次に、不破委員長の中間発言を検討したい。
不破委員長の中間発言は基本的に、90年代における共産党の躍進についての評価と、それと組織的前進とのギャップに関する分析に議論の多くを費やしている。不破委員長はまず、次のように90年代を総括している。
「90年代は終わりましたが、振り返ってみると、わが党と日本社会の関係でこの90年代にたいへん大きな変化がおきた、これが大事なところだと思います。その変化の内容を少し整理してみてみますと、一つは、党の政治路線と日本の社会が求めるものとが接近し、合致してきた、ここに大きな特徴の一つがあります」。
「われわれの路線と社会が求めるものとの接近と合致、また、それをふまえての日本の社会の全分野におよぶような各階層との対話のひろがり、ここに、全党の活動できりひらいてきた大きな変化があるし、ここに日本共産党の新しい躍進的な発展への客観的な条件があると思います。われわれは以前にも、70年代に躍進の時期を経験しましたが、今日、わが党の躍進をささえ、またその背景になっているこれらの条件は、70年代の躍進の時期にはもたなかった厚みと深さがあるということを、私自身の実感としてのべておきたいと思います」。
要するに90年代は、共産党の路線と日本社会が求めるものとが合致していった時代であり、その背景には、70年代の躍進期よりも「厚みと深さ」がある、ということである。
たしかに、70年代においては、日本資本主義はまだ上昇期にあり、石油ショック後に低成長に移行したとはいえ、その企業社会的統合の生命力は枯渇しておらず、70年代終わりから80年代にかけて、欧米資本主義諸国がうらやむような急成長を遂げ、日本的経営は世界に冠たるものとなった。それに対して、バブル崩壊後の日本は戦後最大の不況に苦しんでおり、かつて日本経済の躍進の基盤となった年功賃金や終身雇用が逆に大企業にとっての手かせ足かせになっている。世界資本主義の矛盾はかつてなく深刻になっており、もはや70年代におけるような「成長も福祉も」というバラ色の展望は描けなくなっている。今では、「成長か福祉か」という選択肢になっており、豊かさを享受したければ競争に勝利しなければならず、競争に勝利するためには弱者を切り捨てなければならない、という資本主義の残酷さがますます露わになってきている。
しかし、このような大局的・長期的な歴史認識と、90年代後半における共産党の躍進とをストレートに結びつけることはできない。もちろん、90年代後半における共産党の躍進の一要因は、自民党の既存の基盤の一部が、国際競争と多国籍企業のための新自由主義政策によって掘り崩され、それが共産党支持に回ったことである。だが、それ以上に大きな要因は、社会党があまりにも早すぎた崩壊をとげ、その旧来の支持者のかなりの部分が革新の受け皿として共産党を選んだことである。また、そもそも社会党がすでに崩壊していたからこそ、新自由主義政策による自民党離れの票が共産党に回ったのである。たとえば、ヨーロッパでは、新保守派による新自由主義政策やグローバリズムに対する民衆の反発は、何よりも社会民主党の躍進に結びついている。以上の点を考慮するなら、不破委員長の分析はあまりにも表面的ではないだろうか。
さらに、不破委員長は、次のような数字を出して、90年代における共産党の躍進の大きさを強調している。
「はっきりいって、90年代の出発点は、政治的には、たいへん後退したものでした。天安門事件のあった1989年に、参議院選挙の比例で得票率が7・0%におちました。90年の衆院選、92年の参院選、93年の衆院選と、90年代前半の国政選挙では、一定の前進や後退はありましたが、わが党の得票率は、3回とも7%台をぬけませんでした。
95年の参院選・比例で、はじめて9・53%への前進がありました。翌年の96年の衆院選・比例では13・08%にさらに前進し、98年の参院選・比例で14・60%へと得票率が前進しました。
つまり、90年代は、7%台というわが党の最近の歴史のなかでも押し下げられた低い水準から出発しながら、後半の5年間で得票率でほぼ2倍になるところまで前進してきた、これが大づかみな経験です。70年代の躍進という時期にも、衆院選での得票率は、72年の一番躍進したときでも10・75%、全体として11%をこえたことはありませんでしたから、数字のうえでも、今日の躍進の厚みと広がりをみることができます」。
しかし、このような数字の出し方は、ミスリーディングである。なぜなら、こうした共産党の躍進と裏腹の関係として、社会党のそれ以上の縮小過程が存在するからである。共産党は89年の参院選比例区での7・0%の得票率から、98年参院比例区の14・6%へと倍加したが、社会党は、89年参院比例区での35%の得票率から、98年参院比例区での7・8%へと4分の1以下に激減した。つまり、革新政党の総得票率を見るなら、89年の42%から、98年の22・4%へとほぼ半減しているのである。このような現状を見るなら、90年代があたかも、70年代以上の躍進期であったかのように言うのは、ごまかし以外の何ものでもないことがわかる。
ただし89年参院選での社会党の得票は、それまでの平均よりもずば抜けて高かったので、その点を考慮するなら、事態の深刻さはもう少し軽減されるが、それでも、90年代において、革新の総得票率が傾向的に減少してきた事実を否定することはできない。しかし、不破委員長はこの冷厳な事実を直視せず、さらに誤った政治的議論を展開している。
「しかし、大きな問題は、この政治的前進に組織の実力が追いついていないということです。幹部会報告では、『大きなギャップ』といいました。4中総でその内容を分析したように、ほぼ20年に近かった反動攻勢の時期のなかで、われわれはもちこたえてはきたけれども、その反動期の傷痕を党として組織面で負っている、青年層の比重が少なくなったとか、組織上のさまざまな問題点をかかえています。
やはり、ものごとは、大きな前進があるとき、すべてが並行してすすむわけではありません。政治的には、90年代後半に大きな前進をしたけれども、組織の実力がまだそれにふさわしい前進をしていない。いわば、政治的な前進が先行してすすんだというところに、90年代後半の党活動の一つの大きな特徴がありました。
この状態をいつまでも放置していたのでは、われわれが21世紀の前途を確実に、さらに前進的に切り開くことができないことは明らかです」。
選挙での躍進と党組織の停滞とのギャップについては、以前からわれわれが指摘してきたところである。しかしながら、その原因は、党組織の主体的努力不足や反動期の名残りという点にあるのではなく、共産党の選挙での躍進の基盤そのものが不安定であること、情勢全体は必ずしも革新的なものではなく、むしろきわめて反動的な状況にあること、国民各層の意識(とりわけ中上層部分)が、日本の帝国主義化や、社会主義の崩壊などのあおりを受けて、右傾化しつつあること、といった客観的事情にある。あるいは、主体的な面を問題にするなら、どんな方針や見解が出ても満場一致を貫徹する共産党自身の官僚主義的体質がまずもって議論の俎上にのぼるべきだろう。
そして、先の引用にあるように、不破委員長は選挙での前進を「政治的な前進」と同一視している。ここから、「政治的な前進と組織的な前進とのギャップ」という命題が出てくるのである。だが、選挙での結果は政治の一部であるが、一部でしかない。政治を選挙に還元する議会主義的発想が、この不破発言のうちに、この上なくはっきりと示されている。また、選挙それ自体に関しても、すでに述べたように、共産党の得票だけでなく、全体としての革新票と保守票との推移に注意が向けられなければならない。
しかしながら、不破委員長は、こうした一連の重大問題を完全に無視し、「ギャップ」問題をまったく一面的に理解した上で、党員ないし党組織の奮起を促している。このような分析や発想にもとづくかぎり、「ギャップ」の真の克服は不可能だろう。