日本共産党5中総の批判的検討

結語の検討

 最後に、志位書記局長による結語について、簡単にコメントしておきたい。
 志位書記局長は、90年代における新しい大きな変化という、不破中間発言が提起した観点を引き継いで、わが党の「日本改革論」が、90年代における情勢変化にもとづいて綱領路線を具体化したものであると述べている。しかし、不破中間発言もそうだし、この結語もそうだが、90年代を振り返りながら、その中でのある決定的な社会・経済・政治上の変化については何も語られていない。それは、日本の経済・政治大国化、日本企業の多国籍化、そしてそれらを総括するものとしての日本の帝国主義化である。
 わが党の現行綱領には「ひとにぎりの大企業は、ますますどん欲に富を蓄積し、巨大化し、多国籍企業化している」とあり、さらに「日本独占資本は、海外市場への商品、資本のよりいっそうの進出をめざし、アメリカの世界戦略にわが国をむすびつけつつ、軍国主義、帝国主義の復活・強化の道をすすんでいる」と述べている。この綱領上の規定は、まさに90年代に入って、より具体的な形で進み、日本の帝国主義化は、ガイドライン法の成立を契機として、その基本的な復活を完了するに至った。にもかかわらず、結語は、90年代、さらには80年代を振り返りながら、この最も重要な変化である日本の帝国主義化について何も語らない。あたかも、日本における大企業支配はただ、日本国民のみを苦しめているかのごとくである。マレーシアのマハティールの発言を肯定的に引用することがこの5中総では何度も行なわれているが、そのマレーシアに多国籍進出している最大の国は日本であり、日本企業はそこでマレーシア労働者(とりわけ低賃金の女性労働者)を超過搾取し、公害輸出している。
 日本のこうした帝国主義化と経済大国化こそ、国民意識の右傾化の物質的・経済的基盤であり、社会党の崩壊と国会の総与党化をもたらした究極的な土台である。もちろん、日本の遅ればせの帝国主義化は、すでに高度成長が終焉した時期に生じており、福祉国家化のストップと逆転、福祉切り捨てと新自由主義化の波と軌を一にして進んでいる。そのため、国民各層の全般的な生活向上とは結びついておらず、逆に、階層間の貧富の差の拡大と結びついている。しかしながら、その階層格差の増大は、自民党の国民主義的な統合戦略によってかなり曖昧にされており、無尽蔵の財政出動と巨額の赤字財政によって、その矛盾の爆発が先送りされている。
 さらに、新自由主義政策による矛盾の広がりにもかかわらず、89~91年に起きた「社会主義」諸国の崩壊と、93年政変による選挙制度改悪と社会党崩壊のおかげで、国民意識においては、資本主義そのものや既存の保守政治に代わるトータルなオルタナティヴがまったく見出されないまま、現状に対する不満は無党派層の増大という形で反映し、きわめて流動的で不安定な様相を示している。
 したがって情勢は、“国民と大企業支配との矛盾がますます広がり、共産党の奮闘しだいでは大きな躍進が勝ちとれる”という単純なものではない。志位書記局長は、「情勢は、そういう劇的展開をしているわけです。私たちがこんどの選挙で、『奮闘いかんでは大きな躍進をかちとることは可能』といっているのは、歴史的な根拠がある、現実的な根拠があるということをしっかりつかんで、こんどの選挙にのぞんでいきたいと思うわけであります」と述べているが、これは一面的である。
 もちろん、主体の側の努力は重要であり、これまでにもまして必要である。それは否定しない。しかし、その努力は、客観的情勢のリアルな認識と結びついていなければならない。発達した帝国主義国における社会変革の事業は、独特の困難さを有している。そこにさらに、日本的特殊性が加わる。社会党が、その実際の歴史的生命力よりも早く崩壊したことは、直接的には共産党の得票増と結びついたが、しかし、より大きな視野で見れば、革新勢力の側の総合的な実力と影響力を著しく引き下げることになった。
 選挙での躍進や国会での駆け引きに惑わされることなく、本当に下からの、底辺からの、草の根からの運動を構築し再構築することが必要である。そして何よりも、各国の政府や与党勢力ではなく、世界中で闘われている草の根の人民の闘争と連帯することが必要である。それだけが、日本社会と世界の変革事業を究極的に準備するのである。われわれはこの点を改めて確認して、今回の論文を閉じたいと思う。

2000/2/8-13 (S・T)

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