次に大西氏は、天下りや政官財癒着の構造が、日本型企業社会の構造と密接に結びついていると述べている。
「実は、天下りについても、政官財癒着についても、企業内でそうした不正を知っている人間たちは数多い。つまり、こうした不正を内部告発できない仕組みがこうした腐敗を構造化させている決定的な要因なのであって、ではその仕組みとは何かと問うと、結局、年功序列賃金によって形成された終身雇用制度の閉鎖性ということになる。なぜなら、年功序列賃金(これは単に賃金制というだけでなく昇進制を含む)の下では若年期間は仕事量以下の賃金しか受け取れないから、長期に在職してその貸しを取り戻されなければならない。つまり、会社にしがみつくことが絶対となるのであって、これが日本企業における労使一体化の基礎をなしている。……もし内部告発をして『会社の利益』を損なおうものなら……いずみ市民生協におけるように不当解雇に遭うか、『ガラスの檻』か窓際に追いやられて苛めを受けるのと同じ性質をもつ」。
おかしな論理展開に満ちている意見だ。だいたい、日本型企業社会の典型として「いずみ市民生協」の例が出されているのはまったく腑に落ちないが、それを置いたとしても、その論理の粗雑さには驚かされる。まず、年功賃金制度によって、若年期には労働者が生涯平均賃金よりも低い賃金を受け取るのは確かであるが、それを「仕事量以下の賃金しか受け取れない」と表現するのは、まったくもって誤りである。この論に従うなら、平均すれば労働者は仕事量に見合った賃金を資本からもらっていることになり、搾取は消えてなくなり、大企業の儲けがいったいどこから生じているのか説明不可能になるだろう。大西氏はいちおうマルクス主義を標榜していたのではなかったか?
また、腐敗を告発できない仕組みが年功賃金と終身雇用だというのも理解不能である。「終身雇用」の建て前があるからこそ、いずみ市民生協の事例のように、告発した労働者の「解雇」は「不当解雇」になり、労働者側が闘えば勝利できるのである。もし「終身雇用」の建て前がなく、アメリカのように「自由解雇原則」がある場合には、いずみ市民生協の告発労働者は「不当解雇」を撤回させることができず、他の職場を求めざるをえなかったかもしれない。
労働者がそうそう簡単に内部告発できないのは、年功賃金と終身雇用という日本的特殊性にあるのではなく、そもそも労働者が自分の労働力以外売るもののない弱い立場にあるからである。たとえ、欧米のように転職が日本より頻繁に行なわれる状況があったとしても、企業を内部告発した労働者が解雇された場合、そのような労働者をどの企業が中途採用するというのか?
また、内部告発できない理由が、若年期に生涯平均賃金より低い賃金をもらっていることだとしたら、すでに生涯平均賃金より高い賃金をもらっている中高年労働者なら、会社にしがみつく必要もないので内部告発できることになるだろう。だいたい、内部告発するような重要な情報にアクセスできるのは幹部労働者だけであり、そのような中高年幹部労働者はどうして内部告発しないのだろうか? 要するに、大西氏の説明は支離滅裂なのである。
企業と労働者個人とを対置して論じているかぎり、問題の活路は見いだされない。企業の不正や癒着を正す決定的な力は、個々人の決意ではなく、企業を越えて組織された強力な労働組合の存在、企業を外部から監視し告発する市民運動の存在、そして企業を上から統制し監視する健全な労働行政や規制立法の存在である。これらの存在があるならば、たとえ年功賃金制度や終身雇用制度があったとしても、企業の不正をより容易に告発し正すことができるだろう。この決定的な点を見逃し、あたかも問題が年功賃金(と終身雇用)だけにあるかのように見る見方は、現在、これらの制度を廃止して、労働者をより自由に解雇し、より能力主義・業績主義的な賃金制度を導入しようとする大企業を利するだけであろう。