日本共産党5中総の批判的検討

志位報告の検討(2)――総選挙をめざす共産党の路線と活動

 次に、第2部の「総選挙――民主的政権に接近する新しい躍進をめざして」に移りたい。この部分は、総選挙、政権構想、大運動、青年支部の問題など、主として選挙と党活動にかかわる諸問題を取り上げている。

「野党の前向きな変化」の本質

 まず、国会情勢に関わって、野党に対する5中総の評価について検討しよう。
 4中総では、われわれの批判論文でも詳しく紹介したように、かなりシビアな野党評価がなされていた。報告を行なった不破委員長は、「国民の根本利害にかかわる大きな問題が三つあった」とし、その三ついずれにおいても、十分な野党戦線が築けなかったと総括している。しかし、その後、昨年後半の臨時国会会期末に比例定数削減と年金改悪問題をめぐって、共産党、民主党、社民党との間でかなり恒常的な共闘関係が成立し、さらに、今年の通常国会冒頭で定数削減が一方的に強行されたことに三野党が一致して反発して、審議の全面ボイコット戦術に訴えるという新しい局面が生じた(ただし、このボイコット戦術はすでに終息している)。
 『しんぶん赤旗』は、その紙面において、「野党の結束」を過剰なまでに強調し、かつての社共共闘時代よりもはるかに礼賛的な調子で民主党を持ち上げている。一時期低調であった「暫定連合政権構想」への幻想は再び党幹部の間で肥大化しつつある。このような情勢変化は、審議ボイコットが行なわれる以前の5中総においてすでに、「野党勢力の前向きな変化」として次のように積極的に評価されている。

「4中総の時点と比べてみても、野党情勢には国会での野党共闘の前進という前向きの変化がつくられました。この野党共闘が、悪政に対抗する共闘にとどまらず、政策を実現するための共闘として発展する芽も、部分ではあるがつくられつつあります。臨時国会では、野党三党の共同の提案により、政治家個人への企業献金禁止の法改正が実現しましたが、これはその一つであります。野党共闘の政治的一致点は現状では大変部分的なものですが、それを大切にしながら誠実に共闘を積み重ねていくならば、さらに一致点が広がっていくことはありうることであり、わが党はそのために力を尽くすものであります」。

