだけで判断できるのか、ということである。問題はそんなに簡単なことなのだろうか? 歴史の審判とはそんなに安易なものなのか?
綱領確定当時、日本を含むすべての先進資本主義国では高度経済成長の前夜ないしその始まりの段階にあり、したがって、むしろその時点においては「資本主義の枠内での民主的改革」というスローガンにはリアリティがあった。実際、社会民主主義政党はこのスローガンを体現して、資本主義社会の改良に取り組み、政権党として大きな成果を上げてきた。だが、高度経済成長が終焉し、60~70年代に獲得された多くの「改良」の成果さえ縮小ないし廃止され、ますます残酷な市場万能主義の政策が実施されている現在、「資本主義の枠内での民主的改革」にどのようなリアリティがあるというのか? 「資本主義の枠内での民主的改革」路線においては日本共産党よりはるかに先輩である社会民主主義政党でさえ、新自由主義の荒波に飲み込まれ、自ら獲得に奮闘した到達点をも掘り崩しつつあるというのに。
こうした状況にもかかわらず、日本共産党の「資本主義の枠内での民主的改革」路線がもし一部で「支持」されているとすれば、それは単に、社会主義に対する拒否、否定、忌避の感情が世界的に強まったからにすぎない。不破委員長が自分たちの優位性として語っているものは、実際には、世界的規模での社会主義の体制・運動・理論の全面的後退の表現でしかないのである。
さらに、「第4の角度」として、日本共産党が政党としてどのような発展をしてきたかが論じられているが、その中で不破委員長は、全国で2万6000の支部が活動していること、『しんぶん赤旗』の発行部数が多いこと、民主集中制によって党内民主主義が保障されていることなどについて得々と語りはするものの、現在の党が直面している問題はすべて完全に回避している。
2万6000の支部、これはもちろん偉大な到達点であり、すべての党員はこのことを誇りにしてよい。だが、その支部の多くが今や高齢化し、規模も縮小しつつあること、学生支部が急速に縮小・崩壊しつつあること、民青同盟は地区さえも維持できないほど縮小していること、等々については語られない。たとえば最近、先進的支部の経験を聞く会が中央レベルで開かれ、このことは『しんぶん赤旗』や『グラフこんにちは』等で大々的に宣伝されたが、その模様を写した写真を見れば一目瞭然だが、その先進的支部の代表者はほぼ全員が50~60代の中高年党員だった。
数百万の発行部数を持つ『しんぶん赤旗』もまた共産党が誇りにしていい偉大な到達点であるが、その配達の大部分が、地域支部の高齢者によって担われており、支部の活動のかなりの部分が、赤旗の仕分け・配達・集金にとられていることについては語られない。
現在の民主集中制が党内民主主義を保障している証拠として、不破委員長は、大会前に議案に対する意見を募集してそれを『評論特集版』で公表していることを挙げているが、しかしそのわずかな党内民主主義的措置さえしだいに縮小されていっていることは語られない。寄せられた意見の数が、第19回党大会、第20回党大会、第21回党大会と経るにつれ、大きく減少している。不破委員長自身、第20回党大会に327通寄せられたのに、第21回党大会にはわずか186通しか寄せられていないことを紹介しているが、その激減の理由については語られない。
その理由は、まず第1に、第19回党大会で厳しい批判意見を寄せた党員の多くが、その後、党機関に呼び出され厳しく叱責されたこと、その中の少なからぬ部分が除籍されるか、嫌気がさして離党したことである。
第2に、意見募集の期間が短縮したことである。第19回党大会においては、2ヶ月以上が保障されていたのもかかわらず、第21回党大会では、わずか1ヶ月ちょっとに短縮している。こんな短期間でどのような実質的な討論が可能になるというのか?
第3に、第19回党大会では認められていた反論権が、第20回党大会以降はまったく認められなくなったことである。いちばん党内討論が盛りあがった第19回党大会前の討論のときには、批判意見を出した党員に対し、必ず中央所属の党員からの反論意見がただちに掲載されたが、そのさい、反論意見に対する再反論が批判された党員に許されていた。基本的に党員は1回しか意見を書けないが、直接名指しで批判された場合に限り、反論権として、追加的な意見を出すことができ、それはきちんと公表されたのである。しかしながら、第20回党大会前の討論においてはすでにそのような反論権は認められず、直接名指しで批判された党員でさえ、その批判に対する反論を出しても『評論特集版』には掲載されなくなった。第21回党大会のときには、討論期間が短すぎて、そもそも反論を出すことは不可能だった。
第4に、第19回党大会のときには、字数制限を守っているかぎり相当に手厳しい批判意見も掲載されたし、人事にかかわる意見(宮本議長の退陣要求を含む)さえ掲載されていたが、第20回党大会以降は、厳しい批判意見は掲載されなくなり、とりわけ、人事にかかわる意見はまったく掲載されなくなったことである。また、現在の民主集中制のあり方を批判したりすれば、それだけで規約を否定したとみなされて、処分されかねないような雰囲気が作り出された。
これが、不破委員長が、今回の講演で誇らしげに語る党内民主主義の実態である。
さらに、不破委員長は、「第3の角度」として、政治戦線の中での日本共産党の役割について語っているが、「日の丸・君が代」の法制化をめぐる日本共産党指導部の重大な政治的失策については完全に沈黙している。今年の2月末における戦後初の海上警備行動の発動について党としてまったく正式の見解を出すことができなかった事実についても沈黙している。
もう一度言うが、党創立記念講演会という性格上、党の成果、その優位性を語ることに力点が置かれるのはやむをえない。どんな政治団体もおそらく同じことをするだろう。だが、こういう機会であるからこそ、党が直面している諸問題、党が抱える深刻な限界、欠陥について率直に語り、幻想をもってではなく、事実を直視することによって、未来に向かっていく立場を確立するべきであったし、それこそが共産党にふさわしい態度であったであろう。