西村防衛次官の暴言と日本共産党の課題

西村の性差別的暴言の本質

 すでに述べたように、西村にあっては右翼国家主義的発言とあからさまな性差別的発言とが渾然一体となっている。その本質からして国家主義、軍国主義は、男性至上主義と密接に結びついているが、その結びつきをここまで赤裸々に示した例は希有であり、その意味で、このインタビューは貴重なものである。
 まず西村は、インタビューの冒頭からいきなり、次のように述べている。

「今は尖閣諸島に行くよりも、六本木の風俗店に行く方が難しくなってきましたわ」。

 西村が勝手に日本の領土とみなしている無人の尖閣諸島と、六本木の風俗店とがここでは同列に並べられている。それは単に、『週刊プレイボーイ』読者の受けを狙ったものというだけではない。どちらも、西村にとっては、自らの男らしさを誇示する手段なのである。無人の尖閣諸島に乗り込む自分と、六本木の風俗店で豪遊する自分――どちらのイメージも、人間としては限りなく卑小な男が自己像をせいいっぱい拡張するために欠かせないものである。
 性的なものと軍事的なものとのオーバーラップは、このインタビューの全体を通して貫かれている。たとえば、インタビュアーの大川が自衛隊の協力で撮影した写真を見せる下りでは、次のような会話が交わされている。

大川 ……でも、政務次官になったんだから、もう乗りたいものは乗り放題ですね。
西村 そうそう。柔らかい乗り物(女)には乗れませんけど、カタイ乗り物には乗り放題ですわ(一同爆笑)」。

 女性を「乗り物」にたとえるのは、性差別主義的男性のよく使う下品な用法であるが(だから「一同爆笑」になる)、ここでは、「カタイ乗り物」(兵器が想定されている)との対比で使われている。軍艦や戦闘機を乗りこなすことと、女を「乗り」こなすことは、西村らにとって「男らしさ」の象徴なのである。
 すっかり調子に乗った西村は、インタビューの終わりあたりで、問題となった「強姦」発言を連発する。そこには、西村という人間の本性のみならず、軍国主義的感性の本質が赤裸々に示されている。

西村 個人的見解としてね。核とは『抑止力』なんですよ。強姦してもなんにも罰せられんのやったら、オレらみんな強姦魔になってるやん。けど、罰の抑止力があるからそうならない。周辺諸国が日本の大都市に中距離弾道ミサイルの照準を合わせておるのであれば、我々はいかにすべきなのかということを国会で議論する時期に日本もきているんです。
大川 社民党がまた『いつかきた道』って言うんじゃないですか?
西村 まあ、アホですわ、あんなもん。何を言うとんねんと。だからボク、社民党の(集団的自衛権に反対を唱える)女性議員に言うてやった。『お前が強姦されとってもオレは絶対に救ったらんぞ』と。
大川 強姦という言葉がすごくお好きなんですね(笑)。
西村 あ、ちょっと使いすぎるな(笑)。でも、これを言うたら事態が明確になるんですわ。例えば、集団的自衛権は『強姦されている女を男が助ける』という原理ですわ。同じように言えば、征服とは『その国の男を排除し、征服した国の女を強姦し、自分の子供を産ませる』ということです。逆に、国防とは『我々の愛すべき大和撫子が他国の男に強姦されることを防ぐこと』…
大川 強姦で語る防衛論! ぜひ国会でそういう答弁を聞きたいですね」。

 軍国主義と一体になった男性至上主義が凝縮しているこの一連のやりとりを、一つ一つ確認しておこう。
 まず西村は、「強姦してもなんにも罰せられんのやったら、オレらみんな強姦魔になってるやん。けど、罰の抑止力があるからそうならない」と述べている。この隠喩においては、「国家」と「男性」とがオーバーラップしている。男(国家)はすべて潜在的に強姦魔(侵略者)であり、罰の抑止がないと強姦(侵略)に走る存在として規定されている。しかも、西村自身が「オレらみんな」と表現しているように、何よりも西村本人(日本)がそういう男(国家)であることが語られている。
 そのうえで西村は集団的自衛権を「強姦されている女を男が助ける」原理だとしている。ここでは、「女」と「侵略された国」とが重ね合わされている。西村の定義はさらに続く。「征服」は「その国の男を排除し、征服した国の女を強姦し、自分の子供を産ませるということ」であり、国防とは「我々の愛すべき大和撫子が他国の男に強姦されることを防ぐこと」である。
 だが、西村はついさっき、何よりも自分たち(日本)を「潜在的強姦魔(侵略者)」と規定したところである。実際、すでに紹介したように、同じインタビューで西村は、「大東亜共栄圏、八紘一宇を地球に広げる」と豪語している。そうだとしたら、周辺国が、過去の侵略に対する何の反省もない潜在的強姦魔たる日本に照準をあわせて軍備を固めたとしても、どうしてそれに文句を付けることができるだろうか。すでにこの時点で、西村の周辺国脅威論は破綻している。
 そしてまた、「オレらみんな」(日本)が潜在的強姦魔なら、西村の言う「国防」とは、潜在的強姦魔が別の(顕在化した)強姦魔から「大和撫子」を守ることだということになろう。
 しかも、西村が言うところの「大和撫子」とは、男に対して従順な女性を意味する。なぜなら、西村は、集団的自衛権に反対した女性議員に対し「お前が強姦されとってもオレは絶対に救ったらんぞ」と言い放っているからである。つまり、男に逆らうような女は、レイプされてもかまわないとみなされているのである。こうした言論自体が、女性をレイプの恐怖で脅すものであり、許しがたい性暴力であるが、同時にこの発言は、西村の言う「国防」の本質を余すところなく示している。
 西村が「大和撫子」を他の強姦魔から防衛するのは、けっしてその「大和撫子」の性的自己決定権や性的平等や尊厳を尊重するからではない。それは、日本の男性専用であるべき「大和撫子」を他の国の男にとられないためである。ここでは完全に女性は男の性的所有物とみなされており、日本の血統の子供を生む道具とみなされている。そして、男の所有物とならない女は、保護の対象からはずされ、他の国の男の餌食となるよう言われる。だが、保護された女性の運命もこれよりけっしてましではない。なぜなら、保護を与えると称する男は実際には潜在的強姦魔であり、しかも、その強姦魔に対して従順であることが求められるからである。
 西村は「強姦」の比喩を使うことで「事態が明確になる」と述べているが、ある意味でたしかにその通りである。それは、性差別主義者の言う「女性保護」の本性と軍国主義者の言う「国防」の本性を、この上なくはっきりと示している。すなわち、どちらにおいても、真の「保護」も、真の「防衛」もなく、すべての男(国家)は潜在的に強姦魔(侵略者)であると脅しつつ、そういう自分が何よりもそうした男(潜在的に侵略的な国家)であることには口をつぐみ、強姦(侵略)の恐怖を煽ることで、自分たちの支配を貫徹しようとしているのである。

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