オウム真理教と団体規制法をめぐって

1、はじめに

 「オウム新法」の問題点については、日本共産党や社会民主党などによってその機関紙やホームページなどで多々述べられている。「オウム新法」に対する批判は、それらのメディアに譲り、ここではそれに対して提出された日本共産党の対案の背景と考え方について、よりつっこんで検討することを課題としたい。
 先の臨時国会で政府は「オウム新法」=「オウム対策二法」(団体規制法と被害者救済法)を提出し、野党は反対(民主党は時限立法化を要求、共産党は対案を提出)したものの、この法案に対する反対運動は盛あがりに欠け、ほぼ政府案どおりの内容で可決・成立した。成立した「オウム新法」が施行となった12月27日には、公安調査庁が教団に同法の「観察処分」を適用するよう公安審査委員会に請求した。報道によれば、公安審査委員会は、教団側からの聴取を行ない、2月上旬には結論が出る見通しとなっている。
 もし「観察処分」の適用が決定すれば、教団は公安庁長官に対する定期的な活動報告を義務づけられるとともに、公安調査官と警察官による教団施設の立ち入り検査を受容することになり、その活動に厳しい制約を受けることになる。
 われわれは、11月13日付の「トピックス」において、簡単ながら政府提出の新法の問題点を指摘し、「オウム新法」への反対を訴えると同時に、日本共産党が提出した対案についても「曖昧な要件で事前の団体規制を行なうという深刻な問題点」は変わっていないことを指摘した(編集部S・T署名)。
 この問題については、本サイトの読者であり党員でもあるCHAさんと木村さんから投稿をいただいている。CHAさんは、「私がもしオウムの被害者ならば、間違いなく『団体そのものを取り締れ』と思ったことでしょう。しかしそうした『常識』を法の問題に持ちこむ場合、何重にも慎重な検討が求められる」とし、「いかなる形態であれ、団体規制をすることは人権侵害であり、政府法案はもちろん共産党案も重大な問題をはらんでいる」と指摘している。木村さんの投稿では、警察がオウムに対して行なった別件逮捕などのあり方への問いかけ、千葉の女子大生がオウムに拉致されたという報道(後に狂言であったことが判明した)などがオウム新法の成立に果たした役割にも触れて、「オウムを『鎮圧する』ために基本的人権や民主主義を犠牲にすることはできないというのが守るべき『原則』ではないでしょうか」と原則論を示している。
 「憲法違反」を承知でオウム信者の住民票を受理せず、また被告・受刑者の子どもの入学拒否を貫く自治体当局、保守も革新も一致して各地で行なわれている信者排斥ともいうべき「運動」――こうした情景が示すものは、本格的な帝国主義化と新自由主義経済の波によって階層分化が進みつつある現代日本においては、「国民」ないし「市民」の名による運動が必ずしも自動的に革新や進歩を意味するものではなく、時には、より下層の「市民」に対する排除や抑圧にもなりうるという事実である。
 もちろん、このように言ったからといって、われわれは、「松本サリン事件」や「地下鉄サリン事件」などの凶悪犯罪を実行したオウム真理教を擁護するつもりはいささかもない。麻原をはじめとするその中核的指導部分は、少なくともファシスト的本質を持った集団であり、労働者と人民の敵である。これらの事件の真相究明、実行犯の適正な処罰とともに、同教団が再び犯罪に手を染めることのないように教団としての謝罪・誓約・対策の実施を迫ることも必要であろう。ただしそれは、教団と教団施設周辺住民のとの話し合いや交渉によって行なうべきである。階層分化の波によって弾き飛ばされ、「出家」して実社会から切り離された共同体を構成している一般信者に対して、居住権さえも奪う排斥行為が許されるべきではない。
 オウムのようなファッショ的カルト集団は、いずれ歴史的にゴミ箱行きの運命にあると考えられるが、それは現行法による取り締まり、そして憲法と住民自治・地方自治の精神によって解決されていくものであり、共産党が提出した対案も含めて団体規制による方法や住民票不受理という憲法違反の方法で進めるべきものではないだろう。

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