 もとより、どのような党とであろうと(ただしファシストは除く)、局面によって部分的に一致する政策で、一定の共闘関係を構築する必要性があるのは言うまでもない。とりわけ、自自公による数の論理のもとで、次々と悪法が強行されている現在、そのような共闘関係を野党の中で模索する努力それ自体は、何ら否定されるべきものではない。しかし、いかなる共闘関係であろうとも、労働者・市民の、あるいは党員自身の政治意識を眠らせ、混乱させるようなやり方で、進められるべきではない。党首が堂々と憲法9条の改悪を公言し、党としても自衛隊・安保の合憲性をうたい、自衛隊の海外派兵や将来の国連軍への参加に積極的に賛成し、自民党以上に新自由主義的政策を推し進めることを目標としている民主党に対して、この間、徹底して批判を控え、屈辱的なまでにその姿勢を持ち上げることは、労働者市民の警戒心を鈍らせ、民主党への幻想を培う、許しがたい政治的愚行である。
 スターリニズムの常だが、原則を強調するときには偏狭なセクト主義が優位を占め、柔軟性を強調するときには、今度は逆に無批判な追随主義が優位を占める。セクト主義と追随主義という両極端をジグザグすることは、社会変革の主体である労働者人民の政治的教育にとって、マイナスにしかならない。現在、わが党指導部は明らかに、無批判な追随主義の局面にいる。
 だが、この追随主義の局面は、一昨年の不破政権構想以来、まったく新しい水準に到達した。すなわち、単に、無批判に共闘関係を追求するというにとどまらず、民主党という新自由主義的・帝国主義的ブルジョア政党とともに政権入りを本格的に展望するという段階に達している。一昨年の不破政権構想それ自体は、その後の過程の中で一時的に後景に退いた。それは何よりも、自自政権の成立によって与党の足場がしっかりと確保されたこと、低迷していた小淵内閣の支持率がしだいに増大しはじめたこと、そして、民主党が一連の新自由主義政策に賛成するとともに、大銀行への税金投入に賛成し、またガイドライン問題でも原則的には賛成という立場をとったこと(採決の際には一部反対したが)などが影響している。
 しかし、その後、民主党は多少なりとも野党色を出す必要に迫られた。民主党そのものの本質は何ら変わっていないが、自自ないし自自公政権の成立によって、次々と与党側の提案(そのほとんどは民主党自身の政策でもある)が素通りする中、民主党の存在意義がはっきりと薄れはじめたからである。一昨年の参院選直後には、一時的に自民党支持率をも上回った民主党の支持率は、そのご急速に下落し、10%を割る水準にまで凋落した。このまま総選挙になれば、民主党は、政権交代どころか、第2党の位置を確保することさえ困難な状況になった。だが、それはまったくもって必然的である。なぜなら、民主党の基本政策と自民党や自由党と政策との間には何ら本質的な違いがないからである。民主党の依拠する都市中上層市民(最も政治的に不安定な部分だ)の一時的な興奮がおさまるならば、あえて民主党を政権につかせる積極的な意義は見出せない。財界やアメリカ帝国主義にとっても、民主党が政権を担当することに、何のメリットもない。自民党と自由党とが連立することでそのブレーンと腕力が整い、公明党がくっつくことでその足腰が安定したならば、この政権のもとで、着々と日米支配層の望む政策を実行していくことこそが最も理想的だからである。
 民主党首脳部は危機感を抱いた。彼らは、明確な政策的対立点もないまま、対決姿勢を打ち出さざるをえなくなった。だが、その「対決」は何と中途半端なことだろう。今年の通常国会冒頭における比例定数削減の強行に抗議して民主党が共産党や社民党とともに審議ボイコットに走ったのには、意地悪なマスコミでなくても、首をかしげたくなる。民主党は比例定数の削減に大賛成である。彼らはそれどころか単純小選挙区制をさえ求めている。にもかかわらず、十分な審議を保障しなかったという理由で、野党の抵抗の仕方としては最も「過激」な、審議の全面ボイコット戦術をとったのである。
 もちろん、自自公政権がやった定数削減の強行は内容的にも手続き的にもでたらめであり、断固糾弾されるべきである。定数削減そのものにきっぱりと反対している共産党と社民党が、この暴挙に対して断固たる姿勢をとるのは、正当であり、首尾一貫している。だが、民主党の場合はそうではない。彼らは、与党と政策的に対決できなければできないほど、見た目に派手な対決ポーズを取らざるをえない。それはまさに、中身のほとんど変わらない商品同士が、宣伝の派手さで消費者に売りこもうとするようなものである。
 したがって民主党の審議ボイコットは最初から茶番であって、民主党首脳部は、自分たちのパフォーマンスが国民世論(何よりもマスコミの評価)によってほとんど支持されていないのを知ると、たちまち戦意を喪失し、そそくさと議長裁定を受け入れて、審議に戻ったのである。
 すでに「審議の全面ボイコット」という最も「過激」な戦術をとって失敗した以上、年金改悪というさらに重大な悪法が強行されたときに、民主党はどのような対決姿勢を打ち出すつもりだろうか? おそらく彼らは、はるかに曖昧で腰砕けな調子で「抵抗」することしかしないだろう。与党とのいかなる本質的な政策的対立点も持たず、バックにいかなる重大な大衆運動も強固な組織も伝統的集票機構も持たず、マスコミの評価だけが頼りの民主党は、百戦錬磨の自自公にただ振り回されるだけだろう。
 共産党があれほど高らかに喧伝した「野党の結束」、「野党の前向きな変化」の内実とはこのようなものである。

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