70年代初頭に同盟員が20万人に到達し、多くの活動家を党や民主勢力に輩出してきた民青同盟が、80年代後半から90年代後半にかけて一気に2万人にまで激減した原因は、未連絡同盟員を整理したこと以外にも、客観的情勢も含めてさまざまである。ソ連崩壊に代表される「社会主義崩壊論」が日々マスコミで流され、日本そのものが本格的に帝国主義化をすすむなかにあって、日本共産党のみちびきを受け科学的社会主義の学習をかかげる青年組織が前進していくことの困難さは、言うまでもない。この点をいささかも過小評価してはならない。
しかし主体的な問題として、組織の基本原則をはじめ、いくつかの重要な点で、組織理念や規約に合致しない運営がされてきたこと、そして現在もなおそうした問題点が十分克服されてはいないことは、率直に直視するべき問題である。
また、より重大なのは、日本共産党に見られる権威主義的な官僚主義が、民青同盟の指導スタイルにもそのまま再現されていること、あるいは、より進んだ形で再現されていることである。共産党においては少なくとも、大会前に全党討論が保障され、専用の討論誌が発行されているが、民青同盟においてはそのような全組織的討論はまったく保障されていない。本来、政党組織よりもはるかに開放的で自由でなければならない青年組織の内部生活において、共産党よりも圧縮された組織内民主主義しか保障されていない事実は、すべての同盟員およびすべての党員が深刻に受け止めるべきことではないだろうか?
また逆に、現在の共産党の組織的な弱点が、時代に敏感な青年組織だからこそ、集中的に現象しているという面も見なければならない。とりわけ個人主義的な傾向がすすむ青年の意識下にあっては、民主主義的ではない組織運営や組織実態は、受け入れがたいストレスであり、そのような運営が組織の拡大を抑制しているだけでなく、無数の未結集同盟員を生み出すことにもつながっている。
「わくわく」とか「イキイキ」とか、さまざまな「柔軟」な言いまわしが新聞や公式文書に出てくるが、それらの言葉は明らかに浮いており、青年の意識を十分つかみきれていない。青年は、言葉だけの「柔軟さ」を求めているのではなく、誠実な組織運営と民主主義的な討論が本当に保証されることを望んでいるのである。
民青同盟は、どの組織にもまして、民主主義の学校とならなければならない。上意下達の指導と実践ではなく、批判的に自分の頭で学び、政治的な問題関心を持った同世代の人々と民主主義的な討論を行ない、仲間たちとの集団的な実践の中で自らの成長をかちとることができてこそはじめて、民主主義的志向を持った青年たちは、真の信頼と確信を持つことができる。
党はそのような民青同盟の実現のためにこそ、指導の任務を遂行しなければならない。青年らしい生き生きとした政治討論が、大会前にも、日常的にも、民青の内外で遂行されるよう、党は積極的なイニシアチブをとらなければならない。そうした努力を通じてこそ、本当の意味で魅力のある組織づくりが可能になるのではないだろうか。