とどまるところを知らない進軍ラッパの吹き手たる西村は、続いて、マスコミで話題にされた核武装発言につながる一連の発言に入っていく。
「大川 ……今の政治家は特に防衛問題で歯切れが悪いですよね。
西村『攻撃的兵器は持たない』とかね。攻撃的でない兵器ってなんだ? 水鉄砲かっちゅうねん。
大川 『人に優しい殺し方』って難しいですよ(笑)。『専守防衛』というのも意味がわからない。
西村 あれは相手が撃つまで撃ったらアカンっちゅうこと。ところが今、相手が持っているのはミサイルでっせ。一発で何十万人と死ぬ。それ撃たれてから反撃しようにも、命令を下す内閣総理大臣が死んでしまっておれへんがな(笑)」。
「専守防衛」を明確に否定するこの発言をよく覚えておこう。発言はさらに、「トロイの木馬」発言を経て、いよいよ「核武装」発言に入る。
「西村 小沢一郎党首は密かにトロイの木馬みたいなことを今の政府答弁でやろうとしているんです。次の国会で、中からいろいろと出てくるからわかりますよ。……
大川 ……今度のクーデターでインドとパキスタンの間で核戦争の危機が叫ばれていますが、やっぱり危険な状態なんですか?
西村 いや、核を両方が持った以上、核戦争は起きません。核を持たないところがいちばん危険なんだ。日本がいちばん危ない。日本も核武装したほうがエエかもわからんということも国会で検討せなアカンな」。
日米支配層が、今のところ、日本の核武装をめざしていないことは明らかである。アメリカ帝国主義にとっては、核兵器の保有はできるだけ一部の国に限定したほうがいいのであって、その方が核超大国として管理がしやすい。アメリカ帝国主義にとって日本の核武装には何のメリットもない。それはいたずらに周辺国を刺激するだけであって、アジア太平洋地域におけるアメリカのヘゲモニー維持にとってマイナスになるだけだ。
したがって、アメリカ帝国主義に構造的に従属している日本の支配層の当面の政治日程のなかに日本の核武装は入っていない。しかし、だからといって西村の核武装発言が無害だということにはならない。
まず第1に、唯一、直接国民のうえに核兵器を落とされた国において、安易な核武装発言をすることは、日本および世界中に広がりつつある反核運動に水を差し、それに正面から敵対することを意味する。
第2に、それは、ミサイルを落とされてもいいのかと脅すことで、国民のなかに危機感を煽るだけでなく、近隣諸国との間に政治的緊張を高め、国際紛争の平和的解決を著しく困難にする。そしてそうした緊張関係は、またもや日本の軍国主義的衝動を強める。
第3に、そうした発言は、日本の核武装とまではいかなくても、アメリカの核の必要性を国民意識に植えつけ、それへの依存を強める役割を果たす。
これらは総合して、日米支配層の手を縛っていた国民の反核意識を解除し、日米帝国主義の核兵器政策をいっそう危険かつ大胆なものにするだろう。
また、この発言の中で西村は、「トロイの木馬」として自分が政府に送り込まれたと赤裸々に告白している。先の自己顕示的解釈と同様、この自己顕示的発言もどこまで信用していいか不明だが、西村抜擢にそれなりの意図があったことは間違いない。それはおそらく、これまでの政府答弁の範囲をあえて越えさせることで、これまでの政治的限界域を広げることだろう。最初は騒然としても、一度それが発言されれば、次からはその程度の発言は目新しいことではなくなる。そして、現在のマスコミや国民世論の右傾化状況をふまえるならば、うまくすれば、政府の舵取りをもっと大胆に右に切るきっかけになるかもしれない。おそらく、そういう意図が小沢の側にあったと思われる。
実際、『文芸春秋』における小沢一郎のあからさまな改憲論は、スキャンダルとして扱われることもなく、すんなりと政局を通過した。それどころか、それに触発されて、民主党の鳩山までもが改憲論を『文芸春秋』にぶち上げ、その鳩山が民主党の新党首に就任した。つまり、小沢自ら、憲法問題に関して「ブレイクスルー」を敢行し、見事それに成功したのである。
これに味をしめた小沢が、「ブレイクスルー」の第2弾として、右翼国家主義者の西村を防衛政務次官として推薦したということは十分にありうることである。だが今回の場合は、西村の軽率さゆえに、「ブレイクスルー」には十分成功しなかった。
だが、西村発言が単に失敗であったとだけみなしては、政治的にあまりにも楽観的すぎるだろう。右派メディアは、西村擁護の大合唱をはじめており、『週刊新潮』はさっそく、辞任した西村に誌面を提供して、改めてその国家主義的主張を繰り返させている。小沢の予定通りではなかったとはいえ、それでも一定の「ブレイクスルー」がなされたとみるべきである。だからこそ、われわれは、西村発言を絶対に軽視せず、これを徹底的に追求し、真にこの発言を彼らの政治的失策にしなければならないのである。