今回、鯵坂氏が獲得した102万票は、昨年4月の選挙より投票率が8%下がるなかで、前回より10万票の上積みをしたものであった。これは、無党派層の支持では太田を上回っていたという報道にもあるように、横山ノック府政とオール与党への正面からの批判者として闘った革新陣営への支持としての貴重な成果である。「あかるい会」は6日の声明で、今回の得票率34%が、87年以降で最高の得票率であり、「府民の批判を浮き彫りにするもの」、「大健闘」として評価をしている。実際に95年の選挙からみれば、2倍近い得票となった。また、準備期間も含めて短い選挙期間であったにもかかわらず、オール与党勢力を相手に共産党および後援会のメンバーはよく奮闘し、相手陣営を追い詰めた。この点をまずは正当に評価しておかなければならない。しかし、自己点検をする意味を含めて、この点について、もう一歩踏み込んだ検討をしてみたいと思う。
大阪府知事選挙は、過去20年間に今回を含めて6回の選挙があった。得票率にしぼって過去と比較をすると、革新候補の得票率は、83年(亀田得治氏)37%、87年(角橋徹也氏)33%、91年(角橋徹也氏)32%、95年(小林勤武氏)17%、99年(鯵坂真氏)28%である。これを見ると、95年と99年の選挙では、浮動票をごっそり横山ノックにもっていかれ、革新候補は苦戦を強いられてきたが、今回の選挙では、無党派層からの一定の支持を獲得することで、80年代なみの得票率に回復させることができたことがわかる。
同様に、今回の102万票についても評価したい。この20年間で有権者が2割ちかく増加する一方、投票率は減少する傾向にあるので、革新候補の得票数と投票総数とを比較をしてみなければならない。83年の亀田氏の得票が125万票(投票総数350万票)、87年の角橋氏111万票(同341万票)、91年の角橋氏96万票(同314万票)、95年の小林氏57万票(同344万票)、99年の鯵坂氏92万票(同347万票)。今回の鯵坂氏は、102万票(投票総数が300.1万票)であるから、かりに前回並みの投票率であれば約120万票となる。
これらを勘案するならば、今回の選挙では、79年にオール与党によって黒田革新府政を転覆させられた後の革新の陣地、すなわち80年代および90年代初頭の水準とほぼ同じレベルにまで、陣地を取り戻してきたとみることができるだろう。したがって、今回の得票は、共産党の「躍進」を示しているのではなく、90年代に失った陣地をようやく取り戻したと見るべきであろう。
ただし、支持層が80年代は、伝統的革新勢力との結びつきが強い部分であったのにくらべ、今回は、社民・民主の一部支持層や無党派層からの得票が増えているという点は大きく異なっている。この得票構造の変化は、一方では支持の広がりを示していると同時に、他方では支持基盤の不安定化を物語っている。今回は、保守相乗り候補に対抗するような野党候補が他に出ていなかったので、オール与党批判票がおおむね鯵坂に集中されたが、もし民主党にもう少し根性や政治的慧眼さがあり、保守候補と対決する野党候補を出していたとしたら、共産党推薦候補はもっと少ない得票しか得られなかっただろう。