方針を立てて、実践し、検証するというのは、民主集中制の原則を出すまでもなく組織活動のイロハである。しかし、今回の決議や報告では、前回の決定(26回大会決議・2中委)後の活動の総括についてほとんど触れられていない。
たとえば、根拠のない楽観論(=「わくわくする情勢」)のなかで、「この間の運動の特徴は、宣伝行動に青年が飛び入りで参加する、署名があっという間にクラス全体から集まる、といったように、民青同盟がうってでれば青年のエネルギーが予想を超えた規模で発揮されるということでした」(2中委)という情勢分析をしているが、実際にどれほど大衆運動の陣地が広がったのだろうか?
また、「大会決議の読了率28・4%、新同盟員の「基礎講座」修了率が53・5%など、学習・教育のとりくみは全体としておくれています。なかでも『学習セミナー』受講開始同盟員が全体の11・4%にとどまっていることは放置できません」(2中委)とされた学習教育活動の遅れについては、どのようにメスが入れられたのか?
「学習・教育をつよめるなかで成長した同盟員を積極的に幹部に抜てきし、次期大会までに班指導部の数の倍加をめざします」(2中委)という方針が提起されたが、指導部の倍加は達成されたのか?
このような基本的な総括がされないまま、27回大会でもあいかわらず「街頭でたくさんの青年がとびいりで運動にくわわってきました」(27回大会決議)とか、「学習教育活動を抜本的に強化しましょう」(同)と言っても、同じことの繰り返しであり、本当の意味で同盟員の確信を強めることにはならないだろう。
さらにいえば、90年代初頭までは約10万人の同盟員がいたことを考えると、「同盟員現勢」は、「二万三千の新しい峰まであと四百十人です」(大会報告)とか、「『十万、二十万の民青同盟』になれば、単に数が大きくなるにとどまらず、民青同盟の存在意義が今よりもさらに輝きをますことになります。」(同)というような文章は非常に偽善的であると言わざるをえない。近年、組織が大幅な後退を余儀なくされた原因を分析・理解し、総括することなく、いきなり新たな前進をすることなど不可能である。
また前回大会では、「前進を開始している班に共通する5つの教訓」として「(1)徹底した学習、(2)全青年を対象にした要求実現運動、(3)拡大目標をふくめた班活動プランの作成、(4)班会議の定例化、(5)全員での役割分担と班指導部の確立」を「すべての班が『五つの教訓』にそってひきつづき活動の改善をすすめましょう」と提起されていたのにもかかわらず、2中委以降の文書では「3つの教訓」という表現に修正され、(4)と(5)が、「教訓」からはずされている。目標が達成できたのならその総括がいるし、方針の力点が変更されたのならそのむねの説明が必要だろう。しかしこの点については、いかなる総括もなされていない。
つまり、方針案自体が十分な根拠や説得力がないまま出され、そのうえ討議による修正や練り上げもなされないまま「決議」にいたっているのである。こうした点が、なにより同盟員の主体性を阻み、大会決定の読了率が落ち込む原因となっている。