インタビュアー では次に、小沢の改憲論が発表された翌月の『文芸春秋』に発表された鳩山由紀夫の改憲論についてお願いします。
H・T まず鳩山改憲論の全体的性格について明らかにしておきます。鳩山の論文は、『文芸春秋』9月号に小沢の改憲論が出たことをふまえて書かれていますので、当然ながら、それに対する対抗改憲論として押し出されています。たとえば、冒頭でこう述べています。
「現役の政治家が憲法に対する自分の考え方を述べるのは、自らの政治姿勢を明確にすることであり非常に大事なことです。その意味で小沢一郎自由党党首が『日本国憲法改正試案』を文芸春秋九月号に発表したことは大いに評価しています。
ただ、内容に関してそのまま受け入れることはできません。いまの政界は自民党、自由党それに加えて公明党が手を結び、いわゆる『自自公』という枠組みをもって総保守化の傾向にあります。その一角を占める小沢党首の試案は、あくまでも総保守の与党的な立場を代弁した憲法改正試論にすぎないとしか感じられません。こういった総保守化の傾向に対して私は、ニューリベラルという新しい理念を二十一世紀の日本に位置づけていきたいと考えています」。
しかしながら、その「ニューリベラル」の中身を見るなら、とうてい小沢改憲論に対するオルタナティブとしての性格を持っていません。それどころか、一部は、小沢改憲論よりもある意味で右寄りの内容となっています。
これを読めば、民主党という政党がいかに総保守に対する対抗政党となりえないかを示していると言えます。
インタビュアー では、具体的に中身をお願いします。
H・T 鳩山は、自分の言う「ニューリベラル」について、実に明快な説明を与えています。
「これまで日本でリベラルというと、頑固な護憲思想と嫌米意識を持ち、極めて平等主義的な発想から弱者の保護を徹底的にやるという大きな政府志向の政治姿勢を指して来ました。しかし、いまの時代にこのような考え方はとても通用しません。ニューリベラルは、リベラルの名は受け継いでいますが、方向性はむしろ逆と言ってもいい。ニューリベラルは、憲法を『不磨の大典』などとは考えていません。憲法改正は大いに論議すべきだし、基本的に親米意識を持ち、市場経済にもっと自由と自律性を持たせ、政府の役割をなるべく小さくしていくべきだと考えています」(『文芸春秋』10月号、262頁)。
こういう思想は普通は、ネオリベラルと呼ばれます。「ネオ」を「ニュー」と言いかえたとしても、中身は何ら変わりません。鳩山自身が言っているように、弱者保護・市場規制型の現代リベラリズムとは正反対の方向性を持っており、弱者切り捨て、市場自由化を指向しています。このような政策原理は、すでに現在の支配層の主流的動きになっているのですから、このような立場がいかなる意味でも、現在の保守与党に対する対抗軸になりえないのは明らかです。
では具体的にどのように機能するかというと、要するに、政府与党に対してもっと大胆に自由化をせよと迫るという反動的役割しか果たしえません。鳩山民主党も基本的に自民党政治に対する右からの改革者でしかないのです。
インタビュアー しかし、鳩山もいちおう続く文章で「経済の自由化によって弱肉強食が過剰に進めば、社会不安が広がります。そこで社会政策を重視していきます」と語っていますね。これをどう見たらいいんでしょうか?
H・T その意味は、さらに続けて鳩山が言っていることによって明らかになります。
「しかし、私がニューリベラルと敢えて言うのは、弱者の保護といったリベラルの金科玉条に縛られることなく、市場経済の有効性を認め、むしろ強い経済をつくるための方策を積極的に打ち出していくことが必要だと考えるからです」。
この順番がすべてを語っています。「社会政策の重視」なる文言は、結局のところ市場経済の自由化という文章の間にはさまれ、その中に完全に埋没しています。鳩山が本当に実現したいのは何なのかということが、この一連の文章にはっきりと示されています。
しかし、以上のことに加えて言っておかなければならないのは、彼ら新自由主義者が時おり唱える、「過剰な自由化による社会不安を取りのぞく必要性」なるものが、必ずしもリップサービスだけではない、ということです。
インタビュアー それはどういうことでしょうか?
H・T 真剣に新自由主義の政策をやるには、やはり社会不安の増進に対する一定の考慮をしておく必要があるということです。単なる評論家なら、弱者保護ナンセンスと叫んでいればいいのですが、選挙の審判を受ける為政者として真剣に新自由主義政策をやろうとすれば、その種の配慮はどうしても必要になります。
実際、新自由主義政策の基本的方向性を打ち出した政府の諮問機関である経済戦略会議の最終答申も、「セーフティネット」の構築に言及しています。
というよりも、法政大学教授の金子勝氏が提唱して以来、むしろ今ではセーフティネット論がすっかりハヤリとなり、とりあえず「セーフティネット」さえ言っておけば、いくら自由化を言ってもいいかのような暗黙の合意さえ形成されつつあります。いわば、セーフティネット論が新自由主義政策の反動性をおおい隠すいちじくの葉となっています。
インタビュアー 革新系政治学者の五十嵐仁氏や加藤哲郎氏は、公式文書にさえセーフティネット論が入れられたことを、金子勝氏の偉大な成果のようにホームページ上で語っていますが…。
H・T それはいささか無邪気な見方ですね。むしろ、セーフティネット論がああも簡単に新自由主義派の公式文書に入れられたことは、セーフティネット論の構造的脆弱さを示しているのではないでしょうか? 私は、このことからしても、セーフティネット論が、新自由主義政策に対する根源的な対抗軸にはなりえないと思います。今後ますます、一方でセーフティネット構築を(たいていは口先だけで)宣伝し、他方では、それがあるから大丈夫という口実でいっそう激しい自由化路線・民営化路線を強行する、という構図が一般化するでしょう。
実際、鳩山は、民主党の代表に選ばれた直後のインタビューで、鳩山の「新リベラル主義」は何を目指すのかと聞かれて、こう答えています。
「自立と共生、つまりセーフティネットを併せ持ったものが新リベラル主義。両方を追求していく『民主・両道路線』なんだ。まず自由を求めて小さな政府を志向していくが、そこで生じる失業者には依存型の給付ではなく、自立して自由競争に復帰できるような環境をつくりたい。自民党は両方とも徹底しない中途半端な路線。自由党とは近い部分もあるが、セーフティネットをどこまで重視するか見えない」(9月28日付『東京新聞』)。
自民党よりも自由党に近いという発言は、非常に正直なものです。自民党をその中途半端性において批判しているのも実に示唆的です。一定のセーフティネットを構築して、どしどし首切りできる体制をつくろうというわけです。まさに新自由主義政党にふさわしい態度だと言えるでしょう。
インタビュアー この点に関して菅直人はどうなんでしょう?
H・T 菅直人もまったく同じです。たとえば、9月8日付『毎日』のインタビューの中で、菅直人は「経済構造改革は積極的に進めるが、セーフティネットも必要。私は両方を強調する」と述べています。言葉の上でも鳩山とまったく同じです。