この「雑録」は、日本共産党とその周辺をめぐる動きの中で、短くても論評しておくべきものを取り上げて、批判的に検討するコーナーです。
『派兵チェック』第83号(8月15日付)の「運動メディアのなかから」というコーナーで、全共闘出身の運動家・評論家である天野恵一氏が、前号『さざ波通信』の書評「歴史の真実を直視し、誤りを認める勇気を」に噛みついている。上記書評が最後のところで、「そして、事実関係にもとづいて、あの事件が冤罪であったこと、処分が間違っていたことを率直に認め、すべての関係者の名誉回復を行なうべきである」と主張しているところを引用して、天野氏は次のように述べている。
「『名誉』を『回復』する権利なんてものが党中央にあるのかね。まったくの冤罪で人権蹂躙の査問をし、処分した党中央のメンバーは、本当にそうであるなら、被害者たちに具体的に謝罪をし、心身に与えたダメージについてキチンと賠償するべきであり、責任を取るしかないないではないか。『名誉を回復』する権利などが、加害者の彼等にあるわけがない」。
このように批判した上で、ソ連におけるかつての粛清の犠牲者たちに対するセレモニー的な「名誉回復」劇を取り上げて、「これに疑問や怒りを持たない感性や論理は、党(中央委員会)信仰の中を生きている感性や論理ではないのか」と揶揄し、さらには、これが天皇制国家の論理にさえ通じているとして、次のように締めくくっている。
「侵略戦争に人々を駆り立てた天皇制国家は、天皇にまったく責任を取らせずに延命させた。そして代替わりしたアキヒト天皇や国の支配者たちが、戦死者たちを哀悼して、平和を語ってみせる8・15の式典が毎年まだ続いている。加害者たち(国)が被害者(死者)をたたえることを、あたりまえとする倒錯。加害者に『名誉回復』を要求するという発想は、どこかこうした倒錯に通底してしまうものではないのか」。
以上の批判に「通底」しているのは、何か「名誉回復」というものを最初から、加害者が自己の責任を回避するためのセレモニー的なものであると決めつけていることである。われわれの文章をもう少しよく読んでもらいたい。われわれは正確には次のような文脈で名誉回復について言及している。
「新日和見主義事件を見直す特別の調査委員会を中央委員会に設置し、改めて関係者から事情を聞き、事実関係を調査するべきである。そして、事件当時には知られていなかったスパイの役割についても改めて検討の対象に加えるべきである。そして、事実関係にもとづいて、あの事件が冤罪であったこと、処分が間違っていたことを率直に認め、すべての関係者の名誉回復を行なうべきである」。
つまり、特別の調査委員会を設置して、事実関係をきちんと調査し、その上であの事件が冤罪であったことを、処分が間違いでことを公式に認めることを求めているのである。あの事件が冤罪であったことを認め、処分の誤りを公式に認めることは、すなわちその当時の事件関係者の名誉を回復することに他ならない。何か名誉回復のセレモニーなるものがどこかにあるのではなく、当時の被査問者たちが分派でもなければ反党的でもなかったということを、事実の調査にもとづいて率直に認めること、処分を下した側の誤りを公式に認めること、これらの総体が名誉回復を行なうことなのである。
天野氏は、「被害者たちに具体的に謝罪をし、心身に与えたダメージについてキチンと賠償するべき」と述べている。もちろんその通りだが、そうすることの前提が、冤罪を負わされた人々の名誉を回復することだということが、どうしてわからないのだろうか? もしかしたら、天野氏は、被害者の名誉を回復することなく、すなわち、あの査問や処分が間違いであったことを認めることなく、被害者に対し謝罪をし賠償をせよと言うつもりなのだろうか? つまり、党中央委員会が、あの査問は間違いではなかったし、新日和見主義分子はやはり反党分派活動をやった反党集団だったが、謝ったほうがよさそうなので謝るし、お金がほしいならお金を出します、という態度をとるべきだとでも言うのだろうか? このような態度こそ「傲慢」かつ「欺瞞的」だろう。当時の被査問者は、離党した人を含めて誰一人としてそのようなふざけた態度を許さないだろう。
謝罪するにしても、賠償するにしても、その前提は、事実関係の再調査をきちんとした上で、あの事件の不当性を党として公式かつ真摯に承認し、処分の誤りと処分した側の責任を明確にすることである(何度も言うが、こうした行為の総体が「名誉回復」措置なのだ)。侵略戦争に人々を駆り立てた天皇制国家が、いったいそういうことをいつどこでやったというのか?
