大西氏は、以上のような議論を展開した上で、政官財癒着や日本型企業社会といった旧構造が成立していた理由とそれが崩壊しつつある理由について、次のような自説を展開している。
「まずはこれまでの年功序列賃金が成立しえた決定的条件としての高度成長を挙げなければならないだろう。少し考えれば分かるように、各企業で年功制が持続できるためには、年を経るにしたがって……高位のポスト数も増大しなければならないが、これがこれまで可能であったのは、とりも直さず高度成長で各企業が平均して高い成長率を実現できたからであった。……それがここに来て消失してしまった。ゼロ成長経済への転換はこうした以前の制度をどうしても続けることを不可能にしている。古い日本型の全社会的な支配構造の根幹を年功制に見る筆者の立場からはこうした変化が最も決定的なものであると理解される。終身雇用は守ると言っている企業はあるが、とは言っても年功制を廃止してしまえば、労働者を冒頭の意味でもはや企業主義の『檻』に止めて置くことはできない。こうした企業の労働者支配の弛緩はまずは選挙における企業の投票動員力の低下を招来し、それもまた共産党の躍進に結び付いたのではないかと筆者は考えている」。
年功制に限らず、日本の企業社会におけるさまざまな制度が、日本の特殊な年齢人口構成や戦前からの労使構造や戦後における階級闘争の特殊なありかたなどの諸要因とともに、日本の高度成長をもその前提にしているのは、もちろん、言うまでもないことである。しかし、ゼロ成長(はたして今後もゼロ成長がずっと続くかどうかはまったく証明されていない命題であり、はっきり言って誤りだと思われる)に移行して、これまでの年功制を維持できなくなったからといって、それがただちに「企業の労働者支配の弛緩」を意味するわけではない。
現在の企業の戦略は、基幹労働者部分を、以前の大卒男子正規社員全体から、より企業に忠実で資本主義的な意味で能力のある一部のエリート社員に絞り込むことである。この選別の過程においては、個々の労働者は、企業の中核部分にとどまろうとして、いっそうのこと企業に忠実的になるだろう。とりわけ、終身雇用の建て前が否定されて、いつでも解雇される危険性があるとすれば、なおさら企業に逆らえなくなるだろう。また年功制の廃止と業績主義賃金の導入は、労働者をいっそう激しい競争に駆り立てるだろう。これらの事態は、企業による労働者支配の弛緩とは正反対であり、むしろその支配の再編強化に他ならない。底辺労働者の地位が上がるのではなく、全体としての労働者の地位が下がるだけのことである。それを「企業の労働者支配の弛緩」などと描きだすことは、企業の反労働者的戦略を美化し、推進することに他ならない。
しかし、企業の中核部分から排除される労働者は、企業に対する忠誠を失うので、企業支配が弛緩することになるのではないか、と言う人もいるかもしれない。しかし、これは幻想である。中核部分から排除された人々は、基本的に企業社会の最底辺を担うのであって、低賃金・不安定雇用の大量労働者の一分子となるにすぎない。これらの「使い捨て」部分が、企業に対する忠誠を持っているかどうかは、企業にとってはどうでもいいことである。この部分における企業主義的心理の後退は、それ自体として何ら企業支配の弛緩を意味するものではない。
ここでも問題は、実際に、中核部分から排除された労働者を組織し、団結させ、企業に対する労働者切り捨て政策と闘うことである。このような組織化の主体的努力だけが、企業による労働者支配の弛緩を実際にもたらすことができる。そして、その闘いにおいて掲げられるべきは、年功制の廃止や終身雇用の撤廃というスローガンではなく、首切りリストラ反対、安定雇用を守れ、労働時間の男女平等の規制を、時短で雇用創出を、非正規労働者にも安定雇用を保障せよ、非正規労働者にも定昇を保障せよ、というスローガンでなければならない。