第2に、全体として、日本一国主義、あるいは日本共産党中心主義とも言えるような態度が貫かれていたことである。
不破委員長は、「第2の角度」として世界との関係を論じているが、そこでもっぱら強調されているのは、外国の党からの干渉をはねのけたということである。もちろん、これはこれで非常に立派なことであり、われわれも誇りとするところであるが、しかし世界との関連はこのことに尽きるわけではない。世界の革命運動、解放運動、社会進歩にどのように連帯し、どのようにそれらに貢献してきたかという側面は、ほとんど論じられていない。あたかも、外国から干渉されさえしなければ、日本社会は一国だけで発展しうるかのごとくである。
たとえば、宮本議長の時代、日本共産党は核兵器の廃絶を緊急課題として設定し、さまざまな国際的会議や舞台でこの問題を取り上げた。そして、宮本議長(当時)は、核兵器廃絶問題に対してどういう態度をとるかが、生産手段の社会化や社会主義的民主主義や民族自決の尊重と並んで、社会主義の基本条件の一つであるとさえ断言した(1989年6月に開かれた第5回中央委員会総会における冒頭発言)。宮本元議長のこうした認識が正しいかどうかは別にしても、いずれにせよ日本の共産党と民主勢力が世界の核兵器廃絶運動において先進的で積極的な「国際貢献」をしたことは間違いない。だが、今回の不破講演において、日本共産党の核兵器廃絶運動については何も語られていない。
また、70年代、日本共産党は民主勢力の先頭に立って、ベトナム反戦運動を推進し、ベトナム解放運動に対する熱心な連帯闘争を行なったが、この点についての記述もほとんどなく、かろうじて、中国とこの問題で話し合ったことや、アメリカ帝国主義の各個撃破戦略を解明し、それがベトナムで翻訳紹介されたということだけである。
同じことは中国に対する態度についても言える。かつて日本共産党は、天安門事件のときに、中国の体制を、「科学的社会主義-共産主義に全く縁のない軍事支配体制」と規定し、口をきわめて非難したが、その後、中国共産党側が、過去の日本の共産党への干渉を正式に反省する態度をとると、手のひらを返すように態度を変え、今では次のように言うようになっている。
「中国の共産党とのあいだにはこれを基盤に、お互いに気持ちのよい友好と交流の関係をつくりあげることができました」。
中国の現在の支配体制が、天安門事件当時と比べて何か決定的な変化を遂げたのだろうか? 中国当局はあの事件を反省したのだろうか? 国内の民主主義や人権、民族問題、急速な市場化のもとでの労働者の権利保護などの領域において、何か重大な進歩があったのだろうか? これらの問題については何も語られない。
一方でソ連共産党の解散をもろ手を上げて歓迎し、他方で中国共産党とは「お互いに気持ちのよい友好と交流の関係をつくりあげる」。この対照的な態度にいかなる真面目な政治的基準も存在しない。この2つの態度の差をもたらしたのは、ただ、日本共産党に対する両党の態度の違いだけである。
またそもそも「世界との関係」を論じるのなら、戦後世界史の主要な流れを押さえた上で、その中での日本の位置と日本共産党の役割について語らなければならないはずである。だが今回の不破講演にはそのような視点はまったくない。
先進資本主義国における68年の反乱とベトナム解放戦争の勝利を頂点とする60~70年代初頭における世界的な革命運動の進展、70年代半ば以降における革命運動の世界的停滞ないし後退、とりわけ80年代におけるレーガン政権、サッチャー政権の成立以降における大規模な新自由主義政策の開始、湾岸戦争を画期とする帝国主義的国際秩序の再編、ソ連・東欧の崩壊による社会主義意識の世界的解体、ニカラグア革命政権の崩壊、カンボジア革命政権の変質――こうした世界史的な諸事件はいずれも不破氏の念頭にはまったくないようだ。
たとえば不破委員長は、「第3の角度」として、国内の政治戦線の変遷と日本共産党の前進後退について語っているが、国内における政治的経過が基本的に世界的な進歩と反動の流れとほぼ一致していることについて、完全に沈黙を守っている。この一致は単なる偶然だとでも言うのだろうか? 60~70年代初頭における革命運動の嵐のような前進と70年代半ば以降の停滞ないし後退という基本的な流れは、日本でも世界でも同じであったが、このことは、日本の歴史的流れが一国だけで起こっているのではなく、世界的な影響を受け、その一貫として起こっていることを物語っている。だが、もちろん不破委員長にそのような視点はまったくない。彼の立場はどこまでも一国主義的である。