不破政権論について改めて考える

7、安保の凍結論は積極的な意味を持つか

 タケル同志は、安保の凍結という不破政権論の立場がむしろ積極的な意義を持っているとして、次のように主張されています。

以上のことを考えると、三中総で提起された政権論の中で、「政策の一致点による合意」の他に「安保条約への態度の保留」ということが、積極的な意味を持つことが判ってきます。綱領路線で目指す民族民主革命にとっての2つの敵であるアメリカ帝国主義と日本独占資本による支配の強化に繋がるような政権には、共産党は参加出来ないのです。
わが党が言っているのは、安保に関わる問題は「凍結」するということです。「現在成立している条約と法律の範囲内で対応すること、現状からの改悪はやらないこと」(三中総)です。具体的に言えば協定の期限が切れた思いやり予算なんかは廃止でしょうし、NLPなんぞも中止を要請できますね。民主党が乗ってくるかどうかに関わらず、こうした積極的な提起は歓迎すべきことだと思うのです。

 こうした主張にはいくつかの点で反論したいと思います。
 まず第1に、安保条約を現状のまま維持し運用することは、「アメリカ帝国主義と日本独占資本による支配の強化に繋がる」のではないか、ということです。これは、党指導部の主張にも、タケル同志の主張にも感じる根本的な疑問です。法律上の改悪をしないかぎり、安保条約がそのまま維持され、条約と法律の範囲内で運用されても、「アメリカ帝国主義と日本独占資本による支配の強化に繋が」らないというのでしょうか。すでに述べたように、安保条約の第3条には、日本とアメリカの防衛力の「維持・発展」がうたわれています。また、アメリカが日本の基地を自由に利用していることで、日々、アジア太平洋地域におけるアメリカの支配は強化されています。米軍と自衛隊は、既存の条約と法律にのっとって訓練と演習を日々積み重ねており、これは確実に「アメリカ帝国主義と日本独占資本による支配の強化に繋が」っています。また、年々計上される防衛予算は、確実に自衛隊を強化しています。安保の現状を凍結した政権に共産党が入るということは、この政権の帝国主義的政策の責任を引き受けるということです。それは、階級的裏切り行為に他なりません。
 第2に、不破政権論にしても、3中総での報告にしても、いずれも、ガイドライン法が通過する以前に出されたものです。この時点では、安保を改悪しないという主張は、多少なりともまだ何らかの意義を持っていました。しかし、すでにガイドライン法は通過し、安保は改悪されてしまいました。にもかかわらず、不破指導部は、この決定的な事実があたかも非本質的であるかのごとく、ガイドライン法成立後も、安保凍結、既存の法律の範囲内での運用、という立場を持ち出しています。おかしいではないですか? 一昨年の不破政権論を支持する立場の人なら、当然、当時における「安保を改悪しない」という水準を現在においても求めるべきでしょう。すでに安保は改悪されてしまったのに、「安保を改悪しない」という条件が今なお以前と同じ意義を持つかのごとく言うのは、不誠実ではありませんか?
 今や焦点は、安保改悪ではなく、それに応じた国内法の整備であり、具体的には有事立法の制定です。そして、民主党は有事立法をその選挙政策において支持し、その策定を公約しています。この点については雑録論文を参考にしてください。
 ところで不破指導部は、「周辺事態法を発動しない政府」ということを言っています。民主党自身は、新ガイドラインに賛成であり、その選挙政策でも言っているように、周辺事態法にもとづく日米協力を推進する立場ですから、このような政府の成立する可能性はきわめて低いのですが、とりあえず、共産党の入った「周辺事態法を発動しない政府」なるものが成立したとしましょう。実際に周辺事態法が発動されるには、現実の有事が必要です。おそらく、不破指導部の腹づもりとしては、自分たちが連合政権を組んでいる間は、そのような事態は起こらないと踏んでいるのでしょう。そうかもしれません。何しろ「暫定」ですから。
 しかし、この政権は、周辺事態法を「発動」しないですむかもしれませんが、この安保改悪法を維持する政権には違いありません。したがってそうした連合政権は、一昨年の不破政権論が政権を組むための条件としていた「安保を改悪しない」という基準を完全に蹂躙した政権です。ガイドライン法成立前も成立後も同じ政権論を持ち出すのは、有権者と党員を愚弄するものではないでしょうか。
 第3に、タケル同志は、安保凍結の具体的な効果として、思いやり予算の廃止とNLP訓練の中止を挙げています。お尋ねしますが、日本共産党はいつ、これらの政策を政権を組む際の条件として挙げたのでしょう? このような政策を提起して民主党を追いつめていくというのなら、当然、これらの政策は公約とならなければならず、民主党と政権を組む条件にならなければなりません。
 単に、抽象的に可能だということでは、まったく「積極的」な意義を持つことはできません。どうして、不破委員長は、一昨年に自分の政権論を詳しく「赤旗インタビュー」で語ったとき、こうした政策について提起しなかったのでしょうか? それとも、総選挙が目前になれば、こうした具体的な政策が共産党の側から出されるのでしょうか? そして、その政策は、連合政権を組む基本条件とされるのでしょうか、それとも民主党が乗ってこなければ撤回されるアドバルーンなのでしょうか?
 また、「現在の条約と法律の範囲内で対処」という水準に限定しても、実際にはできることはもう少し多いはずです。たとえば、安保条約は米軍基地の使用を認めていますが、その日米地位協定の第2条第2項において、基地の返還を要求することができると規定しています。つまり、現在の条約と法律の範囲内でも、米軍基地の大幅削減や縮小は、抽象的には可能なのです。民主党ですら、かつては「駐留なき安保」と言っていました。なぜこのような重要な「改良」のことについて何も語られないのでしょう。
 さらに言えば、民主党はその選挙政策において日米地位協定の改善・見直しを建前的に掲げています。民主党ですら地位協定の見直しを言わざるをえないというのに、どうして共産党はそれよりも後退した「既存の法律の範囲内での対応」という条件を出しているのでしょうか?
 その理由は、そういう「改良」を共産党が本気で持ち出すことになれば、民主党を本当に「追いつめ」てしまいかねない、そんなことになれば、連合政府を実現することができなくなる、という判断があるからです。民主党は建前的に日米地位協定の見直しを掲げていますが、実際にそれを実現するには、アメリカと国内の右派世論に対し正面から対決し、その圧力をはねのける必要があります。彼らにはそんな度胸も政治的意思もないし、それを可能にする大衆運動もバックに持っていません。にもかかわらず、共産党がそうした「建前」を本気にとってその実現を迫ったら、とうてい連合政権はできなくなる、こういう思惑があるのではないでしょうか。ここに示されているのは、民主党を「追いつめる」ための能動的戦術ではなく、逆に民主党を恐れさせず「追いつめない」ための政治的臆病さです。

←前のページ もくじ 次のページ→

このページの先頭へ