日本共産党5中総の批判的検討

1、志位報告の検討(1)――国内外の情勢と共産党

修正資本主義派との共同の現実性

 志位報告の第1部第2章は、「国内政治について――二つの根本的改革が客観的要請に」と題して、「ルールなき資本主義」と「逆立ち財政」の転換という二つの根本課題こそ、日本共産党の「日本改革論」が提起している「経済民主主義の二つの柱」であると述べ、この二つの柱がますます共感を呼んでいると述べている。とくに、第21回党大会が打ち出した「修正資本主義派との共同」という路線が、単に理論的可能性としてではなく、「現実味を帯びた課題となりつつある」とされている。
 だが、「修正資本主義派との共同」の例として志位報告が挙げているのは、実にお粗末なものである。一つは、経済同友会という財界の一機関の元副代表幹事が『しんぶん赤旗』の新春企画に登場して、日本企業と市民社会との調和について語ったことであり、もう一つは、財界系のシンクタンクである社会経済生産性本部のメンタル・ヘルス研究所が、昨年8月に「産業人のメンタルヘルスと企業経営」という調査報告を発表し、その中でリストラの及ぼす悪影響について語ったことである。いったい、これらの事例がどうして、「修正資本主義派との共同」の現実性を示すことになるというのか。
 資本は、安定した企業支配とそのもとでの安定した搾取を望む。リストラをする必要性がないほど企業規模が絶えず成長し、従業員の強い忠誠を確保し、高い収益を安定的に上げることができるのなら、もちろんそれにこしたことはない。だが、右上がりの経済成長がバブルの崩壊によってストップし、くわえて、かつて企業の高収益の源泉であった古い世代(とりわけ団塊世代とその一つ上の戦争世代)の分厚い層が年功賃金のもとで典型的な高コスト労働者に転化したとき、企業は収益性確保のために、容赦なくリストラの鞭をふるい、とりわけ高コスト労働者である中高年を無慈悲に切り捨てる。数十年にわたって企業戦士として同一企業に忠誠を誓い、過労死寸前まで働いてきたこれらの中高年労働者は、たちまち不要な存在として街頭に放り出される。企業への忠誠が揺らぎ、労働者の精神が不安定になり、経済的理由での自殺(とりわけ中高年男性のそれ)が急増しているのも、無理はない。
 こうした状況のもとで、資本の側にも、ごく部分的な分岐が生じるのは、ある意味で自然である。すなわち、既存の企業社会的統合が多少揺らいでも、容赦なくリストラと雇用流動化を進めることで、国際競争に負けない高収益構造をつくり出し、新しい競争主義によって労働者統合をやろうとする「急進的」部分と、一定リストラをやりつつも、既存の企業社会的統合から新しい競争主義的統合への転換をできるだけ少ない摩擦で遂行し、既存の忠誠心を確保しつづけようとする「穏健的」部分、である。  昨年、『文芸春秋』の10月号に、トヨタの会長とオリックスの社長がそれぞれ登場し、前者が穏健的立場を表明し、後者は典型的に急進的立場を表明した。この差は、より長い伝統と既存の安定した支配構造をもち、長期雇用に適した産業部門(主として大規模製造業)に立脚し、したがって急速な変化をあまり望まない巨大企業と、比較的創立が新しく、より流動的な雇用形態にふさわしい産業部門(情報、サービス、金融)に立脚している新興大企業との温度差を、はっきりと示している。
 しかし、この差は、結局のところ、どちらがより支配と搾取に適した形態であるかということをめぐるものに過ぎないのであり、どちらもリストラをやることに変わりはない。とくに、かつて、トヨタ式生産方法の支配のもとで、日本の男性労働者が世界に冠たる長時間労働者となり(ヨーロッパより年間にして500~800時間多い)、年に1万人といわれる過労死を生み出してきたことを忘れるべきではない。また、トヨタにしても、今後、企業業績が悪化すれば、日産のように、最も容赦のないリストラを断行するだろう。
 この差は、ある意味で、かつての自民党と新進党との差に似ている。したがって、社会経済生産性本部の研究所が出した調査報告書などを持ち出して、修正資本主義派との共同の現実性について語るのは、かつての自民党の「守旧派」的議論を持ち出して自民党を「よりましな党」として美化するのと同じぐらい、ナンセンスである(かつて社会党はまさにこうした論理にのっとって、自社政権を推進した)。
 共産党によるこうした財界美化は、もちろん偶然ではない。経済の分野におけるこの無原則な「共同」の追求は、政治の分野における同じく無原則な「共同」の追求と完全に呼応している。
 もちろん、社会主義の権威がかつてなく失墜している今日、資本主義そのものの乗り越えというラディカルな展望を持った勢力はごく少数であり、したがって、広範な大衆運動を構築するためには、いわゆる「修正資本主義派」との共同は不可避である。しかし、そうした共同において第一に念頭に置かれるべきは、断じて財界の一分派やその中の「良心的」人士などではなく、草の根の労働者組織や市民運動、農民や中小零細業者の組織でなければならない。

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