天野氏がこのような奇妙な批判をわれわれの書評に向けることになった理由は、2つほどあると思われる。1つは、かつてのソ連におけるセレモニー的な名誉回復行事の印象が強烈であったために、「名誉回復」という言葉だけでただちに、あの「名誉回復」セレモニーと同じであると短絡する傾向があったこと、である。もう1つは(そしてこちらの方が重要だと思われるが)、しょせんは日共党員の主張なのだから、党中央を信仰する論理の中にとどまっているにちがいないという無意識の偏見があることである。
天野氏は、われわれの書評を批判した同じ文章の冒頭部分で、最近、共産党が路線転換し、これまで一線を画していた部分(新左翼や左派市民運動)とも連携するようになった事実を紹介しつつ、次のように述べている。
「違った意見は排除するという、あの官僚主義組織体質に長く親しんでいる人々と、どのような討論が可能なのかという思いが胸の内にわき上がってこなかったわけではない」。
さらに、天野氏が『査問』を読んだ感想においても、査問を行なった側(党中央)の理不尽さに対する怒りよりもむしろ、あんなひどい査問を受けながらなお党にとどまりつづけた側(「新日和見主義者」)に対する嫌悪の方が優っている。
「『査問』を読んだ時、あんなことをされながら、長い長い時間共産党員でありつづけた川上らのあり方が不気味だった」。
このような文章の底流に流れているのは、共産党員というものを事実上同じ人間であるとはみなさない差別意識である。川上氏らが党にとどまったのは、単に党に対する信仰があっただけではなくて、世の中をよくしたいという思い、自分の人生を社会の進歩と変革に結びつけたいという思いが強烈であったからであり、その思いが査問の屈辱にさえ優っていたからである。
川上氏ら関係者がすごした20数年間というものが、苦悩と迷いと自己嫌悪に満ちたものであり、党員として社会進歩に貢献したいという思いと党に対する不信や絶望とが複雑に錯綜していた月日であったことは、その手記を見ても明らかである。このような人間的感情を「不気味」という一言で切って捨てる天野氏の感性とは、いったい何なのか? それこそ「不気味」ではないのか?
天野氏のような人なら、党なんて関係ない、そんなものなくても運動はできると言うだろう。だが、強力な組織なしに運動できる強い人々は社会の中のごく一部であり、多くの普通の人々は、組織に属し、その組織に守られることではじめて運動に立ちあがれるのである。強力な労働組合がなくても、強い個々人が個別に労働運動をすることは可能であろうが、労働者の広範な層が運動に参加することはないだろうし、したがって労働者全体の権利も守れないだろう。
強力な労働組合や強力な農民組合が必要であるのと同じように、強力な労働者政党は必要である。強力な組織はすべて官僚主義になり、個々人の創意や自主性を抑圧する、だから強力な組織はナンセンスである、「自立した個人の連帯」型の緩やかな組織だけでいい、という考えはエリート主義的である。多くの弱い諸個人は、組織によってバックアップされ、保護されてはじめて「自立」できる。問題は、その強力な組織の内部でどのように民主主義を確保するべきか、外部における自立性が内部における従属性とならないための制度的仕組みをどのように保障するのか、官僚主義や組織信仰が生じた場合(そして、それは一定必然的である)、その現われを制約し、それを時機を失せず是正するにはどうしたらいいのか、等々である。
このような問題に対し簡単で手軽な答えなどもちろん存在しない。組織に属する人間が日々、試行錯誤を重ねながら、実践し理論化していくしかない。その複雑で錯綜した過程を構成する1つが、過去の誤りに対する対処の仕方である。単に謝って金を出せばいいのではなく(これこそ今の自民党政府のやり方ではないのか?)、調査委員会を設け、事実関係をすべて洗いなおし、それにもとづいて自らの誤りをきちんと認め、冤罪を負わされた人々の名誉を回復することが絶対に必要なのである。こうした真摯な態度こそが、同じ過ちを繰り返さない最低限の条件である。