日本共産党5中総の批判的検討

志位報告の検討(2)――総選挙をめざす共産党の路線と活動

連合政権構想の再浮上

 だが、問題が単に、共産党が総選挙目当ての民主党のパフォーマンスにつきあわされただけにすぎないのなら、それほど深刻なものではない。最も問題なのは、共産党指導部が、この「野党の結束」なるものを連合政権にまでつなげることができるという幻想に再びふけりはじめていることである。志位書記局長は次のように述べている。

「総選挙の結果として、自自公が合計でも過半数を割る可能性があります。そのときには野党の連立政権が、現実の問題として、熱い問題として提起されることになります。そのときに、従来の自民党政治の枠から踏み出した『よりまし』な一致点を確認して、野党による暫定連立政権をつくるか。それとも野党がばらばらな対応をおこなって、自民党政治の延命を許すか。これはそれぞれの野党に問われることになります。これは、好むと好まざるとにかかわらず、そういう状況が生まれたときには、問われてくるのです。わが党は、そういう過渡的な政治局面が生まれたときには、国民の利益に立って自民党政治からの転換を部分的にせよ実現するために、暫定政権の協議に党として積極的に参加する用意があることを、すでに三中総決定で確認しています。この立場を広く国民に明らかにして、選挙戦をたたかいたいと思います」。

 このような幻想は、一部のマスコミにも伝染している。たとえば、2月8日付『毎日新聞』のコラムの中で、岩見隆夫氏は「共産『政権入り』の現実味」と題して、昨今の共産党の躍進と共産党の柔軟姿勢を高く評価して、総選挙後の共産党の政権入りの可能性について、次のようにかなり肯定的に見ている。

「鳩山は、『共産党が党名を改め、綱領を全面的に撤回して路線変更するのなら、連立の可能性は否定しない』と厳しい注文をつけているのに対し、不破の方は『民主党との違いは、克服できないかというと、そうでもない。政治の面白いところですよ』と自民党の根回しプロみたいな含みのあることを言う。93年に小沢一郎(現自由党党首)らが、社・公などを抱き込み『非自民・非共産』の細川連立政権を作ったが、その軸を左にずらし、公明がはずれるかわりに『非自民・容共産』の政権ができるか、というような話である。近づく総選挙の視点が、一つ増えた」。

