新自由主義を推進する「マルクス主義」学者大西広氏の
「新しい市民革命論」を批判する

日本共産党と日本社会の右からの改革者

 政官財癒着の構造打破をもっぱら反国家の課題と位置づけ、日本型企業社会の問題を年功制に還元し、共産党の躍進を「小さな政府」志向によって説明し、年功制の解体をもっぱら労働者支配の弛緩として解釈するという、一連の議論は、ある意味できわめて意図的であり、首尾一貫している。要するに、現在、日本が直面している社会進歩の課題は、あくまでも「資本主義の枠内の改革」であり、しかも、福祉国家的改革ではなく、その反対に新自由主義政策を断行し、「小さな政府」を実現することだというわけである。こうした結論に議論を強引に収束させることが、大西氏の「新」理論の目的である。
 歴史法則主義者である大西氏は、この論稿の最後において、うやうやしく次のように宣言している。

「したがって、今、労働側に求められる戦略はこの歴史法則に逆行するのではなく、制御しつつも促進する方向のものでなければならないだろう」。

 新自由主義政策を歴史法則の名のもとに労働者に受け入れさせることが、大西氏の企図するところである。そして、あえて共産党の躍進という話を持ってきたのは、共産党の現在の「資本主義の枠内での改革」という路線を支持する建て前をとりつつ、その「改革」の内容を新自由主義へとねじ曲げていくためである。実際には「小さな政府」路線を最もきっぱりと拒否している共産党の政策を、公然たる批判を通じて改めさせるのではなく、「誉め殺し」によって少しづつ右傾化させていくことが、大西氏のとっている独自の手段である。
 まさにこの路線は、日本共産党と日本社会を右から改革していく路線に他ならない。ソ連国家論を通じて帝国主義的経済主義の路線をとるに至った大西氏は、日本社会論を通じて今度は、新自由主義路線を明確にとるに至った。そしてこれはけっして偶然ではない。日本という帝国主義的富裕国の最上層に属する人々は、その階級的・階層的利害関係からして新自由主義政策を支持しないわけにはいかない。なぜなら、新自由主義政策は、社会的・経済的強者により多くの利益と自由と権力を配分するからである。まさに、大西氏が現在とっている政治的立場は、氏の愛好する史的唯物論の法則的帰結に他ならないのである。
 しかし、われわれはこのような新自由主義的改革路線をきっぱり拒否する。それは社会進歩ではなく、社会的退行を意味している。それは、19世紀的な弱肉強食の市場主義を、より新しい水準で復活させることを意味する。もちろん、われわれは、天下りや政官財癒着や無駄な公共事業をいささかも擁護するつもりはない。だがそれらを、右からではなく左から改革し、そうした体制に対する批判と闘いを資本主義そのものに対する批判と闘いに高めていかなければならない。それこそが、現在の当面する課題である。

1999/11/3~5 (S・T)

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