 民主党と共産党との連立政権がもしできたとしたら、それが細川連立政権を少し左にずらした政権になるという岩見氏のこの予想は、本人が思っているよりも的を射た判断である。細川連立政権は、本質的に保守政治の大枠を維持しつつも、旧来の伝統的な自民党政治の支配のあり方を右から打破する政権であった。このときも、総選挙の直前まで、社会党は新生党などの新興保守政党との連立の可能性を否定していた。しかし、それにもかかわらず、総選挙前から非自民党政権がマスコミによって大宣伝され、実際に自民党が過半数を大きく割ると、いっきに野党連立の流れが生じ、右から左まで抱きこんだ非自民政権ができあがった。このときの政治的興奮から一人取り残されていた共産党は、選挙ではふるわなかったものの、この「政治改革」に与しなかったことで、社会党のような政治的崩壊を経験することから免れ、のちの大躍進の礎を築くことができた。
 社会党が崩壊した現在、今や国会に残っている革新野党は共産党だけである。右傾化の圧力を一身に受けていた社会党が崩壊したことで、その圧力を共産党自身がもろに受け止めることになった。一見確固としているように見えた共産党の地盤は揺らぎ始め、右へとしだいにずれていった。95年参院選挙以降のあいつぐ躍進は、たちまちのうちに、共産党幹部を浮き足立たせた。民主党を自分たちの方向に引っ張っているつもりが、しだいに、自分たちが民主党の方へと引っ張られつつある。
 もし、総選挙後に、本当に民主党と共産党を含んだ連立政権ができるとしたら、それはまさに細川政権をやや左にずらした政権になるだろう。自民党政治の大枠は維持されるだろう。なぜなら、不破委員長自身が、安保廃棄の凍結を約束しているし、もちろん自衛隊や天皇制をはじめとするさまざまな枠組みもまた維持されるだろうからである。だが、それは自民党政治のいったい何を打破するのだろうか? それは、今の時点においてすらまったく不明である。小沢が自民党を割って非自民の野党連立政権をめざしたとき、彼の頭の中にははっきりとした政治戦略があった。選挙制度を変えること、これこそが政治状況全体を帝国主義的に変革する「アルキメデスの支点」であることを彼は心得ていた。
 だが、不破委員長の頭の中にはどのような政治戦略があるのだろうか? 自民党政治を進歩的な方向で打開するどのような「アルキメデスの支点」があるのだろうか? 残念ながら、そのような便利な「支点」はどこにも存在しない。自民党政治を右向きに打開することと、左向きに打開することとでは、雲泥の差がある。小沢は、基本的にマスコミすべてと財界の主流部分の支持をあてにすることができた。前者は世論を操作し、後者が金を出すのである。だが、不破委員長は何をあてにすることができるだろうか? 民主党の政策と本質的に相いれない利害を持っている自らの党の支持基盤だろうか? どんな見解を出してもつねに満場一致を保障してくれる自らの党組織だろうか? だが、民主党がヘゲモニーを握る政権においては、「自民党政治を部分的に打破する政策」(今のところその中身は不明だが)すらほとんど実現されないだろうから、支持者も党員も政治的当惑の状況に置かれるだろう。あるいは、共産党が連帯を求めてやまない「無党派層」だろうか? 彼らの一部は、たしかに現実主義的になった共産党をイデオロギー的に歓迎するだろうが、けっして共産党を支えてはくれないだろう。
 おそらく、共産党がブルジョア連合政権に入閣するという歴史的裏切りをやったとしても、忠実な党組織の多くは、指導部に団結しつづけるだろう。これは、社会党との根本的な差である。共産党員の圧倒的多数はおそらく大いに困惑しながらも、指導部が結局は社会変革のための最良の道を選択しているのだと信じようとするだろう。したがって、社会党の場合に起きたような組織的瓦解は起きないだろう。にもかかわらず、党内の最も左派的な少数部分は決定的に共産党に幻滅し、公然と決別するか、あるいはやる気を失うだろう。そして、共産党自身の政治的権威も決定的に傷がつくだろう。
 しかし、本当に、総選挙後に、共産党と民主党との連合政権はありうるのだろうか? この可能性はどれぐらい現実味のある話なのだろうか? 岩見氏が紹介しているように、民主党が現在、共産党に対して突きつけているハードルはきわめて高い。それは、共産党としての自己否定と政治的自殺を公然と勧めるものである。もし民主党の指導者たちがもっと政治的に如才のない利口者だったなら、このような高いハードルを設定しなかっただろう。小沢一郎は、社会党と連立政権を結成するにあたって、そのような高いハードルを設定しはしなかった。そんなことしなくても、連立政権に入るという決定的な政治的行為が、自ずから社会党の自己否定に結びつくことを熟知していた。そして事態はその通りになった。現在の民主党指導部には、そのような利口な政治家は一人もいない。党外で多少人気はあるが政治的に無能な菅直人と、人気も政治的能力もない鳩山由紀夫、そしてすでに多くの人に忘れられかけている羽田孜である。民主党指導部のこの無能さと、共産党と組んだ場合に起こりうる反共攻撃に対する恐怖と、そして、骨の髄まで染み込んだイデオロギー的・階級的偏見が、共産党との連立にとっての最大の障害になっている。
 共産党の側からの障害はあるだろうか? おそらくそれは、民主党の側の障害に比べればはるかに小さなものである。共産党指導部はたぶん、相当なところまで譲歩する用意がある。彼らが今の時点になってもなお、いかなる政策にもとづいて連立政権をつくるのかについてけっして公言しない事実にも、このことは示されている。これは、どこまでも政策的ハードルを低くする用意があることを示唆している。だが綱領についてはどうか? 綱領の変更ないしその約束を迫られた場合、共産党指導部はどう対処するだろうか? その場合には、連立交渉はかなりの割合で暗礁に乗り上げることになるだろう。
 さらに、そもそも、次の総選挙で自自公が過半数を割り、民主党が大躍進しなければ、連立政権の可能性は生じない。強固に抵抗すればマスコミ(および都市中上層市民)の不評を買い、現実的対応をすれば全体の中に埋没するという、にっちもさっちもいかない状況にある民主党にとって、総選挙で躍進することができるかどうかは基本的に敵失にかかっている。何らかの大規模な汚職事件が発覚するか、外交上ないし経済政策上の大失態を自自公がしないかぎり、風頼みの民主党が躍進する可能性は非常に限られている。とりわけ、ようやく景気回復のきざしが見られるだけになおさらである(ちなみに、最近の景気回復基調は、小渕内閣の政策とほとんど関係がない。あのような巨額の公共事業予算がなくても、景気は回復基調に転じていただろう)。
 以上のことを考慮するならば、総選挙後に、民主党と共産党との連立政権が成立する可能性は、なお低いというべきだろう。だが、それはあくまでも、当面する総選挙後の話であって、一度でも連立の話が持ち上がり、ある程度の交渉が行なわれる事態になれば、たとえ最終的には合意に至らなくても、将来の合意への重大な一歩になるだろう。
 心あるすべての党員は、このような危険性をけっして過小評価することなく、それを回避する最大限の努力をしなければならない。そして、指導部に対し最も厳しい批判を突きつけ、必要とあらば、その批判をさまざまな手段を通じて党内外に知らせるべきである。

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